差別心モニタリング
自分は差別していない
自分に差別意識は無い
と考えたら、認識的にはそこでお終いだろうと思います。
いつ自分が他者を差別するか解らない
いまの自分の言動が差別の可能性がある
これらを常に考え続けるべきです。
綱渡りをしたり、平均台を歩いたりするような認識の状態で、それはとても気が休まるものでは無く疲れるし、自分の内心をネガティブにモニターするのは心地良いものでも無いですが、不快だから差別心と向き合わなくて良いとはなりませんからね。
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