見出し画像

『価値観が合う』という罠

今日2021/03/11時点で、

6週連続の1位獲得、興行収入26億円突破中の

映画 花束みたいな恋をした 。

正直、こういうマスウケを狙って作られた

ペルソナが透け透けに見える映画はそんなに見なくて

“作りたいから作った”

“こう思うから作った”

みたいな映画を普段は好んでしまいがちなわたし。


でも、見ないで感想を決めつけるのも違うのかなと思って

ちょっと見てみるかみたいな気持ちで観に行ったこの映画で

想定していたより遥かに多くのことを感じて考えた。

ストーリーや作品としての

好き嫌いとか良し悪しとは全く別にして、

麦と絹の花束みたいな恋に触れた何万人もの人たちが

見終わったときにどう思ったのか、

あのシーンではどう感じたのか、

このセリフにはどう考えたのか、

そこがとってもとっても興味深かった。


▶︎Filmarks・Twitterに転がる「価値観」という価値観

映画館には一人で観に行ったけれど

ちょっと検索すれば何千何万もの感想を手に取れる

今の時代いいなあとこういうときは思う。

そこに連なる感想や批評たちの多くに散りばめらる

『価値観』という三文字。

価値観が合う。

価値観のちがい。

価値観の変化。


異常なまでに価値観が合う二人の奇跡のような出会い、

価値観のちがいによって広がる二人の心の距離、

歳を重ねて環境が変わって変化する二人の価値観。

たしかに、『価値観』はこの映画にとって、

麦と絹ちゃんにとって重要なキーワード。


▶︎『価値観が合う』はいずれ期待に変わる

序盤の二人が出会うシーンを見てると

こーれはもう好きになるよなあ

好きになる以外に選択肢がないよなあと思う。

『価値観が合う』って

相手に対する見る目が変わったり

好き嫌いを分けたりする

そのくらい重要なこと。


でも、誰しも経験があるんじゃないかなあと思う

『価値観が合う』と思った相手に対して

“これに関してもこう考えていてほしい”

“あっちよりもこっち派であってほしい”っていう感情。

“共感してくれるはず”

“この良さを分かってくれるはず”っていう期待。


具体的なシーンで言うと、

ミイラ展に誘う絹には

“麦くんはミイラ展にも引かない人であってほしい”

あわよくば“行きたいと思ってたって言ってほしい”

って期待が少なからずあったと思う。


▶︎期待は『裏切られ』を招く

相手に期待すると、期待値に届かなかったとき

必要以上にがっかりしてしまう。

結婚生活を円満に続けるコツは期待しないこと

なんてアドバイスをしたことがある人も

されたことがある人も少なくないんじゃないかなあ。

一見、悲観的に聞こえそうな『相手に期待しない』

という行為は、実はメリットも大きくて

期待値が低いと、自分の感情も相手への気持ちも

すべてが加点方式で進んでいく。

ということは、『相手に期待する』ことは

減点方式の関係への入口だといえる。

勝手に期待して、勝手に裏切れたとなってしまう

この一連、幸福感の持続においてかなりハードモード。

せっかくこうして価値観が合う人と出会えて

ときを共にすることができているんだから、

できることなら変わらないでいて“ほしい”でしょ?


▶︎そもそも人の価値観は可変的

大前提として、

本来、価値観って決して不変的なものじゃない。

年齢によって、環境によって

いくらでも変わりうるもので

小学生の頃から大人になった今でも

考え方や大事なものが全く変わらない人なんて

たぶんだけどいないんじゃないかなあ。


そして、その価値観が変わるタイミングは

人によってさまざまだろうけど、

まあ大体の人が価値観を維持するのが難しいのが

学生から社会人になるタイミングなのではと思う。

ここを描くことで、

麦と絹は観ている人の誰にとっても

あの頃のわたしたち

いつかのわたしたちになる。

学生と社会人で価値観の維持が難しいのは

学生の間の価値観は、

育った環境や、親など身近な大人が持つ考え方、

幼少期から触れてきたものなど、外部によって構成された価値観。

社会人になると、大半の大人は働くことによって

時間的に体力気力的に制限が増えていってしまう。

残された時間と体力と気力で

できることを取捨選択しなきゃならない。

パズドラじゃないゲームをすること、

読んでいる漫画の新刊を発売日に読むこと、

好きな作家さんの新作を楽しみにすること、

どこでも買えるパンを買う店を選ぶこと、

愛しい人と極力長く時間を共にすること、

愛しい人の話をただ聞いてあげること、

愛しい人の意見を尊重してあげること、

愛しい人が大切にしていることを大切にすること。

その全部全部を拾い集めるほどの

元気と時間を持ち続けることができない社会人。

社会人になってからの価値観は

そんな取捨選択の中で指のすきまからこぼれ落ちず、

手のひらに残ったもの。

それは自らによって構成した価値観。

と個人的に、今は、そう思ってる。

この差はあまりに大きくて

価値観を変えないことは難しいし、

どちらの価値観をも変わらず愛することも難しい。


もし仮に、麦がかつての二人の価値観を取り戻して

今村夏子さんのピクニックを読んで心が動いたとして。

麦と絹に子どもが産まれたら?

今村夏子さんの新作を楽しみにする絹を

夜にソファでゼルダをやる絹をわたしは想像できない。

価値観って所詮そんなもの。


▶︎「恋愛って生モノ」

「恋愛って生モノだからさ、賞味期限があるんだよ」

っていうオダギリジョー、彼本当にこういう役似合う。

南瓜とマヨネーズとか。

わたし個人としては、

生モノなのは恋愛じゃなくて価値観では?と思う。

人生は選択の繰り返しで、

何かを選ぶということは、何かを選ばないことで。

今大切にしていて、どんな小さな粒であっても

なんとしてでも零さないように大事にしているものを

5年前も同じように大事にしていた自信、

5年後も同じように大事にしている自信はわたしにはない。


映画の中では、

年齢が変わっても、周りが社会人になっても

大事なものを絶対に曲げず、

大事にし続けている大人も多数出てくる。

彼らを、幼いなあ、現実見てないなあと思う半面、

かっこいいなあと思ってしまうのは

自分が価値観を変えながら生きてきて、

価値観を変えながら生きてきた自分を受容している

なによりの証拠だと感じた。


▶︎人生を愛する恋愛に賞味期限はない

「君は、結婚は?」

今年観た一番好きだった映画

また、あなたとブッククラブでの中の好きだったセリフ。

このお話は70オーバーのおじいちゃんおばあちゃん世代が

20代の娘顔負けの恋愛を繰り広げるストーリーで、

このセリフも70代のドン・ジョンソンが

80代のジェーン・フォンダにかける言葉。

この世代になると、

結婚・離別・死別・育児など、様々な人生を経ていて

生きてきた年の分、多くの選択をしてきている。

その選択のすべてを受容し、

選択の末に歩んできたここまでの人生を認めて愛すること

それが恋愛になるんだなあと感心した一言。


わたしは、精神的に老けてるので

もう早くこの世界線に行きたくて仕方ない。笑


そうして愛し愛される恋愛に

賞味期限ってない気がするから。


可変的な価値観で恋愛するとそれは生モノだけど、

もう十分に変化してきた価値観

その時々の価値観に基づいてしてきた選択

その選択によって存在する今の人生に恋愛すること

それはきっと生モノではないと思うから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?