食道の住人

おそらく、自分の中で消化ができて完結した話しか書くことはできない。祖父の時がそうだったように。

私は父について、きっと、父が死ぬまで書くことはできない。

首を締められたことも、殴られた事も、服を脱がされたことも、怒鳴り散らされながら理不尽な謝罪を強要されたことも、意味もわからず泣きながら謝罪をしても何日間も無視をされたことも、数えきれないあらゆることが断片的な出来事として登場することはあっても、その時の情景を思い出すたび、私は恐怖と憎悪で頭の中にもやがかかる。

そして、その後機嫌を伺うような猫撫で声の父の顔は、いくら頑張っても思い出せない。顔など、見ていないから。

ゆるす、などできない。
歩み寄ることもできない。
理解してあげることも。

ただひたすら、静かに待つだけなのである。

なぜ急にこんな事を書いてしまったか?
それは、春のせいです。

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