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#2 続・自己紹介、あるいは好奇心の履歴書

 1週間以内に投稿することを目標にしていたものの、ゴールデンウィークに突入してすっかりペースが乱れてしまった。反省。
 今回は前回の#1に引き続き、自己紹介編の後半を。前半はこちら↓

4章 大学3年以降(コロナ後)

 大学生活は楽しかった。多分、それまでに生きてきた中で最も豊かな時間を過ごした時期だったと思う。バイト先で不条理な出来事に遭遇したり、家族とギクシャクしたりということはあったにせよ、個性豊かな友達がいて、常に何かしら興味を持って取り組めるものがある環境はとても居心地が良かった。

 そんな日常が、大学2年の終わり頃を境に一変した。とあるクルーズ船が横浜港に到着したというニュースが報道されてから、混乱は瞬く間に広がった。始めたばかりだったバイト先のバックヤードで、同僚の人たちと緊急事態宣言を発令する首相の映像を見た。バイト先は間もなくして、政府の外出自粛要請に伴って1ヶ月半くらい休業することになった。

 大学も例年より1ヶ月ほど遅れての始業となった。学生課も教務課も研究室も混沌の極みだったと思う。4月から1ヶ月程度の待機期間は、学校にもバイトにも行くことができず、最初こそ何もしなくていい期間を満喫していたけれど、1週間も経てば流石に飽きてきた。どんよりとした気持ちのまま新学期が始まって、先生も学生も慣れないオンライン授業に悪戦苦闘しながら、システム上で自分がきちんと授業に出席できているのかすら疑わしい状態で、3年次の最初の時期を過ごした。

 大学3年生といえば、順調にいけば大方の必修科目は取り終えていて、就活までも少し猶予があり(意識の高い人はすでにこの時期から動いているのだろうけど)、人生のモラトリアム期間を謳歌する時期であるはずだ。ちょうど3年からゼミに所属することもあって、大学生活で一番楽しい1年を過ごす気でいた。
 でも、現実はそううまくいかなかった。先行きの見えない非常事態に、政府の対応に対する国民の批判、外出自粛に関する報道を通しての世代間の分断、ワクチンの分配に関する問題。内定取り消しをする企業のニュースもあって、私たちの世代は確実に就活氷河期になるとも言われていた。これから一体どうなるのか。満足に友人たちとも会えないまま、目の前に広がる暗闇を見つめて、ただただ不安な気持ちでいた。この頃に見ていたNetflixのドラマ『DARK』の絶望的に暗い内容も、鬱々とした気持ちに拍車をかけた。

 今となってはこの時期があったからこそ、今の自分があるのだと思える。3年次の夏休み明けくらいから何となく卒業研究に着手しなければならない気運を感じ取って、11月頃に題材を決めた。キャンパスには行けなくても、没頭できるものが手元にあるだけでも救いだった。選んだのはフランク・ハーバートのSF小説『デューン 砂の惑星』。もともとティモシー・シャラメのファンだったのだけど、シャラメがドゥニ・ヴィルヌーヴの新作『デューン』で主役を演じると知ってからずっと気になっていたのだった。夏休み明けくらいに原作を読んでみたら思っていた以上に複雑な物語で、民俗学や人類学的な要素も盛り込まれていそうだから研究のテーマに使えるかもしれないと思った。ちょうど原作を読んでいた頃に映画のトレーラーが公開されたこともモチベーションに繋がった(予告で使われていたピンク・フロイドの“Eclipse”を本編で聴けなかったのは残念)。


 年が明けて、パンデミックが始まってからちょうど1年くらい経った頃に就活を始めて、諸々が落ち着いた5月末くらいから本格的に卒研に着手した。それまでの間に小説の中から重要そうな要素を抜き出す作業をしてはいたけれど、明確な指針は定まっていなかったので、ひとまず作品が執筆された時代背景を深掘りすることにした。60年代といえばヒッピーだよね、という安直な考えから大学図書館で調べ物を開始した。ちょうどその頃に当時のサンフランシスコをフィールドワークした女性研究者の手記『ヒッピーのはじまり』が出版されたこともあって、カウンター・カルチャーを研究のもう一つの軸にすることに決めた。同書については後にウェブマガジンneoneoでブックレビューを書かせてもらった。

 この本の刊行イベントがきっかけでゼミの放課後に下北沢の気流舎に入り浸るようになり、年齢も肩書きもまちまちな人たちと交流を重ねながらカウンターカルチャーについて考えた。そこにはメディアが作った“世代間ギャップ”なんてものはなくて、本や映画、音楽、あらゆる文化という共通の話題だけがあった。いろんな人から60年代のカルチャーについて教えてもらいながら、半世紀以上も前のアメリカに生きた、自分と同世代の人たちに想いを馳せた。

 秋になると、今度は現代の魔女たちに出会った。魔女というと、ファンタジーの小説や映画を通して子供の頃から慣れ親しんでいたけれど、どうやらフォークロアやフェミニズムとも結びついていて、日本を含む全世界に魔女たちが存在しているらしい。そういえば、現在の日本において最も重要な魔女に関する書物である『魔女の世紀シリーズ』のうちの『魔女の聖典』(ドリーン・ヴァリアンテ著)を、大学2年生になったばかりの頃にすでに大学図書館で借りて読んでいた。その時は、西洋には面白い文化があるものだと思ってエンターテイメントのように消化していたけれど、すでにその文化は時空を超えて身近なところに息づいていた。
 現代の魔女たちが行う儀式はケルトの暦に沿って行われるというから、鶴岡先生が授業中に語っていた内容とも深く絡んでくる。さらに、魔女たちはテクノロジーとも密接に関係しているという。これまでに経験してきたこと、強く関心を惹かれたもの、それらが「魔女」というキーワードのもとでパズルのピースのようにぴったりとはまっていく気がした。ヒッピーや魔女といったカウンターカルチャーの文脈で語られる存在については、大学を卒業した今でも大きな関心事になっている。

 人との交流を遮断された時期を経て再び他者との対話が可能になった時、思いもよらない出会いや気づきが待ち受けていて、世の中はよくできているなと思った。元来がマイペースな性格なので、これからものんびりと自分の興味の向くままに動いていくのだろうけれど、きっとどんなに寄り道しても、最終的には本来いるべき場所に漂流するのだろうと思う。
 次回からは、そんなふうにマイペースにかき集めた興味関心を、細かいトピックに分けて文筆・蓄積していきたい。

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