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#3 セリーヌ・シアマ 『燃ゆる女の肖像』を魔女の系譜から考察する

 映画を観ていると、しばしばストーリーの展開とは全く関係ないような演出が不自然に挟み込まれることがある。そこには作品の主軸とはまた別の、作り手による何らかの意図が隠されているのだろうと想像されるが、その解釈のほとんどは鑑賞者の手に委ねられている。

 そんなわけで今回は、セリーヌ・シアマの『燃ゆる女の肖像』を独自の視点で考察していきたいと思う。

1. 作品概要

 「絵画のように美しいレズビアン映画」

 本編を観ていない人なら、ポスターや予告編の印象からそう捉える人がほとんどであろう今作。無論、女性同士のラブストーリーであることに変わりはないのだが、観ていてどうも不可解な演出が多すぎる。モヤモヤとした気持ちを保ったまま物語中盤のとあるシーンに差し掛かった時、突如霧が晴れるが如く、その違和感を解きほぐすキーワードが浮かび上がってきた。ずばり、「魔女」である。

 セリーヌ・シアマによる『燃ゆる女の肖像』は2019年のカンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルムの2冠を達成し、日本では2020年12月に公開された。舞台は1770年、フランス、ブルターニュの孤島。主要登場人物は3人。肖像画を描くために島にやってきた、職業画家のマリアンヌ。不本意な結婚を控えた貴族の娘、エロイーズ。そして、屋敷に仕える侍女のソフィである。彼女たちは限られた日々の中で交流を重ね、世俗から隔絶されたその境界内において、いくつかの禁忌を破ってゆく。彼女たちが犯したタブーは主に3つ。一つ目は同性愛。二つ目は男性社会からの逸脱。三つ目は堕胎である。

2. 魔女について

 本編の内容に触れる前に、歴史上で「魔女」とされた人々について触れなければならない。その存在が世に知れ渡ったのは15世紀後半。1486年にドミニコ会が『魔女に与える鉄槌』なる書物を出版したことで、その後の400年の間に約5万人が処刑されたといわれている。迫害された人々の8割が女性であるから、史上最大のミソジニー事件と定義できるだろう。標的にされたのは、結婚せず人里離れたところに一人で暮らしている女性や、キリスト教社会の中で大罪とされた避妊や中絶の技術を持つ産婆たちだったとされている。彼女たちの多くは社会的に貧窮したアウトサイダー、もしくは男性の手を借りずとも生きる術を手に入れた女性たちだった。

 さらに、中世の時代から数百年を経て20世紀になると、自らを魔女と名乗る人々が現れる。1950年前後から始まった現代魔女運動である。始まった当初はジェラルド・ガードナーやヴィクター・アンダーソンをはじめとした男性によって作られたカヴンの存在が大きかったものの、1970年代後半になると、スザナ・ブダペストやスター・ホーク、マーゴット・アドラーといった女性の魔女たちが次々と著作を発表し、時を同じくしてキリスト教における女性の在り方を見直すフェミニズム神学や、そこから派生した男性神のカウンターとしての女神運動が発達する。現代の魔女たちは中世の時代に迫害された魔女たちの末裔として、女性の復権や、失われた自然環境を取り戻すためのアクティヴィズムとして広がっていった。

3. 本編の内容について

ここでは気になったシーンを時系列に沿っていくつか挙げていく。
※ここからネタバレがあります。

・男性の不在

 冒頭で、マリアンヌは自らモデルとなって、若い少女たちに肖像画の描き方を教えている。目線を上げると、なぜか過去に自分が描いた1枚の油彩が教室の中に置かれている。この絵を描くに至った過去を回想する形で、物語は始まる。

 回想場面の始まりで、マリアンヌはボートに乗っている。他の乗客は船頭と男たちのみ、女はマリアンヌ一人である。途中で、持参したカンバスが入っている木箱を海に落としてしまうが、助けてくれる人はいない。マリアンヌはドレスを着たまま海に飛び込み、自力で回収してボートに戻る。ここでは、女だからといって手を貸してくれる人がいるわけでもなく、あくまで男女が平等に扱われている。さらに、このシーン以降、男性はほとんど画面に登場しなくなる。この作品の主題が、自らの意思に沿い、自らの力で生きる女性に捧げられたものであることを示す象徴的な場面である。

・エロイーズの装い

 島に着き、マリアンヌが肖像画で描くドレスを確認するシーンで、侍女のソフィはグリーンのドレスを持ってくる。エロイーズのドレスはこれだけで、普段は修道院で着ていた服で過ごしているという。確かに、エロイーズは初めて登場する場面以降、絵のモデルになっている時以外はいつも紺色っぽい地味なドレスを着ている。
 マリアンヌを伴って浜辺にいるシーンでの、エロイーズのセリフが印象深い。

「修道院には図書館 音楽 歌がありました。それに皆が平等です」

 彼女にとって、屋敷に戻ってからも修道院で着ていた服を着続ける行為には、男性の所有物になることに対するささやかな抵抗が現れているのだろう。

・ソフィの堕胎

 中盤に入り、マリアンヌが生理痛で夜中に起きてくる場面で、侍女のソフィが予期せぬ妊娠をしていることが発覚する。幸いにも屋敷の主人であるエロイーズの母は不在。マリアンヌとエロイーズは、ソフィを浜辺で走らせたり、薬草を摘んで煎じたりと、ソフィを堕胎させようと協力する。結局自力では堕すことができなかったものの、ここに中世の時代に魔女とみなされた産婆たちへの目配せと、女性たちの連帯が見てとれる。
 

・焚き火を囲む女性たち

 本編の中で魔女の文脈を決定的に感じ取ったのは、後半で登場する焚き火の場面である。このシークエンスでは奇妙なことが次々に起こる。まず、最初の項目でも示したように、火を囲む人々の中に男性は一人もいない。そして、望まない妊娠をしていたソフィが年配の女性に中絶処置の約束を取り付けた直後、女性たちが一斉に発声を始める。ここで、現代の魔女の儀式における一場面を想起した。現代魔女宗の儀式では「エナジーライジング」と呼ばれる過程で、複数の参加者が一斉に声を発し、その場のエネルギーを一点に集めるということをする。
 この場面では女性たちが声を一つに合わせた後、ニーチェの詩『ツァラストラはこう言った』から引用したオリジナル楽曲の輪唱が続く。短いフレーズをひたすら繰り返す歌唱はどこか現代魔女宗のchantとも通ずるところがある。

・ドレスの裾を燃やすエロイーズ

 女性たちが歌唱を続ける最中、エロイーズはマリアンヌを見つめながらそっと焚き火のそばに移動する。すると、火がエロイーズのドレスの裾に燃え移り、メインヴィジュアルに使われているあのカットとなる。
 先の項目で述べたように、この場面で燃えたのは、男性への従属に対する抵抗として身に付けていた服なのであるから、エロイーズの意思を宿したドレスが損傷する演出は、その後の展開を自然と予期させる。
 そもそも、「燃ゆる女」というタイトルそのものが、火刑に処される魔女のイメージと重ねられているのではないだろうか。周囲の女性たちの消火によって助けられるものの、結婚を受け入れる結末を鑑みれば、エロイーズは火刑にされ損なった=魔女になり損なった女性とも言えるかもしれない。

・堕胎を再現するエロイーズとソフィ

 ソフィが村の女性のもとで中絶処置を施された後、屋敷に帰ってからソフィとエロイーズがもう一度堕胎の場面を再現して、それをマリアンヌが絵に描くという意味深なシーンがあるけれども、これも魔女の系譜から見れば妙に納得できる。ここでエロイーズが演じているのは、産婆、つまり魔女である。焚き火のシーンで魔女の道から決定的に分岐したからこそ、ここでのエロイーズの魔女役は、残された自由な時間に必死でしがみつこうとする最後の抵抗として効いてくる。

・軟膏

 ソフィの堕胎の後、マリアンヌとエロイーズが裸でベッドにいるシーンで、エロイーズが「祭りで買った」という軟膏を取り出すシーンがあるが、もはやこれも魔女にとってお馴染みのアイテムとしか思えなくなってくる。

「植物だそうよ。”空を飛べる”って」「”時間が延びる”って」

 中世の魔女たちはナス科の植物から抽出した液から幻覚作用のある軟膏を作り、それを粘膜に塗ることで“飛んで”いたらしい。エロイーズの言う「祭り」とは、おそらく前述の焚き火のシーンを指しているのだろう。だとすれば、やはり火を囲んでいた女性たちは魔女だったのかもしれない。

4. 女性アーティストへの賛歌

 シアマが今作の主人公に18世紀の架空の女性画家を選んだ背景には、美術史から消された、実在の名もなき女性画家たちの存在があった。(公式サイトのプロダクションノートを参照)

  魔女運動と女性芸術家も密接に関わっていて、1968年にはニューヨークのウォール街でW.I.T.C.H.(Women’s International Terrorist Conspiracy from Hellの略)という、主に女性アーティストを中心とした集団が魔女の格好をして街路に現れるパフォーマンスを行なった。オノ・ヨーコもこの集団とは近しい関係にあって、彼女たちの活動に賛同していた。(2007年には『Yes, I'm a Witch』というタイトルのアルバムも出している)

ウォール街に現れたW.I.T.C.H.(1968年)

 魔女とアートについては、清水知子さんによるこちらの記事が必読。

 『燃ゆる女の肖像』では、女性映画監督のパイオニアに対するオマージュを感じさせるシーンもあった。マリアンヌとエロイーズが初めて出会う場面。背景に映る水平線といい、二人の人物の構図といい、アニエス・ヴァルダの『ラ・ポワント・クールト』と非常によく似ている。

セリーヌ・シアマ『燃ゆる女の肖像』(2019年)より
アニエス・ヴァルダ『ラ・ポワント・クールト』(1955)より

 アニエス・ヴァルダはアラン・レネ、ジャック・ドゥミらとともにセーヌ左岸派としてヌーヴェル・ヴァーグの草創期から活躍する、フランス映画界の最重要人物かつ最も有名な女性映画監督の一人である。近年では日本でも過去作の再上映があったりと、再評価の機運が高まっている。『ラ・ポワント・クールト』は彼女のデビュー作であり、上記に挙げた場面は後の多くの映画に影響を与えている。(1995年公開の押井守『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』にもそっくりな構図の場面がある)
 ヴァルダは今作がカンヌ国際映画祭で初公開される直前の2019年3月に逝去しているけれども、彼女が開拓した女性作家の道はしっかりと後の世代に引き継がれている。

5. その他

 物語の舞台となったブルターニュは、紀元前5世紀から紀元後5世紀頃までの間にブリテン島から移住してきたケルト人の土地だった。物語の時代背景となった18世紀半ばにはブルターニュの巨石群がケルトの遺跡として注目を浴びて、ケルト研究の専門家だったジャック・カンブリーが1799年に出版した『フェニステール県旅行記』の中でこの土地について書いている。キリスト教以前の土着文化が根強かったブルターニュは、ヨーロッパ大陸の中では例外的に、17世紀末まで続いた魔女狩りの悲劇を免れていたらしい。

 今作が撮影された2018年は、昨年末に日本でも翻訳出版されて魔女/フェミニスト界隈でも話題になった、モナ・ショレの『魔女』(原題:Sorcières : La puissance invaincue des femmes) がフランス本国で出版された年でもある。この本には魔女のことも書かれているけれど、どちらかというと現代の女性の抑圧/生きづらさを主題に書かれている印象だった。

 実際のフランスの魔女たちは『マクロンを火鍋にかけろ』と言って政治家を呪ったりしているそう。さすがは革命の国。

参考文献
・映画『燃ゆる女の肖像』 公式サイト - GAGA ( https://gaga.ne.jp/portrait/ )
・『図説魔女狩り』黒川正剛著(河出書房新社, 2011.3)
・『魔女とヨーロッパ』高橋義人著(岩波書店, 2011.11)
・『魔女と聖女 : 中近世ヨーロッパの光と影』池上俊一著(筑摩書房, 2015)
・『図説ケルトの歴史 : 文化・美術・神話をよむ』鶴岡真弓, 松村一男著(河出書房新社, 2017)
・『ケルト文化事典』木村正俊, 松村賢一編(東京堂出版, 2017)
・『アニエス・ヴァルダ : 愛と記憶のシネアスト』金子遊 [ほか] 編(neoneo編集室, 2021)

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