見出し画像

「ある」ことと「ない」こと

※2017年1月前半に作成


駅から家まで徒歩28分の道のりの途中、歩行者専用の道がある。車が通れるくらいの広さがあり、左右には花や雑草が広がっている。そこを通るたびに夜空を見上げてしまうのは、空間が開けてて、車にぶつかる心配もなく歩けるからだと思う。
オリオン座って、本当にあるんだね。輝く星々は、自分の位置も、周りの星と繋がれて何座にされてるのかも知らない。
「あの星たちに人は住んでるんかい?」と、母は星を見るたび私に聞く。母は、宇宙のことが全く分かっていない。「光強くて住めないって。あれ太陽みたいなもんだから」と、私は答える。
あの星たちの周りに輝かない星が、周りを回る星が1つの星に対して多分7個くらいあるじゃん(太陽系がそうだから勝手に決めつける)、で、さらにその周りを回るのもあるじゃん、回らないし輝かないのもあるじゃん、って考えると、星って一体いくつあるんだろ。人のような生命体が、星の見えない暗闇にいるのを信じたい。母はまた質問する。

「いつか星はなくなっちゃうの?」


自分には、誰にもフォローされていないTwitterのアカウントがある。鍵をつけて、自分しか見れない日記として使っている。たまに、昔の自分は何してたか、何を思ってたか、遡って見たりする。
一年前の今日、「好きになっちゃうからやめろよって思った。期待してはいけない人だろうとも思った」と、書いてある。今も変わらず好きな人を、好きだと認めた日であった。
その日、今以上に勇気がなかった。お客様に声をかけられなかった。彼は私を注意してくれ、勇気を出してお客様に声をかけた。彼は私のことを見ていて「今の、いいね」と言ってくれ、「でも断られちゃいました」と私が言うと、「でも声かけたことが大事だよ」と言ってくれた。お客様には見えない机の下では、私の足元に紙くずを投げながら、笑顔で「いらっしゃいませ」と言っていた。紙くずを投げ合っただけで、恋に落ちた。かなり単純だが、私は間違っていなかった。期待してはいけない人だった、ということも。
あの時は、2人で食事に行って机の下で足を踏み合ったことも、彼女がいることも、まだ知らない。


「ひろせさんは我が道をゆくタイプだからさ」
「ひろせって、面白いよね」
「ぴろはほんとポジティブだな」
「ぴろ氏、すぐごめんって言う癖やめな」
そう言った彼女たちは、絶対に交わることはない。けど、私がもし死んだらお葬式に来てくれて、そこで初めて会うのかもしれない。彼女たちは、私のことが好きだと思う。
彼は、お葬式に来てくれるのか。私のことを、一度でも好きと思ったことはあるのか。多分、私のことじゃなくて、「自分を好いてくれる存在」としての私が好きなのだ。でも考えてみれば、私も自分のことを好いてくれる彼女たちが好きだ。でも彼のことは、嫌われても好きだ。


今日は、星が見たいから歩いて帰る。

____________________



この頃、学校で、『茨木のり子さんの詩「問い」に対する返答の詩or文章を書く』という課題が出た。
詩を書いて提出したけど、期待したほどいい評価ではなかった。
先生からは、「もっと広がりそうだね」というコメント。
その詩をつくったときに抽象的にしてしまった言葉を、どういう背景でその言葉を選んだのか、具体的に言葉にしてみた。
それが、この文章です。

読んでくれた友達は、「知らないぴろ氏、って感じでいい」的なことを言ってくれた。
(ふだん友達といる時はボケな立ち位置だから)おかあに対して冷静でツッコミ的な感じとか、
誰にも見せてないアカウントがあるとか。
「意外!」「知らなかった!」ってことは興味を持たれやすいのかなぁ。


そして
あれから、その人のことは、嫌われてもいないのにぜんぜん好きじゃなくなりました。(人としてはいいけど、恋愛対象ではなくなった)
うける。

今は好きじゃない人のことを好きとか言ってる自分がきもい。当時は嘘じゃないけど、ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?