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あなたとわたしと昨日と今日

あの人みたいな喋り方をしたい
あの人みたいな歌い方をしたい
あの人みたいな笑い方をしたい
あの人みたいな褒め方をしたい
できない。できない。ぜんぶうまくない。

わたしみたいな生き方はたぶん誰にもできない。
だったら、べつにあの人にもあの人にもあの人にもあの人にも、なれなくていい

なれなくてもいいけど
ずっと、憧れる人たちのそばにいたい
その人たちのつくるものを見ていたい

そうしていると、自然にだったり無理矢理にだったり、その人たちの影響を受けた自分になる
その人たちのおかげで、変わろうとしたり、気づいたら変わってたり、一回取り入れてみたけどやっぱりしっくりこなかったり。


いつも一貫してる人間にはなれない。
昨日は激しい曲が聴きたかったけど、今日はやさしい曲が聴きたい。
昨日は派手な色合いの服を着てたけど、今日は全身真っ黒の服を着る。

「情緒不安定」なんてさ、波があっていいじゃんね。ちゃんと悲しんで、ちゃんと楽しんでる。
「系統」「カテゴリー」「ジャンル」って、わかりやすいけどさ、行き来してもいいじゃんね。いくつかあってもいいじゃんね。どこにも属せないなら、つくっちゃってもいいじゃんね。
波があることを、ひとつでいられないことを、
よしとされないことで苦しいのなら、わたしがよしとするよ。そのままでいてくれよ。


そのとき、そのとき、いま
嘘をついていなければいいよ。
それが時が経って「もうあんな風に思わない」と嘘になっても、そのときはほんとうだったなら
っていうか、ほんとうなんてわからなくても
「わかりません」と言うのは、
“わからないから黙っている”のとは違うよね
わからないから黙っていたこともあるけど、
間違ってても、間違いとされてしまっても、間違いかどうかなんて簡単にはわからないから、わたしにもあなたにもわからないから
言ったほうがいいなと思えるようになってきたよ
(ひとによっては怖いけどね)
(ひとを選ぶなんて自分が嫌になるね)
(でも相手が変われば自分も変わるのは自然なことというかさ)
(ひとりひとり、自分の中の違う引き出しを開けてるだけだよ)

ほんとうのことしかいいたくないんだ
でも、いつもちゃんと正しいのかな、って不安になる。ちゃんと自分の気持ちと言葉は合ってるのかな、って。背伸びしてないかな、出し惜しみしてないかな、って。
どっちもしちゃうね。どっちもしちゃいながら、でもやっぱり、あなたに伝わらないと意味ないしさ。だから、ずっと間違えながら、上がったり下がったり右に行ったり左に行ったりしながら、あの人に届いたらいいなって、なにが自分にとっていちばん合ってるのかなって、考え続けるんだよ。

あなたみたいな生き方もたぶん誰にもできない
だから、だからずっと
いいなぁって思って見てるんだよ


うまくなくても、喋りたいし歌いたいし笑いたいし褒めたいんだよ。
どれもあなたには敵わないな。悔しいな。悔しい。
だから続けようかな、つくろうかな、と思えるんだよね。
悔しいけど、悔しいからあえて見ないふりとか褒めないとかディスるとかは、絶対したくないな。
ぶっちゃけ、ぶっちゃけね、したくなっちゃうときもあるんだけどね
そこで素直になれなかったら、自分のことを素直に褒めてくれた人を裏切る気がしたんだ


みんなとわたし、ではなく、ひとりひとりとわたし
これがわたし、ではなく、ひとことで言えないのがわたし

そうやって接したいし、そうやって生きてたい。なんてね、嘘じゃないよ。
今日は、今日だから、今日しか書けないことだと思ったんだよ。

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