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2024年4月6日/7日 夜

 無常や喪失を唄った一曲一曲の素直な感情の鋭さに、単純に感極まる。私もいくつかの喪失を経験して、時の流れに、これからの喪失に思いを馳せられるような年齢になってしまった。

ライブが終わるたびに「行かないで」と思う。このままライブのときにしか私の前に現れず、逢えないまま、会話できないまま貴方の人生が終わってしまいそうで。私はまだそれを受け容れられない。

運で最前列を当てられるならば努力で貴方に認知してもらえるような絵描きにも成れるだろ。ただ私はフォロワー数2桁の底辺絵師であって生きてるうちにそれを叶えるには熱量が足りなすぎるじゃないか。

後ろから光が当たる演出のとき、貴方がすごく遠く、この世界より遠くにいるように感じる。こわくて、さみしいような気持ちになる。

もう貴方も28なんだと思い当たって、もう何もかも変わらないでくれと思う。時が進まないでくれと思う。ヨルシカが終わらないでくれ。隠居しないで。ファンの前から消えないで…

27で死ななかった28の貴方がそこに居るんだと思って、もし貴方が寿命まで生きて、その上でヨルシカとして表に居続けてくれたら、私の人生は、独りだった時間より貴方とともに同じ時代を生きた時間の方が長くなるんだ、と思った。それにささやかな尊さを感じる。

50メートルか40メートルか先に貴方が、本物の人生がいるんだと思うと目を閉じて手を組まずにいられない。単純にヨルシカの二人が尊い。私が今日観たあの画が、ナブナさんの横にスイさんのいる画がずっと崩れないでほしい。途中スイさんだけがステージに居て歌っていた場面があって、ナブナさんがスイさんの隣から永久に居なくなってスイさんだけが残るようなことは、間違ってもあってはいけないと思った。逆も然り、今日はスイさんが元気で最後の曲まで歌い切れてよかった。2年前からライブのたびにそれを気にするようになっている。
でもそれが崩れてしまうような不条理がこの世に存在するからこそ貴方は作品を生み出せたのだから、私には祈ることしかできない。でもこれ以上貴方が喪失を経験しないように祈ることすら、我儘かもしれない。

スイさんが朗読で登場人物として参加したことで彼女がさらにヨルシカの、別離の業に深く足を踏み入れてしまったようで何となく苦しい、きっと気のせいだけれど。でも画家がエルマの、猫がエイミーの生まれ変わりであるならば、画家の元彼女はヨルシカの物語の主軸には関係ない人物なのかもしれない。

有明ガーデンに寄って、二年前と同じ場所に行ったりして懐かしかった。月光再演は今でも私の夜をずっと照らす大きな光。

貴方に認知されてもいないようなちっぽけな私の人生、ちっぽけな私自身、ただの一般人なのになんでライブのたびにこれ以上ないほど頑張って着飾るのかって、自分に呆れそうになるけど、ヨルシカや二人への愛とか慕う心のようなものを示すため、私の心はここにあるのだと私自身が分かるようにするためなのだということにしておいて、それ以上はもう考えない。

ヨルシカのライブに行った経験が増えてきて、今日はいくつか懐かしい曲をやってくれたのもあって、曲を聞く度に過去が思い出される。過去が積み重なってきている。高校生の頃にリリースされた曲が演奏されると、高校生の頃の記憶が蘇る。辛い過去の一瞬一瞬が思い出される。ヨルシカだけが私の青春だった。私にとってのヨルシカが過去になっていく。私の辛苦の高校時代なんか葬り去ってくれ。

ヨルシカがよく分からなくなってきた。ヨルシカの本質みたいなものがいまいち掴めていない感じがして、ライブが終わったあとにもやもやしていた。でも貴方は完全にヨルシカの本質を解っていてその上でいまギターを弾いていて、私は何も分かっていなくて追いつけなくて貴方だけが遠くに行ってしまって云々。でもそういう感情になったところで何も変わらないから、ちゃんと作品を聴いて読んで消費者なりに考えてみるしかない。しかしそういう考察すら私個人の勝手な解釈でしかなくて、本当のことは貴方にしか解らない、私はいつまで経ってもヨルシカの本当を、全貌を知ることはできないんだ…って苦しさは止まらない。

最近ヨルシカと向き合うと苦しくてまともに曲も聴けなくなってしまっていた。けれど今日改めてヨルシカを私にとっての過去にしたくないと思った。想いを深く、長く掛けてきた対象だから、これからもヨルシカと、ナブナさんの音楽とともに人生を続けたい。いま環境が変わって、不安になっても、私の心の奥底にはいつだってヨルシカが居てくれるから。


4月7日 夜

東京の雑踏の中で貴方だけをずっと探していて、

貴方をはっきりと見た記憶を持ちながら駅で電車が通り過ぎるのを見て列車到着のチャイムを聞いて、山手線がホームに入る風の中で貴方が波よせてを歌うのを片耳から聴いている、そういうのが私が今までずっと求めていた人生で、今それが叶っていて、本当に幸せだ。たとえずっと独りだって私が探しているのは貴方で、その貴方の姿をみて声を聴けるだけで、他のどうでもいい人と一緒にいるより幸せなのだ。

最前列にいたって、貴方の挙動はよく見える、指先の動きや髪が靡くのも見えるけど、貴方のそのひとつの側面しか分からなくて、どうしたってこれ以上貴方を知ることはできなくて、「お前と彼の距離はここまで、これより先には行けない」って言われてるようで苦しくなったけど、ナブナさんがステージに出てきたりはけたりするのを何度も見ているうちに、ナブナさんが生きてこの世界にいれば、幸せでいればなんでもいいと思えた。ただそこに居てほしい。遠くに行かないでほしい。彼がいなくなった世界のことなど考えられない。

今日見た、今日までに見た貴方の姿を少しだって忘れたくない。

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