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神様は幻想なのか

苦しい。いつも苦しいって書いてる。まあ苦しいからここに吐き出しにくるのだが。

持っていないものがある。持たざる者であるという自覚がある。それでそのことがすごく恥ずかしい。持っていないということは、自分の欠陥を証明してしまっていると思うから。いつも持たざる者であるということを隠そうと、繕おうとしてしまう。そして自分が「持っていないのだ」と自覚せざるを得ないとき、またそれが周りに露呈してしまうとき、たまらなくなって遠くの「貴方」という存在に縋ってしまう。

「貴方」に会ったことがない。話したことがない。顔を知らない。はっきり目にしたことがない。でも私は「貴方」を知っている。彼の作品を愛している。世界でいちばん愛している。彼の文章を読んだことがある。彼の思想を垣間見たことがある。彼の人生の話を少し聞いたことがある。
これは、ちゃんと貴方を分かれている、という範疇に入るのだろうか。つまり、私は、貴方をちゃんと現実の人として救いとできているだろうか?

なんでこんなこと考えないといけなくなったのかというと、彼の考えてることが分からないからだ。

451を聴きました。いつもより何となく何を言いたいのかが分かる気がする。つまり私たちファンのどうしようもなさを、わらっているのでは?そうだとしたら本当に面白いくらいだ。だって彼はいつか、「輪の外の人のことはどうでもいい」って言ったのだ。彼と親交のある、彼が現実の人間関係を持っているなかの大切な人たちのことだけ愛せればいいと。だから私はそれを聞いた時、諦めたのだ。納得したのだ。ああたとえどれほど彼の存在とその作品を愛していても、インターネット越しでは、アーティストといちファンでは、言葉を交わしたことのない人間どうしでは、その間に何も繋がりは生まれない。私は輪の中に、入れない。

それを思ったのが数年前、451を聞いたのがさっき、私は諦めより巨大な絶望と分からなさを感じた。『盗作』とかでも似たようなことを歌っていたと思うけれど、やっぱりファンという存在は突き放された。でも、ファンのことが眼中にないわけじゃないということですよね?と言いたいし、大サビで「愛して」って言ってる。「消費して」って文句は皮肉なのだろうなって思うけど、でも「妬けるほど愛して!」にはつっかかってしまう。なんなんだ、彼は何を言いたいんだ。私たちにどの程度歩み寄りたいんだ。わからない。

本当の対話じゃないと、現実でコミュニケーションしないと、お互いが言いたいことは何も、一つも正確に伝わりはしない。勘違いが勘違いのまま時が流れていく。私は一生分かれない。歌詞だけじゃ、洗練された作品だけじゃ貴方が本当は何を言いたいのか分かれない。きっとこうなんだろうな、こうだったんだろうなっていう独りよがりな仮定のまま時が過ぎ去る。そうしてすごく後になってそれが間違いだったことに気がつくことがある。そういう経験を何度もした。それに気がつくたび、ああ貴方は私の考えたような人間じゃなかったのだなと分かる。貴方はもっと柔軟で、普通で、現実的な人間だったのだなと。作品の内容のときも同じ。そうやってひとつひとつ乖離が生まれては、時々是正され、私の中の「貴方」はきっと本物の貴方に近づいていく。でもいつか気がついてしまう時が来るんじゃないか?本当の貴方はかつて私が考えていた「神様」としての貴方という概念とはずいぶんかけ離れていることに。私はそれが怖い。貴方が幻影であってほしくない。現実の貴方が、いま私が救いとしている貴方のような人ではなかったと知るような結末になってほしくない。

虚しいのだ。こんなことで不安になること自体、すごく遠くで私とは関係のない人生を送っている彼という人間にしか縋れない自分の現実での人間関係の希薄さを証明してしまっている。結局問題は貴方が誰なのか云々じゃなく私の人間性の欠如にあるのだ。それだけです。それが虚しいだけ。

でもだからって私の人間性は改善されない。ずっと苦しい。今日の後書きラジオで、メッセージが2000件来てるって言ったとき、私は2000分の1かあ、そんなの彼らからしたら無いも同然じゃないかと知ってしまった。彼らが40年後の話をしていたとき、そこに私がいないでも彼らだけで完結してしまう幸せな彼らの人生がありありと想像できてしまった。そして気付く。私は一生彼らと交われなくとも彼らの人生は満ち足りて終われる。私が彼らの人生に足を踏み入れられる猶予はないだろう。私はこのまま彼らをこれ以上ないほど愛していながら会えないだけのちっぽけな人生を送るのだろうか。普通ならそれを覆してやるってくらいの積極性は持っているべきだよね。でもそれがないからわたしなんだと、それがないから苦しいんだと、でもそれに気づいたところでなんにも変わりはしないんだと、そう考えたこの夜だった。

こんなこと書かせるほどいっぱいいっぱいにさせたのは、451をナブナさんが自分で歌ったせいだ。
私はまたひとつ合ってるか知らない仮定をしてみる。彼はファンにこの歌を特に突き刺したいから自分で歌ったんだ。もしこれが合っているなら、私はちゃんとそれに乗せられている。突き刺されて、まんまと、筆を執っている。燃やしている。でもそれは半分自分への怒り、半分彼その人への怒り。

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