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夢という光の話

 昨晩、ずっと想っている人の夢を見た。
 昨日、谷川電話さんの「【好きな人あるある】 夢でも逢えない」っていうツイートを見て、本当にそうだって共感した。だからちょうどその晩に貴方の夢を見ることなんてあるんだ、ってびっくりした。

 夢の中で私は小さなホールにいた。そこはコンサートの会場だった。正確に言うと夢は、そこに向かっている所から始まった。そこに行くまでの道は、両脇に少し雪を被った灰色の高い山がそびえて白い土の道が細く蛇行しながら続き、周りには草原が薄く広がって、北欧の山間のようだった。曇り空の下を歩いていた。春みたいだった。その道は確かに会場へと続いていて、もうすぐ始まるそれのため、いい場所を取って貴方をよく見るために、私は急がなければならなかった。この部分は何度も行ったライブの記憶から来ているんだろうと思う。ライブに行く夢はよく見る。
 あたたかい茶色の壁と床。そこはコンサートホールか学校の音楽室みたいな印象の部屋だった。入り口近くにグランドピアノがあって、手前に赤いベルトパーテーション。驚いたことにはまだ誰もいなかった。会場はオールスタンディングだったけど、レストランでのバックミュージックのピアノ演奏のような雰囲気もして、いろんな記憶から映像が抽出されている。薄暗い暖色の照明に会場が照らされ、静寂の広がる部屋に私は安堵と喜びを感じていた。
 しかしそのあと、何かの忘れ物に気付いた。何だっただろうな、憶えていないけれど、とにかくそれからすごく急いだ。戻るべき場所まで取りに戻って、また草原に囲まれた道を走った。息も切れぎれだった。腕時計を見ると開演時刻を過ぎている。ちょっと絶望する。部屋の後方に辿り着くと、さっきより暗くなっている気がする。しかしまだ、演奏する貴方がたはそこにいなかった。現実では、開演が遅れたことなんてなかったんだけど。
 少し待つとようやく貴方がたが現れた。交通の関係で到着が遅れてしまったんだと言っていた気がする。そこから演奏が始まったはずだけど、公演中の夢の映像はなかった。そこだけ記憶から抜け落ちてしまったかのようだ。
 演奏が終わると、なぜか私は一列目に立っていて、それを貴方が見つけてくれる。そこからの記憶が曖昧なんだけど、気づくと、明るくて白い空間に私たち二人がいる。朝のような日光が差し込んで貴方を照らしていた。今思えば家の洗面台周辺の空間の輝きかたに似ている。私の声は震えていた。涙も零れていた。それは紛れもなく貴方と話している喜びから来るものなんだけど、私は感情表現が下手だから、ネガティブな感情なのかと貴方に誤解されてしまう。困惑や心配をもって話しかけてくれる貴方に、私は弁解する。そして私の想いを話し出す。ずっと貴方に焦がれ想い続けてきたこと、貴方の創る音楽に救われていること、貴方の存在に支えられ生きていること、すべて。それを貴方は全部受け入れてくれる。優しく笑って頷いてくれる。幼児をなだめるかのような表情にすら見える。私は、この想いをわかってほしくて貴方に押し付ける自分勝手で幼稚な人間で、でも貴方はそれを全部許してくれる。最後に私の名前を言って、私がこれまで貴方に送った手紙を読み返してほしい、いや読み返さなくてもいいから、私の名前を憶えていてほしい、また手紙を送ったら私だって分かってほしい、そんなことを言って、でも貴方はそれになんて返したかは憶えてなくて、それで終わる夢。

 今まで夢は好きじゃなかった。見る夢は全部現実的で、私を叱ったり裁いたりする人たちばかり出てきた。こんなに綺麗な夢を見ることなんてほとんどなかった。たまに自分の潜在的な欲望を表出したような甘い夢を見ても、起きれば全部嘘だと知って、虚無感に襲われた。この夢だって、終盤にこれは夢だって気付いていて、でもなぜか失望はしなかった。夢と現実の区別がつくようになったのかな。
 この夢に救われている。夢や想像や虚構は、人生に光をくれ私たちを導いてくれる。夢は私を、現実では遠すぎる貴方に、死ぬまで話せず終わるかもしれない貴方に届かせてくれる。たとえ現実の記憶でなくたって、こういう光に支えられながら私は、人生を続けることができる。

 この夢が本物の貴方の人格をなにひとつ正確に映してはいなくて、すべて私の妄想で、それは私が勝手に作り上げ消費した偽物の貴方だということに目を瞑っても、貴方は許してくれるだろうか。許してくれないだろうな。だからインターネットの海に流して、海底に埋もれて、貴方には届かなかったらいい。

 今日、私は昔貴方が上げた写真を見て買ったドクターマーチンを履いて、貴方のきっといるであろう東京へ行く。外へ出ると暖かくて、春みたいだった。

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