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あの時の鏡ような私は今のために

これを言ったら姉にはそんなことないと笑われるかもしれないけれど、私は割とわがままを言わない妹であり、末っ子だったように思います。
姉の話をずっと聞いて回って、姉の真似っ子をして、嫌われるくらいまでに追っかけていた幼少期。自己主張をするどころか、すっかり姉の話にのめり込んで信じて、嘘のお話に涙を流したり(笑)

それは学校の友達に対してもそうだった。いつも大事な友達が何か嬉しいことがあったとか、好きな男の子と話せたとか、好きなアイドルの映画を見にいったとか、そんな話をずっと聞いている。
おそらくは高校2年生くらいまではそういうスタイルが身についていたと思います。

だからいつも自分の好きなことは、自宅に帰って自分の部屋でじっとしている時にしか起きなかった。好きな雑誌を読んだり音楽を聞いたり絵を描いたり。本当に内向きな子供だった。でも外では一応外交的でもあった。
外にいる自分と、家の自分の部屋にいる自分はいつも別人だったんです。

自分でもどうしてそうなったのかわからないし、それが嫌とも何とも思っていなかったけど、後々大人になっていくにつれて、それがコンプレックスになったことはありました。
つい姉の価値観を自分の価値観のように話してしまったり、それを見透かした長年の友達が「それってお姉ちゃんのでしょ?」とか「お姉ちゃんに教わったの?」と嫌味っぽく言ってくることに気づいた時、自分がないのではないかと不安になったのでした。

鏡のように近くにいる人を写してしまう自分が怖くて、ちっぽけに思えて、高校生くらいから、わざと自分を表現するようになったり、群れから外れてみたり、みんなとは違うことをやりだしました。
おそらく、17歳くらいから34歳くらいまでは、そうやって自分らしさというものを追求して人と違うことに賭けていた時代だと思います(笑)

それでもやっぱり「鏡のように相手を写してしまう」自分の特性というのは今もまだ持っているもので、それはコーチングや占い、お茶事の時にも如実に現れます。
だからキッパリと「あなたと私は違う人で〜」みたいな海外の人特有の個性をバリバリ出す感じにはなりにくいというのが私の性格かなと思います。

でもこれはこれでとてもいいところがあって、鏡のように共感性を発揮するから人の気持ちがわかる、相手の気持ちを乗せることでもっと大きなものを生み出せるということでもあると思います。

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先日「スマホ時代の哲学」という本を読んでいたら、こんな言葉を見つけました。

現代人は、ごちゃごちゃと集まって、自分の中ですべての考えを完結させ、人の話も聞かずに、がちゃがちゃしゃべりまくっている。ちょっと深そうな話を聞くと、それを即座に取り入れて、それに基づいて何ごとも判断し、宣言し、決めつけることができると思ってしまう。すべては「おしゃべり」のネタにすぎないもので、自分自身がどうかなどは棚上げされています。

谷川嘉浩 著「スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険」

現代人はスマホで常時接続されているから、何でも知っている気がしているし何でもできるのに、どこか自分が何者かわからずに孤独を感じる人が増えているということです。

これは私もSNSでお見かけする人に少しばかり感じていたところで、何だか辛そうだ…と勝手に思っていました。
でもだからこそ、私みたいな、鏡のような存在だけど謎の個性を持っている人間にお手伝いできることがあるのではないかなと思ってしまいました(笑)
私は共感性も持っているけど、その反面めちゃくちゃ頑固な個性を持っているというのも自分自身で自覚しているんです。17歳〜34歳の謎の個性力UP期間を経て、私はだいぶ共感と個性をスイッチングできる人間になりました。

こういうものを神様から与えられたギフトというのなら、今この瞬間に使った方がいいなと、野生の勘、もとい直感がそう訴えているんです。
だからあえて今日はダイレクトに言います。
ぜひお悩みをかけている方は、私の元へコーチング受けにきてください。占いだけでも歓迎(結局コーチングっぽくなるから)。

待ってます〜。

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