いつもの公園がもっと気持ち良い
今日の午前中、会期前から楽しみにしていた近所の美術館の民藝展示を見に行きました。(月末に終わってしまうので超ギリギリに行くのがまさしく私らしい…苦笑)
私は高級な器よりも、道具や日用品の民藝が大好きで、昔うつわの記事をブログで書いていた時期も民藝ばっかり見ていました。
結婚した時の記念の贈り物も恩師に小鹿田焼をおねだりしたし、離婚した今もそれを大事に日常使いしています。
さて、今日お話ししたいのは民藝の話ではなくて。
久々に行った美術館。その周辺の公園は毎日散歩しています。それなのに、美術館には今まで2回くらいしか入ったことがなくて、今日はせっかくだからと館内をうろうろしたり、周りの環境を眺めていました。
そして、この公園にこんなに人がいたんだ〜という発見と、静謐で知的で愛に溢れた空間があったことに気づきました。
毎日素通りしてしまっているけど、そこにはさまざまな人の息遣いがあるし、作品を作った人の声も聞こえてきました。
そして、ふと私は「なんで毎日公園に散歩しにきているのか?」ということを考え始めました。
一番最初は運動しなきゃ筋肉が弱る!ということからでした(笑)。
一昨年くらいに割と大きい山を登ることになり、山登りをする前に足腰を鍛えなきゃねとお茶の先生と話していて、「近所の公園を散歩するのがいいかも」とアドバイスをいただいたことがきっかけ。
そこからほぼ毎日、音楽を聴いたり、ぼーっとする時間を毎日公園で過ごしてきました。本当に目的はなくて、ただ「そこにいる」ということが目的でした。
そして徐々に、木に触ってみたり、木漏れ日を好きになったり、公園に来ている子どもたちや恋人、家族、犬仲間のグループの人々を観察するのが好きになったり、季節の植物を眺めるのが好きになりました。(お茶の先生とは公園の植物コーナーの話をいつもしている)
そして公園に行くのは、「美しいものに触れる中で、自分と繋がり、振り返る時間を過ごしているんだな〜」ということに気づきました。
完璧なバランスで調和が取れている自然に美を感じるし、その美しさや清らかさに触れることで、自分の何でもない素の部分に触れているんです。
そしてその素の部分を理解してあげることで、また現実に戻っていくんですね。
美しいものに触れるって本当に大切です。
芸術もそうだし、音楽もそう。人の心の美しさに触れた時、自分の素の部分が反応するんです。「これこれ!これが好きなんだよ」って。
美術館もそういう効果がある。今日は本当に行ってよかった。
いつもの公園がもっと気持ちよかったな〜という雑記でした。笑
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