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自分になればなるほど純化する

目標に向けて、理想像に向けて、頑張れば頑張るほど、「できてない」「何でできないんだ」と焦ってくる現象を近くの若い子達をみて感じていました。
自分責めが続いて、それがやる気に変わっているうちはいいけれど、ある日ポキッと心が折れてしまって、急な休みや反応がなくなる様子を見て、「ああ、あの子は自分になることができていなかったんだな」と感じます。

「自分になる」ステップのひとつに、まずは「自己受容」がありますが、実はそれはそんなに大それたことではないのかなと思います。
自己受容は、今のありのままの自分を認めるということで、ある意味諦めの気持ちも含む部分もありますし、そういうのは意外に日本人って得意なんじゃないかと思います(無の境地というか…)。

実は一番の課題は、「なぜその目標や理想像を持ったのか」という背景にあるのではないかと思っていて、それがネガティブを払拭するためだったからなんじゃないかと思うのですね。

「親がお金に苦労していた姿を見ていたから自分はそうならないようにしたい」とか、「自分に自信がないからできることを増やして自信をつけたい」とか、マイナスからゼロになりたいと願う気持ちを自分の真ん中に置いているから、「いつまで経ってもゼロにならない…ゼロ以上をいけない自分は平均以下だ」という思い込みに悩まされるネガティブループなんじゃないかと思います。
もちろん、マイナスからゼロにする時というのは、生存本能で生き抜く部分があるのですごくエネルギー値が高くなるんですが、それは瞬間法則的なもので、ずっと自分を燃やし続けられるエネルギーにはなり得ない。
だからずっと湧き続ける泉のように、エネルギーを燃やし続けられるものが本当は必要なんです。それは紛れもなく「自分である」ということにヒントが隠されていると思います。

「自分である」ことは自分を偽ることではないので、「〇〇さんみたいになる」と誰かをコピペすることではないです。
自分のことをよく知って観察した上で、「これが好きなんだな、これが得意なんだな」ということを自分にやらせてあげて反応を見る、自分育成ゲームに近いかもしれません。
だからここでは「自分を飽きさせない」ということが大事で、本当は自分のご機嫌を常に自分で取ってあげることが必要なんです。
なのに多くの人は、自分のご機嫌じゃなくて周りの人のご機嫌をとって自分のことのように感じているからわけわかんないことになってると思います。笑

よく勘違いされることで「自分である」=「人と比べない」「私はこう!という自分を打ち出せる」みたいなことを思っている方は多いと思いますが、それはちょっと違うところにフォーカスされていると思います。
というか、人と比べないで生きるって割と至難の業です。どうやっても他の人のこと見えてしまいますから…。
ただ、周りを見るか自分を見るかの主軸をどこに置くかで、毎日の見え方が変わってくると思います。「自分のご機嫌今日も取れた〜!」の繰り返しで「よしよし、自分いいね!」という自分好きになればなるほど、無駄なものが濾過され、純粋な湧き水のようにそのままの自分でいることが当たり前で、エネルギーも枯渇することがなくなるんだと思います。

よく言われる言葉「そのままのあなたでいいよ」に違和感がある方は、「自分のご機嫌取れてる?」と自分に問いかけることから始めていってもいいんじゃないかなと思います。




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