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恐れでも欲望でもなく、それは罪悪感

30代中盤より上の世代(おそらく1988年くらいまでの生まれの方々)は、なんとなく家庭におけるバランスを取るということで、罪悪感を感じやすい世代なのではないかと勝手に思っています。

例えばそれは、相手がそんなことを言わなくても、なんとなく「妻の方が先に帰って食事を用意した方がいい」「子供の面倒は母親じゃないと難しいし、母親が負担すべきだ」「子供がいるならなおのこと、夫よりも自分が家庭を優先すべきなのではないか」「私が夫より稼いだら夫に申し訳ないのではないか」「結婚しなくても、付き合ったら女性の方が家事をした方がいいのではないか」など、軽く呪いにもなっているほど(笑)。

なぜならそういう親の背中を見てきた世代だから、まさか自分たちの世代でその構造が変えられるとは想像もしていなかったから。

けど世の中はどんどん変化していって、男女差を感じるどころか、「もっとさまざまなセクシュアリティを理解しよう!役割をこえよう!」と訴えている。
35年くらい慣れてきた環境を今日や明日変えようというのは、意識レベルではできても体感レベルではなかなか難しいというのが本音だと思います。

かくいう私も、いまだに自分の方が家事をした方がいいなと思っている節があって、それは私の方が家にいる時間が長いからなのだけど、どこかで「女性の方が家事をやった方がいい」という旧式の価値観がチラチラしているのは否めないです。

ある時は「きれい好きで料理好きな女じゃないと嫌われるんじゃないか」という恐怖から、またある時は「私は家事や料理が好きだから」と自分の欲望に置き換えてみたりしたけれど、最終的には自分の「罪悪感」が関係していることに気づきました。

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専業主婦だった母は、父の事業の経費精算くらいはお手伝いしていたけれど、会社にそんなに責任はなく、ずっと家事・料理・洗濯・育児・犬の面倒などをしてきた人でした。結婚前に数年会社勤めはしていたけれど、結婚してからは一度も働く姿を見たことがありませんでした。
私が中学生の頃、ふと父が「あんたも仕事するとか、好きな趣味に打ち込むとかすれば?」と母に言った言葉の棘がなんとなく忘れられなくて、ずっと「お母さんは自分の好きなことができない可哀想な人だ」と勝手に認定していました。それでも、今年73歳の母は私が生きている間一度も働いたことがありません。

私はいつも母が自分の人生を生きられていないと勘違いしていました。ずっと「かわいそう、ごめんね」と思ってきた。だからこそ、家事や育児を一生懸命やってくれた母を見捨てるようで、自分が家事を放棄したり、手を抜くことが母を裏切るようで怖いのかもしれない。
いつも「自分は家庭も自分の仕事も充実してみせる」という気持ちがあるんです。

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もし同じような気持ちを持っている人がいたら、それは恐怖でもなく、欲望でもなく「罪悪感」なんですよ〜と伝えたい。そして罪悪感の元は、「親を助けてあげられなかった。こんな自分でごめんね」という愛情の裏返しです。
ただ愛情の伝え方は、罪悪感を感じることじゃなくても、直接的な親孝行でもたくさんできる。複雑でとっても難しいけれど、一つ一つ紐解いて、自分と家族と和解して行けたらいいですね。

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