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ようやくわかった「サードプレイスとしてのカフェ」の価値

「コロナ自粛にあわせて自宅グレードアップした!コーヒーも自分で淹れるのが楽しい!カフェなど不要!」

と息巻いていましたが、結局今日も一人でカフェに来ています。

あらためて、サードプレイスとしてのカフェの魅力に気がついたからです。

家族との時間は幸せだが、疲れもたまる

わがやは4人家族。妻と3歳6歳の子供がいます。

テレワークがはじまって、幼稚園は分散登園、妻もぼくも基本リモート。

なので基本的にフォーマンセルで動いており、家族と過ごす時間は、コロナ前に比べると飛躍的に増えました。

これはこれで幸せなのですが、どうしても疲れはたまります。

特に手がかかる年齢と遊びざかりの掛け算な子どもたちは、ほぼ常時「パパ遊ぼう」「パパ、マインクラフトごっこしよう」「パパ、おにいちゃんが叩いた」という感じ。

休日はもちろん、仕事が終わって自宅デスクを離れた出た瞬間からこれなので、「一人時間」がほぼない状態。

子どもたちはかわいいので、気分的には超癒やされていますが、思考リソースと肉体的にはすり減っていく一方なのです。

「一人時間」のためカフェに行く

すると

「好きな音楽に心をあずける時間がほしい」
「しっとりコーヒーを味わう時間がほしい」
「まとまった時間でゆったり本を読みたい」
「ただひたすらぼーっとする時間がほしい」

という思いが募っていくもの。

しかし家の中ではどうしても無理。

なので、「一人時間」のためにカフェに出かけるのです。

目的はコーヒーじゃなくて、誰にも邪魔されない一人の時間。

妻も「一人時間」の必要性を理解してくれており、いつもなにもいわず「行ってらっしゃい」と送り出してくれます。

いつも戻る時間を約束し、その間子どもたちを見ていてもらい、ぼくはスマホとイヤホンと書きものをするためのキーボードとスマホ台を持って、ふらっと近所のいつも空いているカフェへ行く。

というのが、いつものパターンです。だいたい1〜2時間くらいで戻ることが多いです。

「一人時間」の過ごし方は人それぞれ

あるとき、妻に聞いてみました。

「きみも一人時間がいるんじゃないかい?」「一人でカフェで本を読むとか」と。

すると、「わたしはカフェじゃなくて寝てるほうがいいかな」と。

たしかに、妻はよく短い睡眠を取ります。起きるどほぼ必ず「寝させてもらっちゃった。子どもたち見ててくれてありがとう」と言ってきます。

つまり、ぼくは「一人カフェ」ですが、妻は「短い睡眠」が、一人時間の過ごし方なのでしょう。

もしかしたら、人によって「散歩」「ジョギング」「タバコ部屋」「ゲーム」「ものづくり」など、それぞれなのかもしれませんね。

まとめ

「カフェはサードプレイス」という言葉は、よくネットで見ており、なんとなく頭では理解していました。

しかし、これまでは「カフェ≒コーヒーを飲みつつ一人集中して作業する場所」と捉えていたこともあり、あまりその意味を実感できていませんでした。

が、コロナ自粛により「一人集中作業」「コーヒー」が自宅環境でカバーされた結果、残った要素である「サードプレイス」としてのカフェの価値がわかるようになってきました。

自宅コーヒーだけでは足りない部分は、短い時間でも「一人カフェ」で補っていこうかと思います。

今日も良いコーヒーを。