今日も明日も可愛いを武装していたい。

「愛嬌とは自分より強いものを倒す柔らかい武器である」(夏目漱石) 私の好きな名言です。
愛嬌が武器なら、私にとって可愛いは武装ではないかと思います。

遡って数年前の話をすると、自分に自信が無くて昼間の地上を歩けない、という時期がありました。なるべく地下通路や人目に触れないところを選んで歩く。日傘で顔を隠すように歩く、あまり光の当たらない場所を選んで歩く。太陽の光で鮮明に映る自分が嫌いでした。


学生時代に評価されやすい環境で育ち、肌荒れで悩んでいた時期、肌荒れが酷いね、可哀想な顔だね。と言われ続けたことがコンプレックスでした。鏡に映る自分がたしかに可哀想な顔に見えました。努力してもなかなか実らず何度も泣きながらメイクをして隠すことに必死になりました。感染病が流行る前からマスクをして過ごしました。綺麗な鏡に映る自分を見るのが怖かった。可愛くなりたいよりも今あるマイナスを少しでも0に近づけるために努力する毎日でした。最近は以前よりも改善しあまり気にすることはなくなったけれど、自信がなくなった時にはマスクをして、なるべく暗い道を歩きたくなるクセがあります。


その時の私に魔法をかけてくれたのがお洋服でした。
ひらひらなチュール素材、キラキラなスパンコール、丁寧に施された刺繍、繊細なレース素材、ギャザーいっぱいのスカート、チェック、花柄、ジャガード素材。

どこかに一癖ある"かわいい"があるだけで
自分も可愛くなったような気になれるお洋服が大好きです。モミの木にオーナメントやてっぺんに星の飾りをつけたら、クリスマスツリーになる感覚に近い。
このお洋服に似合う自分になりたい、 どんな服装が似合うのか、髪型やメイクは?気分が上がるからたくさん着飾りたい、毎日ファッションショーな気分で歩きたい、ディスプレイに反射する自分を見てお洋服が可愛いことで背筋を伸ばしてお出かけしたい。下を向いて歩いてしまう時に広がる視界がお気に入りのスカートやボトムス、靴だと少し気持ちが良い。そんなお洋服・アイテムを作りたくて、デザインのお仕事もするようになりました。

私の「可愛くなりたい」という気持ちは、
もはや執着心に近い、と思います。執念とも言える。

結局、大人になってからも「作られた可愛いなんだね」と言葉をかけられました。学生の時には「可哀想な顔だね」と言われた。
作られた可愛い、そうかもしれません。確かにあの頃可哀想にみえたかもしれない。でも、なんだかそんな言葉がもうどうでもよくなりました。
何をやってもどう変わっても変わらず槍が飛んでくるのであれば、自分の好きな自分でいることが1番大切だなと思えた。まだ、他者を介して自分を評価する癖は残っていても、槍が刺さらなくなる程の武装ができるようになった。私は槍を持つ側にはならない。

本名は真由美、なのにニックネームがまよ、なのは自分のことが好きじゃなかった時期に現実と切り離した存在として当時作ったものでした。真由美ではなくまよ、として自分の好きな自分を存在させて鼓舞させるような。
でもバチェラーで明石真由美として参加し終えて、真由美もまよもどちらも私だと自分で肯定できた。どちらもちゃんと私で、作りものではないと確認できた。周りからどう映っていたとしても、自分自身を認めることができたきっかけになった。そしてその上での可愛くなりたい、というこの気持ちはもう誰のためでもなく、私のためのものになっている、と思いました。


最近は優しいメッセージや温かいお言葉もいただけて、心から嬉しいばかりです。
お洋服を参考にしたいと言ってくださる方、趣味嗜好が同じ方など今までにない出会いが広がったように感じ、頭の右上に大きめなおんぷが出ているような気持ちです♩.•

拙い文章ですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

今日も私は可愛いを武装して、これからもずっと研究して、たくさんの可愛いを作り続けたい。負けず嫌いで執着心だらけな全然可愛くない私で柔らかく倒し続けるぞ、という気持ちで🌸


明石真由美 / まよ

わたしの日常は
Instagram
🏷 @__mayotan__

わたしの可愛いを作る場所は
🏷mayo design







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