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蝶になりたい精神障害者

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双極性障害という精神疾患を患い、発達障害(ADHD、ASD)や境界性パーソナリティ障害だと診断された黒川 陽の生い立ちを描いたエッセイ集。
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記事一覧

蝶になりたい精神障害者 #5

いま通っている病院は薬に関する知識が高く、また認知療法や認知行動療法に重きを置いている。 あと犬がいる。かわいい。 ただ、わたしの不安はそんな簡単に消える訳ではなかった。 カウンセリングを受けても意味があるのかわからなかった(最初は臨床心理士さんの聞いている意味や意図が不明すぎて不信感しかなかった)し、薬が減ること自体が怖かった。 でも、このままでは一生ラムネ菓子のように薬を貪る日々が続くのだ。 2週間に一度、わたしは犬に会える、犬に会える…と自分を奮い立たせ頑張っ

蝶になりたい精神障害者 #7(最終話)

そういえばわたしって音楽だけはずっと好きなんだよなあ。 しかも音楽にだけは裏切られたことないし。 そんなことをふと考えた。 だからって音楽そのものの道を志そうとは思わなかった。多分才能もないので(歌うことはいまでも好きだけど)。 その頃、没後50年とかで三島由紀夫がよく特集されていた。 なんとなく興味を持ったわたしは彼について調べてみると、彼の日本語の使い方や情熱に虜になった。 彼は小さい頃から日本語が好きで、辞書を「引く」ことはせず「読む」ことをしていたらしい。1

蝶になりたい精神障害者 #6

前回書いたアパレルチェーン店での自分の出来損ないさに幻滅したわたしは、また引きこもるようになる。 どんな仕事も向いてない。 何もできない人間なんだ。 やりたい仕事(当時は事務)はあったが、できる自信はもちろんなかった。 その前だか後だか、父親が死んだ。 あれだけ荒れていた父親だったが、死んだのは悲しかった。 本当は理解し合いたかったし、好きだったからだ。 実は死ぬ1週間前くらいにめちゃくちゃ荒れ狂っていた父親をなだめて和解していた。 本当はお父さんが好きだから、物

蝶になりたい精神障害者 #4

大学生になり、通学時間は往復5時間。 毎日、毎講義、きちんと真面目に通学、出席していた。 新しい環境が新鮮でなんとなく刺激になったからか、勉強もなんとなく面白く感じるようになった。 でも、大学生がやるべきもうひとつの恒例行事、アルバイト。 これがなかなか難関だった。 通学時間は長いわ、勉強は大変だわで両立できるか不安だった。 そもそも地元の茨城でやるべきなのか学校がある都内でやるべきなのかよくわからなかった。 結果的に色々なアルバイトを経験したが、人に何かを教える

蝶になりたい精神障害者 #3

こんな高校入りたくなかった。 そんな思いしかなかった。 担任の教師はパワハラ教師(よくよく付き合ってみたらただの熱血漢で、本当は情に厚いいい人だったけど)、体育で最初に覚えさせらることは某国のような整列と行進、高校1年生の化学では高校3年間分のカリキュラムを叩き込まれ、その3年間分の化学と数学ⅠAの理系選抜テストに受からないと理系に進めない。 クソ。 わたしは勉強しなくなった。 やらされるだけの勉強がつまらない。何も覚えたくない。知識欲がない。 また、課題は出せない

蝶になりたい精神障害者 #2

中学校に上がり、周りは小学校がバラバラなのになぜか打ち解けていく。 わたしは他の小学校の子と仲良くしようとすると「あの子小学校でいじめられてたらしいから仲良くしない方がいいよ~」とそそのかされたと聞いた。 だからなんなんだよ、と思ったが子どもなんてそんなものなのだろう。 また、いじってもいない眉毛を教頭に嫌味で「かわいい目をしているね」と言われたり、担任の先生になぜか目を付けられて事あるごとにくどくど説教されたり、わたしの無知で口走ってしまった「わたし、スカート上げてる

蝶になりたい精神障害者 #1

茨城県の某市に生まれ、わたしは6歳まで育った。 学習障害は見られないものの、変わった子どもだったという。 道路で大の字になって寝転がってみたり、ひとりっこなのにどこで覚えてきたのかもわからない「ワン、ツー」という言葉を繰り返しながら一歩一歩を踏み出してみたり。 自分でよく覚えているのは、ひとりで保育所で大きなタイヤの中で砂浴びをしていたことだ。 私の中での保育所の生活では、これが一番楽しかった。 コミュニケーションが苦手な訳ではなかった。むしろ好きだった。 スーパーで