誰かを応援するよろこび、できることが増えた

昨日、ある友だちとご飯に行って、その時に自分がその人に話したことで、残したいなと思ったもの。

私、小さい頃から「どうして生きるのか」とか「目的って?」っていう、それは考えても分かることじゃないかもしれない、無限と相対する感覚に近いものをずっと考えてきた。...そういうのって、いつどんな風に答えがあるものなのか人間レベルには想像がつかないことだと思うし、悩む時間が長くなって人生に影響をハッキリと及ぼすようになってから、それに悩んでる自分自身は他から見て「恥ずかしい」んじゃないかと思っていた。私にとっては生きる為に必要で、自然に考え始めたことだったけど、こんな事考えなくて済む人生だったらたぶん幸せな人生だったのだろうと考えてしまったり、とはいえ自然と向かい合うわけだから、孤独や暗闇と相対する。ずーっと暗闇を生きてきた気持ちだったから、そんな私は、他の人から見たら、もしこのまま私が悩んだまま・答えが見つからないまま一生を終えたとして、「あの人かわいそうな人だったね。」と私の人生や存在自体が言われて笑われるんじゃないかと思っていた。
私は、悩む時間に意味があるのか、これでいいのか、自分でも分からずに悩んで、それでも行動して何とかやってきたみたいな感覚だった。

ただ、びっくりなことに、最近私は答えを見つけた。『何がやりたい、どう生きたい。』を、見つけてしまった。同じ問いを持ったとして見つけられる人はいるのかくらいのテンションだったのに、見つけることが出来て、しかも20代で、見つけたのは思ったよりかなり早い気がした。
終わりなき気持ちで毎日を過ごした20年っていう時間は長かったのか短いのかよく分からないけど。『今答えがある』ということに対して、それまで悩んで本当に死ぬよりも苦しかった時間を振り返ってみると、救われて、全部肯定できる気がした。

これまで、同じように悩む人がいて、「それでいいのだ。」という勇気がなかった。私も私が肯定できてなかった。

でも、自分で見つけた答えがある。
同じ問いを持つ人がいたら、答えを出した人がいるというのは大きな希望になれるかもしれないと考えると嬉しく思う。だとしたら、とても嬉しい。
あと、自分と相対する時の暗闇の存在自体も肯定することが少し叶ったし、光も知れた(これからもっと学ぶけれど)。また、この生きてきた時間を通して自分に自信を持てたから、同じ旅をする誰かの背中を押す力も増した気がするし、その役割ができるのは今も昔もやっぱり私の嬉しいことと思う。

答えを出せたから、自分を誇りに思えた。生きててよかったと、人に伝える未来の時間のことも込みで、今はすごく幸せである。
道の上は、どんな体験が待っているのだろう。ワクワクしています。

私は常々、人には自分にしかない地図や辞書がある・個性のある悩みがあると言ってきた。人生の様々なタイミングで起きる、自分の人生を表す大事な悩みがあると。それは決して怖くても手放してはならないし、苦しみより向き合った時の得られるものは多いと信じてきた。

その自分の悩みや道をまっすぐに進めと伝えられる。自分の道でここまで歩いてきたことはとても大きな中継地点で、私が私を肯定でき、またこれからの私に大きな影響を与える出来事だと思う。

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