箱を推すということ

今とりあえずいただきものの特上大魔王をサワーで割ってのんでいる。

そして私はいまスノーマンがとても気になっている。老若男女を魅了している彼ら。しかも9人もいるのに、老人は9人も名前覚えられるのか?と思うが、老人の頼りない記憶力だけでも覚えられるほど粒が大きいということなのか。

アルコールが体内に吸収されるとスノーマンの歌を摂取したくなるようになっている、そういうシステムに私は今組み込まれている。

本当のところ今までいろんなアイドルの現場行ったり、追いかけたりしてきたけど、正直会った事も話した事もない彼らを偶像として崇めて自分のお金と時間を注ぎ込む行為に少し冷めている自分がいて、そこまでの熱量を注ぎ込めない。
それがなんだか悲しくていわゆる「推し」を作ろうとしてみた時もあったけど、結局その「推し」がグループを抜けた途端スッと冷めてしまう事が多々あった。

つまり私はアイドル個人というよりその「箱」ご好きなんだということにたった今気づいた、、!(酒を飲むとたまにこういうことをピンと思いつくから飲酒はやめられないンだよ)

個人としては完成することは完全に個人の努力に依存しているが、箱として完成するには個人の努力だけでは成し得ない力が必要だと思う。
大前提として各々が箱のために人生の時間を費やしているという尊さももちろん崇めるべき対象だと思ってる。個人の思想なんて移ろいやすいものだけど、今この瞬間はこの箱に所属する各々が同じ目標を見て、箱にいることに納得してこの箱に所属している。それがまず尊い。社会に出て集団で生活しているとよりそう思う。

特にスノーマンは紆余曲折あって現在の9人になった、らしい。
各々は個人より箱が存続することに重きを置いて、9人でいくことを選んだのだとすれば、箱としてここまで完成されている今この瞬間はなるべくしてなっている。そんな気がする。
箱や集団、組織でいることに重きを置く考え方って割と日本人的な気がするし、そこがいろんな人の共感をよんでいるというか、親しみを感じる部分の一つではあるのかなと思った。

もう少し話をまとめるのがうまければいいんだけど、スノーマンやば〜ってことが言いたかった⛄️

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