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子供に「なぜ勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたら、どうするかについて

答え: 自分が勉強しましょう

理由:

 なぜ、子供は「なぜ勉強しなきゃいけないのか?」という質問をするのでしょうか。僕には子供がいないのですが、この話が話題に出るたびに、少し考えてこんでしまうことが多いのは確かです。

 答える前に、実は自分も同じようなことを考えることがあります。少なくとも、自分は周囲よりも勉強が好きなタイプの人間であるとは思います。いまさらになって数学を勉強し始めたり、英語の単語を覚えたりなどをします。

 これらが長く続くことはあまり無かったのですが、少なくとも、自分にとっては「知らなかったことを知ることが楽しかった」というのもあるし、「自分が出来なかったことを克服する」ということは楽しかった、という経験があります。だから、ある意味において、自分にとって「勉強」は楽しかった、といえます(ヘッダは最近やっている数学の勉強ノートです)。

 とすると、答えとしては「勉強は、実はそれ自体は楽しいから」ということが出来るかもしれません。実際、妖怪ウォッチの名前すべて覚えるとかそういうのは苦なくやっちゃったりするのが、子供です。自分も子供のころ、ポケモン151匹を覚えたりしました。自分の周囲において、そういう声はあまりありません。なぜなら、「知らなかったことを知ることが楽しい」ということは、「知らないことを知る苦しみ」を体験しないといけないからですし、大抵はそっちのほうが強い。

 子供にとって、勉強とは「知らなかったことを知る苦しみ」なのです。しかし、周囲の親、あるいは大人を見て、こう考えると思います。「なぜ、あの人たちは知ろうとする苦しみをしないのに、自分はしなければならないのか」、と。

 そのとき、僕もそうですが、「過去に勉強していればよかった」と言いがちです。自分も、エンジニアになってから、ちゃんと数学をやっておけばよかったなと思うことがあります。しかし、ここから帰結するのは「なぜ、今やらないのか?」ということです。そんなこんなで、「じゃあこのまま数学に劣等感を覚えててもしかないし、すこしやってみよう」と思って、勉強の最中です。正直、大変なのは間違いないです。

 「勉強をやらないと将来困る」ということを皆は説教として言います。しかし、目の前の大人は勉強をしないのです。もし、「勉強をやらないと困る」ということが正しいのならば、目の前にいる大人たちは「将来困ること」を選択しているということになります。

 さて、ここでこう推論できます。「将来困るようなことが起きたとしても、それは今解決する必要がないほどには困らないことなんだな、なぜなら彼らはそれを解決しようとしていないから」とも言えます。とすると、やっぱり「こんな苦しいことをやる必要なんてないんじゃないか」ということになります。

 前にも書いたように、勉強ということを「自分が知らないことを知るようになる、できるようになる喜び」と考えるならば、「なぜ勉強しないといけないのか」というのは、質問の可能性があったとしても、しかしなんだか馬鹿っぽい質問にも見えます。例えば「なぜおいしいものを食べないといけないのか」という質問は哲学的には問えますが、日常的には「おいしいから」で済むような類のものです。

 私見ですが、自分が得になるようなことに対してはわざわざ質問しないのです。黙ってそれをやるのです。俺はそのように考えています。

 子どもが「なぜ勉強をしなきゃいけないのか」と聞くのは、あなたが勉強をしないからであり、また周囲が勉強しないからであり、勉強しなくても得している人なんて幾らでもいて、さらに勉強をしても苦しむ人がいて、そんな人たちの周りでなんで自分は苦しまなくちゃいけないのかと思うのではないかと考えます。

 だから、答えというよりも、その問いに対する正しい振る舞いは、「あなたが勉強を始めましょう」ということなのです。そして、子供と一緒に苦悩するべきなのではないかと。「なんで勉強しなきゃいけないのか」、と。そう考えると、この質問はとっても素敵な機会を与えているように感じます。

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