見出し画像

時岡すずを愛することにした

ホームレスシェルターでのボランティアの帰り道。地下鉄の階段を降りていると、背丈が190センチはありそうな黒人のおじいさんが杖をついてやってきました。杖をこんこんしながら、あっちにいったりこっちにいったり、ゆらゆら、ゆら。もしかして目が見えていないのかもしれないな、と思い声をかけると、Thank you, Thank youと言って腕を掴んで階段を降り始めました。すると言うのです、「10ドル寄越せ、それか死ぬかどちらか決めろ。」 ポッケを見ると刃物がキラリと光っています。だけどおじいさんの眼には黒い部分がほぼ無くて、目が見えていないことは明らかです。こんなんで刺せるわけがない。そう思い平然と言いました。「なんでお金がいるんですか?」「決まってるだろう、僕はホームレスなんだ。こんな寒い日には寝床がいるんだよ。」「じゃあ私が働いているシェルターをご紹介します。今から電話をかけますね。」「そうじゃない!金をよこせと言っているんだ!!」「泊るところが欲しいんですよね?」「ちがう、金だ!」「でも泊まるところがあればお金はいらないはずですよね。この階段を下りたいんですか、下りたくないんですか?もし答えられないんなら、ここで失礼します。」そういって彼を階段の上に戻し、スタスタと歩いてホームのほうに向かいました。根気強く話せばよかったぁ。今夜寝るところはあるかな。そう強く後悔しながら。

それからというもの、大きな黒人の男の人を見るたびに体がこわばってしまうようになりました。まさか、私はおじいさんを黒人と一般化して怖がっているの?そんな訳はない。貧困に陥ってしまうのは歴史と社会のせいであって絶対に彼のせいではないじゃない、なのになぜ彼を怖がる必要があるの?その直前までシェルターでボランティアだってしていたじゃない!生き方の不器用さが貧困に繋がっているんだもの、不器用な接し方をしてきて当然でしょう??どれだけ正当な理由を並べてもその恐怖心は消えることはなく、あのとき私は怖かったのだ、逃げたかったのだと認めざるを得なくなったとき、わたしはどうしていいのか分からなくなってしまいました。

「わたしが1番綺麗だったころ」。戦争中に青春を送った茨木のりこさんによる、一生元に戻らない青春を時代に奪われた悲哀を詠った美しい詩です。その詩が大好きなこともあってか、何気なくTwitterで「わたしが1番綺麗な時に」という言葉を使ったところ、「女性は何歳だって綺麗だ」というdmや、「こんなリベラルな若い子でも10代が1番綺麗だと思うんだね(苦笑)」というコメントを頂きました。間違ったことをした、と思いました。私が何もない空間に向かって「女性が一番きれいな時代は10代だ」と呟くのと、沢山のフォロワーがいるSNSでそれを言うのでは、意味合いが全く違ってくるからです。山邊鈴は皆が納得する、皆のためになることをやらなければ、言わなければいけないのです。だから、本来は自分が黒人の男の人を怖いと思ってしまったことなんて、ここで絶対言うべきではないのです。世の中を良い方向に傾けることができる、そう確信する正しい言動だけをして生きていかなければならないのです。

真っすぐであること。私欲を持たず、全てを捧げ誰かに仕えること。それを人生の目標として設定して、それらを私を私たらしめるものにしようと生きてきました。いうなれば自分の命は公共財で、そんな公共財が自分の機能に反して趣味や好きな物を持つなんて想像できませんでした。例えば誰か好きな人が出来て、彼との子どもが欲しいと思ったとします。彼とデートしたいと思ったとします。だけどそれは死にゆく人たちのために使えた時間で自分の子どものために働くということであり、募金に仕えたお金でアイシャドウを買うということです。公共財にそんなことは出来ません。だから、同級生のインスタに躍る修学旅行のディズニーの写真を、インドの牛小屋で見た時も、全く心は揺らぎませんでした。むしろ、ちゃんと自分は機能通りに動けていると安心したような記憶さえあります。

いまわたしは、政治家になりたいと思っています。誰かに仕えたい、そう願う人に一番なって欲しい仕事だからです。しかしながら、学べば学ぶほど本当は政治に興味がないのだということを実感するようになってしまいました。権力の動きなんかよりも、何物でもない人のささやかな生活を愛していているからです。向いている順に文系の学問を並べると、文学→哲学→教育学→心理学→社会学→経済学(ミクロ)→経済学(マクロ)→政治哲学→その他政治学(方法論、比較、国際等)になるんじゃないかな。それでも経済と政治学を専攻しなければならないと思っています。なぜなら、人々の視点から社会を見つめるような人こそ、大きな人の視点も学んで、今の政治の現場にいる「べき」だと信じているからです。

政治家に最も向いているのは鈍感な人じゃないかと思います。人々から何を言われようとやり抜く図太い精神。一方、物を書く人に必要なのは、すべてを感じること。世界中の瑣末なものを、全身で拾い集めていくということです。道に落ちる枯れ葉の一生に思いを馳せ、あなたを思って泣いた翌朝二重を懸命にお箸で戻し、ピアノの一音一音に絶妙な色の違いを感じるということです。誰だったかは忘れてしまったのですが、国語の便覧に「少女の眼を持つ詩人」と紹介されている人を見て、ひどく惹かれたのを覚えています。だけど、少女の眼をもつ人に、誰が政治家になって欲しいでしょうか。私は少女の眼を持つ詩人を愛している。だけど私がやる「べき」ことは詩人になることではないのです。少女が少女のままでその脆い感受性を咲かせ続けられるような社会を守り続けること、これが私の役割分担だから。もちろん物書きと政治家なんて、ひとりのひとが両立できるわけがありません。

こんなふうにして、私は19年間、自分の感性を押し殺すことをアイデンティティとして定義づけて来ました。特に最近は、物を書いて生きる人生を選択しないことが、自分との約束を守る鍵だと思っていました。そんな中、ホームレスのおじいさんが教えてくれたのは、このままだといつか限界がきて、正しさのために生きることをやめてしまうかもしれないということです。そして、正しさのために生きる人のことを馬鹿にしてしまうかもしれないということです。それが、怖くて仕方がない。

だからこそ、もうひとりのずっと隠れていた自分に、名前をつけることにしました。時岡すずといいます。与えられた時間を砂時計のように意識しながら一秒一秒を生き抜いていく、そんな自分の影にひっそりと、でもたしかにずっと居た、時間という社会的な仕組みに征服されたくないと笑うわたしです。正しさではなく、美しさを慈しむわたしです。彼女は皆に好かれる必要が無いから、あなたが何を思うかに全く興味がない。彼女はあなたに頭を撫でられるのが好きで、守りたくなる女の子として死にたいと思っている。彼女は書くことが好き。蚕が繭を生成するように世界の複雑さを言葉にすると、桜の花びらで満たされたバスタブに埋まったような、幸福な気持ちになるから。

わたしは時岡すずの感性が好きで、彼女が安心して息が出来る場を作ってあげたかった。こうして名前を授けることが、その助けになればなと思います。それは私本体がより安心して、大きな人を目指してこの世界に挑むことにも役立つはずです。この2人は完全に分裂している訳ではありません。山邊鈴の中に時岡すずが住んでいる、とでも言えば良いでしょうか。だからこそ、山邊鈴の行動の中にすずの思想が色濃くでることも、その逆も考えられます。少女の眼を持った人は政治家に向かない、と言いましたが、力のない少女を体内に眠らせて耳を傾けられる政治家(概念)になるためにも、すずの力が必要なのです。

山邊鈴のまま、すずみたいなことが出来れば良かったなとも思います。だけど、世の中の人は皆忙しいから、人の僅かな一面だけを見て批判します。そんなとき、すずが傷ついてその感性を失わないように、今から守っていきたいのかもしれません。だけど、もし、私のことをじっくり見てくださる方がいらっしゃるとしたら、すずがあくまでも私の一部だということを覚えていておいてくれると嬉しいです。

時岡すずを通じて山邊鈴が伝えたいこと。それは、「正しさ」と共に生きることは、心豊かな生活を送ることと決して矛盾しないということです。萌え絵が好き、それはもうそうなのです。嫌いになることは出来ないのです。アイドルが好きでも、乙女ゲームが好きでも、フェミニストになることができます。やるべきは、そんなもう一人の自分がいるということを認識しながら、それと共存できる正しさを模索していくこと。心豊かに生きたいがゆえ、正しさのために生きる人を馬鹿にしたりしないこと。

「豊かな生活アカウント」の界隈では、皆が美味しい和食をつくり、白い部屋を飾り、タブレットでネトフリを見て、黒髪マッシュ眼鏡のボーイフレンドと同棲しています。わたしも自分の心を大切にすることのたいせつさを、そんなアカウントの皆さんから学びました。だけど、自分の心だけじゃなくて、自分の生活圏にいない誰かの心を大事にすること。それが政治や社会に興味を持つことであり、「正しさ」と共に生きることだと思うんです。その2つが両立できるよってこと、山邊鈴と時岡すずの共存を知っている方には、ぜひ心に留めておいてもらえたらなぁ。

ほんとうのことを言うこと。それが、誠実さなのだとしたら。笑っちゃうくらい誠実な、時岡すずを愛していきたいと思います。

よろしければサポートをぜひよろしくお願いします🙇‍♀️