この割れ切った世界の片隅で を読んでくださったすべての方へ
投稿からまだ丸1日もたっていないうちにこんなにたくさんの方に読んでいただけて、本当に嬉しいです。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
記事を書こうと思ったきっかけは、本当に些細なことでした。英単語を覚えていると、手元の赤シートの色の鮮烈さにある記憶がよみがえって来たのです。
男の子が赤シートを得意げに小学校に持ってきました。
「なんに使うと?」「赤ペンが消えるとばい!」「へー!すごか!」
「ほかに使えんとかな?」みんなで赤いものを探して教室をぐるぐる。
あ!あった!!教室のうしろのロッカーのランドセルです。あててみると、光るものと光らないものがある。どうやら光っていたのは地元を仕切るある大手企業の子がもらえるランドセルだけだったのです。
後にも先にもあそこまではっきりと色として認識されたことは無いなぁと感じ、じゃああのランドセルに詰め込まれた記憶を文章にしてみようと思い立ちました。
「こういうのを読んでもどうすればいいのか分からないなぁ」「読んでて頭がグラグラして。やはり難しい。」そんな声を沢山いただきました。
私たちがやるべきこと。それは、お仕事やプロジェクトで提案を出すとき。日常で言葉をつむぐとき。
「これで取りこぼされる人はいないかな?」
と疑って一度立ち止まれる人を少しずつ増やすことだと思います。「純ジャパ」という言葉。一見「留学したことが無いけど頑張ってる」というマイノリティへの称賛から生まれた言葉に見えますが、では「ジャパニーズ」とは何でしょうか。海外経験があると「純ジャパニーズ」ではないのでしょうか。その言葉で傷ついている人はいませんか。「新しく挑戦する人を増やしたい!」そう思って何かプロジェクトをはじめたとき。問題なのは心理的なハードルの高さでなく、イベントに行くのにも反対する親御さんの影響があるかもしれません。「私立の学校に通っている」というと「あら、親のすねかじってるだけあってご家庭の教育の賜物ねぇ」と言う人がいます。もしかしたら、その子は片親で学費免除を受けているのかもしれません。
配慮ってめんどくさいですよね。めーっちゃめんどくさい。それクソリプと同じじゃんってね。わたしもドッチボールで当てられて泣く子嫌いでした。だけど、そんなときは、「配慮」を「想像」に変えてみてください。
「『日本』の子どもたちって、どんな子どもたちかな。目は見えるかな。家はあるかな。学校には行けてるかな。健康かな。友達はいるかな。本は読めるかな。帰ったらどんな過ごし方をしてるかな。夜は何時に寝てるかな。」
そして目をつむって、その子になったつもりで物事を捉えなおしてみてください。どうですか?少しだけ、気分が変わってきませんか?
最近教育に関わる大人の方と出会う機会が多いのですが、「プログラミング教育」「批判的思考」「キャリア教育」など、高度な内容になるにつれてどんどん皆さんが前提としている「子ども」が違うことに気が付きます。「地方はやっぱり情報が少なくて...」と少し触れただけで、「そうなんですか!知りませんでした!!」と目を丸くする方もいらっしゃいます。「想像力」が叫ばれて久しい現在でも、私たちが思っているより世界は割れているのかもしれません。
また、傷つきやすい側の皆さんも。相手が理解してくれなかったからといって、目を吊り上げて嘆くだけじゃ少し、この状況の改善スピードは遅くなるかもしれません。あなたはマイノリティではありません。「見えにくい」存在なだけ。だから、一緒に深呼吸して。「伝えよう」という気持ちでどうか言葉を届けてください。勇気はいりますよね。黙っていたほうが楽だし、伝える前に泣きそうになったり怒っちゃうかもしれない。でも、あなたの優しい強さが、後ろを歩く人の絆創膏の需要を減らします。あと、あなたはあなたとして素晴らしい。見えにくい存在だった経験はあなたを創りあげてきたものかもしれないけど、「あなた」はそれだけじゃありません。
誰の視界も常に一定範囲です。だけどそれを少しずつ広げて、行動する時いつも心の片隅に置いてみてください。
前回の投稿でモヤッとされたみなさん、ぜひそれを声に出してみませんか?「モヤッ」の正体が分かれば何か見つかるかも。あなたの言葉を私はいつでも待っています。文章を書いていただいても、感想を一文くださるだけでも!あなたの「ふつう」が、周りの方の想像力を育む栄養分になるはずです。