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パーフェクト・ガール

2021年の振り返りです。


冬 

「夢は、叶ったほうがいいです。でも、叶わない夢もあります。どうしようもない、形を変えでもしない限り、叶わない夢というものもあります。」

合格通知を受け取った夜、何百回も浴びた中島みゆきさんの声に包まれながら、もうこれを聞いて涙を流すことは一生できないのかもしれない事実に呆然とした。どうしようもない世の中で、叶いそうもない夢に泣く。もう、「向こう側」に来てしまった私にそれは出来ない。長崎に刺されたピンは、私の口角をぐいっと強引にあげて、「さぁ、こちら側にようこそ」と笑いかけた。

「地方の」「女子」「高校生」。この3つの最強のラベルは世の教育格差ブームに見事に乗って、一生分ちやほやされた。6年間泣きながら叫んでも愚痴としか捉えられなかった主張は朝日新聞に掲載され、有名予備校の小論文課題や灘高や慶應義塾高校の授業の題材となる。そんな状況が続くほど、私の中の恐怖ははち切れそうなほど膨らんでいった。このまま何となく直観から物事を語り、苦しまなくていい人たちから凄いね、凄いねっていわれて、本当に自分が凄いかのように勘違いしながら論壇に立ち続けるのだろうか。主張する課題の深刻さを分かっているからこそ、人生を懸けている「フリ」はしたくなかった。

リーダーシップもなければ、歴史も政治も経済も分からない。仕事もできないし返信も遅い。そんな自分が持っている唯一の武器、この社会を変えたいというぎらぎらとした思いに見合う能力をつけるには、地方出身とか、女子とか、若さとか、そういう単純な、みんなが大好きなラベルの内側の思想や能力でしか評価されないところに行かなければならないと思った。強制的にそれをさせてくれる環境として、日本で名前の知られていない女子大を選んだ。

スクールカラーの深い青は、4年後になれるかもしれない女性像を思い起こさせた。「もりもりもりもり筋肉をつけながら苦しんでいる人を抱きかかえられる強さと優しさを身につける」。このとき立てた目標は、小学生の語彙のようで意外と的を射ていると思う。優しい言葉だけを唱え続けていても苦しんでいる人は食わせられない。頭が切れて、リーダーシップがあって、でも共感力があって優しい。為政者としてのマクロに視点がありつつ、でも世界の片隅の人のことを考慮に入れながら発言が出来る。そんな一見相反する2つの要素を兼ね備えるパーフェクト・ガールに、この場所でならなれる気がした。

春  

高校までは、男子も女子も直線のRPGを進む。部活!勉強!いい大学!就職!努力!努力!努力!!! だけど卒業証書を受け取った瞬間、RPGは2手に分かれてしまう。男子はそのまま垂直方向に上に進み続ければいい。就職!金!筋肉!仕事!だけど女子はそうもいかない。自分の意見を持ちつつも、出しゃばらず。リーダーシップを発揮しながらもしなやかに、優しく。そんなダブルスタンダードを自分の中で解釈してソツなくこなしていかなければならない。「矛盾してるよ、そんなこと出来っこない」。そう本音を言った瞬間、そのレースでは負け組となる。

努力主義者で負けず嫌いな私は、そのRPGも頑張ってやろうじゃないかと卒業式の翌日に意気揚々と眉毛サロンの椅子に座って言った。「女性らしい、優しい感じにしてください」。鏡に映った自分を見た瞬間、これから始まる人生が周りに流されると単純ではないことを悟った。

東京で一人暮らしをはじめた。試行錯誤しながら眉毛もどんどん細くして、メイクも頑張った。「いやぁ、女の子はいるだけで場が華やいでいいねぇ」と肩に腕を回されるたび、「女の子」になるだけで有用な人間になれるのだと知った。

「なにをしているときが一番楽しいのよ」「楽しいってなんですか」「えっ」「悲しさ、怒りっていう感情は分かるんです。グイってくるから。嬉しい、もちょっとだけ分かるかな。だけど、楽しい、は分かるようになる気がしないんです。」家に帰るや否やユニセフのホームページを何時間も見るような小学生だった私は、まずみんなが楽しい楽しいと言っているものを体験してみようと思った。

友達の家を渡り歩き、「家族団らん」にお邪魔してみた。食卓を囲んで、犬を撫でて、学校や会社のことについておしゃべりする。犬の散歩当番が書かれたホワイトボード、ワインの保存庫、金魚鉢、駐車場に並ぶ大小様々な自転車。分かったのは、「生活」「家庭」というのは「夢を叶えること」の対義語ではないということだった。

何かを好きでいることは、何かを否定する側面を必然的に孕む。生まれた時に設定されたライフパスを逸脱しようと周りを説得し続けてきた私は、意識せずとも「生活」をどこか見下していた。生まれて、食べて、働いて、死ぬ。そんな生き方を肯定し続けていたら、一生誰かが作った仕組みの中で意識しないうちに搾取され、イボとか白髪染めとか離婚とかそういうふうな話題だけ考えながら、「あぁ夢叶えられんかったなぁ」と思いながら死んじゃうんだと常に焦っていた。そんな過去は否定しない。そうしないと、ここに来られなかったから。

だけれども、食卓を囲んで笑い合う人々の顔を見ているうちに、私が取りこぼしてきたものの重大さを感じざるを得なかった。音楽を聞くこと、友達と笑い合うこと、旅に出ること、料理をつくること、ドラマを見ること、小説を読むこと。そんな「ゆとり」「余裕」の感覚を、これから長い時間をかけて得ていかなければならないのだと思った。

それと同時に、私はママになりたいんだなとも思った。私には、ママは絶対に私が何かをやらかしても、きっとホットプレートでぐちゃぐちゃ焼きを作って家に迎え入れてくれるだろうという自信がある。私はママがわたしにしてくれたことを困っている人たちにしてあげたい、揺るがない守られる安心感をあげたい、それだけなんだと思った。国民全員にぐちゃぐちゃ焼きを作ってあげられるママになりたい。

ぐちゃぐちゃ焼き(ぐちゃぐちゃ・やき): お米、残り物の野菜(だいたいニラともやしが入ってる)、ひき肉を混ぜておこげが付くまで焼く我が家特有の家庭料理。毎週木曜日に出る。卵を入れるとなお美味しい。

東京オリンピックも友人の家で見た。巣鴨が好き。あっ、これ夏だ。

夏 

分かり合いたいと願ったら、君に分かられたくないと懇願された。ごめんね、あなたはすぐに言葉に出す私のことが苦手だったのに、こんなことまでまた文章にしてる。馬鹿だよね、知ってる。ここで頭の中で思考を留めて黙ってニコニコできる綺麗なパーフェクト・ガールになって数年後またあなたの前に現れることができたら、もう一回やり直すことが出来るかもしれないのにね。君は自分のことを馬鹿だと言ったけど、ほらわたしも馬鹿でしょ?おあいこ、へへへ。今は良い経験だったと思ってるよ、ありがとうね。

分かり合いたいひとと分かり合えなかった経験は、「分かり合えない人と分かり合うには」という去年からの命題から私を一層離れられなくした。共生、異なる人が共に生きるということ。「相手の普通と自分の普通は全く違うのだ」ということを認識することが、社会正義的な文脈でも個人的な文脈としても必要そうだった。

友達に、一生恋をしているような人がいる。彼女が裏垢に載せる日記は私が知る読み物の中で一番面白いものだ。誰かを全身全霊をかけて思う人に、私たちは決して勝つことはできない。恋をすると誰もが哲学者か詩人になる。人が誰かに恋をするぶん、私は国に恋をしようと思う。


気品あるキャンパスに明るく光る雪がヴェールをかける。あとひと月もすれば、ウェバン湖の表面も凍ってスケートが出来るようになるかしら。物思いに耽っていると、もう8時17分!急がないとベルのレッスンに遅れちゃう!この時間は大抵まだ白鳥の群れは眠っているだろうから裏道を通ったほうが良い。そんな機転から方向転換すると、リスが首をかしげてこちらを見ているので「おはよう」と微笑みかける。

9月から通い始めた全寮制のお嬢様学校は、人間が想像しうる幸福をかき集めたような場所だ。赤毛のアン、秘密の花園、大草原の小さな家、小公女、リトルプリンセス。そんな少女小説の世界観を笑いたくなるほど具現化したキャンパスで、世界中から集まる子女たちと共に学ぶ。

左下の椅子に座って課題をします

「あのね、ここに来るまで、人間ってここまで幸せになれるってしらなかったんだぁ」。それでも、そう語る友人に同調できない自分がどこかいた。

「おい、なにしとんのか分かっとんのかワイ」「はい」「言うてみ」「勉強しています」ガッと肩を掴んだ彼は、自分が怒っているということを知らしめるかのごとくその手に力を込める。「良いよなぁ、偉いもんなぁ、有名人やもんなぁお前。」目を瞑りたく成ればなるほど目の筋肉に力を込めて真っすぐと見つめ返す。ここですみませんって言ったら駄目。駄目。駄目。

「ねぇ、大丈夫!?」ハッと目を開けると体育館の真ん中で皆が心配そうな顔で私を見つめていて、やっとそこで自分が泣いていることに気づいた。ヨガの授業では、20分の瞑想の時間が用意されている。寝てもいいのよー、体がリラックスしてるって証拠だからね。そういう先生の言葉に甘えて皆は開始数分で夢の中へ行ってしまうけれど、私はいつもその時間、自分がここに来ているということの脆さ、有り得なさから離れられない。大丈夫。私はもう、二度と怒鳴られることがない世界に来た。そう唱えながらハンカチを受け取るけれど、まだあの場所に囚われ続けている自分に嫌気がさす。

目には見えなくてもその世界は同じ空の下続いている。不条理の中で生きる人たちの痛みが理解できなくなっていくことが、何よりも自分を焦らせた。正直に話すと、友達は言った。「あのね、あんたは幸せに慣れなきゃいけないのよ」。だけど、まるでこの世界はすでに完璧であるかのように錯覚をしながら享受する幸福は、私にとっての幸福ではなかった。

ジャズバンドに所属して、トランペットを吹いた。高校のときの吹奏楽部と比べると吹き出しそうなほどへたくそで、練習に来るのはバンドの半分程度。先輩の彼女が曲の合間でキスするために見学に来るのがとても気まずい。それでも皆コンサート本番になると信じられないほどのやる気で観客を魅了する。ソロを吹いてスタンディングオーベーションを受けた快感は忘れられない。

ファーストジェネレーション(大学進学が一般的でない家系)、低収入、英語力に不安がある人などが集まった「ウェルズリープラス」なるものに入れられて、友達の大半はそこで出来た。入学前に受けた簡単な算数のテスト(1000円の商品が30%割引でした。いくら?のような問題)で不合格の子がほとんどで、この環境がいかに本当の意味で多様な子たちを受け入れようとしているのかがわかった。

ジャズバンド、ウェルズリープラス。意識せずとも、このキャンパス内の片隅に居る人たちのコミュニティにいたのは、偶然か必然か。大抵の友人は髪をカラフルな色に染めていて、Pronounも覚えられないほどバラバラである。

ジャパンクラブにも所属して、花まつりという学内の日本祭の統括をすることにもした。今まで学校に軸足を置いたことが無く、行事も適当に済ませてきた自分がメニューにどら焼きを入れるかどうかで仲間と必死に議論をしている。その事実が面白くてたまに笑ってしまった。先輩からスムーズな組織の動かし方も学んだし、ビジネスっぽい英語も使えるようになった。

頭がぐるぐるした夜は、友達の部屋に忍び込んで口角がつるまで騒ぐ。もうみんな頭がおかしくなっているので、中庭に行って誰が一番変な踊りができるか競う。5度を下回る真夜中に湖でふざけていたときは、「ねえサンダルなくなったんだけど!」と叫ぶマディーのために、みんなでげらげら笑いながら藻とダチョウの糞だらけの水面に飛び込んだ。

入学前に思い浮かべていたパーフェクト・ガールは、キャンパスにはいなかった。皆負けず嫌いだから、「社会」にいたらもっとパーフェクトなガールズだったんだと思う。だけどここではパーフェクトでいることが全く求められない上、ガールもホルモン剤を打ってボーイになったりする。4か国語話せるキャシーは毎日違う男の子と寝てキスマークに名前を付けているし、背筋のやたらと良いエイズリンはイギリスにコンプレックスがあるし、脚本家のネハは入構カードを今学期3回も無くした。そんなデコボコな皆はそれぞれ自分の不完全さを何だかんだ好いている。「ねーえ、またなんか正しさについて考えてたでしょ、いくよ!」そうやって手をとってくれるみんなのお陰で、少しずつ溶けている。

幸せになる代わりに、片隅のことを直感で語る力を失った。それでも、特権からこそ見えるマクロの視点を新たに得た。マクロの視点もミクロの視点も「パーフェクト」に保つのは不可能だと知ったからこそ、自分が何を見ているかに自覚的になって、見えていないものに対し謙虚になって学ぼうとする姿勢を保とうと思っている。「向こう側の人たちには、片隅のことが見えていない」。17歳の主張は、私をしばる鎖ではなく張り紙になった。

また、冬

最終試験が迫った12月。午前3時に寮のコモンホールで経済学の課題をしながら、もう数日後に迫った一時帰国のことを考えた。絶対に否定されないこの環境は止まり木でしかなく、わたしにはありがたいことに帰る場所がある。

「うわぁ、すっごくリベラルな考え方だね。」

高校1年生の夏、サマースクールで出会った男子校生にそう言われた私は、綻ぶ口元を隠しながらその言葉を丁寧に書き留めた。リ、ベ、ラ、ル。意味は全くわからなかったけれど、「向こう側」の彼が私の思想に名前をつけてくれたことは、こんな私でも賢いひとたちワールドに居場所があるのだと言ってくれたような気がした。

アホな女の子だった。命をかけて挑んだUWC(海外にある全寮制高校)も、一次の学力試験であっけなく落ちた。メンソレータムを瞼に塗って目をギンギンにして受けたIQテストも日本の平均程度。共通テストの数学ⅡBで18点を叩き出したとき、私はようやく自分の頭の悪さを自覚した。もちろん平均をとれる時点で「頭が悪い」なんていうのはおかしいのも分かっている。だけれども、東大の上位互換として海外大学を目指す人達と同じ土俵で戦っていくにあたって、自分の強みは決して頭脳ではないと把握しておくことは重要事項であった。「あなたたちの才能はテストスコアなんかじゃ測れないわ!」そうウェルズリープラスの教授は言ってくれたけれど、本当に変化を生み出したいなら頭のいい人たちと戦っていかなくちゃいけないことなんて分かっていた。

「それってどこがソース?」「根拠はなに?」「それロジック破綻してない?」

「でも、困っている人が、いる、から......」

口をパクパクさせながらそういうと、彼らの目は「同じ土俵で話せない奴」に向けたものに変わる。しゃべればしゃべるほどに自分が弱くてつまらないものになっていくような焦燥。特にそれは賢い男性と話すときに顕著で、いつしか男友達と話すときはいつも話したいことと予想される反論をメモした状態で臨むようになった。すると言われた。「俺、女の子に議論別に求めてないよ。笑」

「あぁ読んだよあのnote。凄くバズってたよね。」そう彼らに言われるたび、吐きそうになって「いいから、もう、そういうのは良いから」と目の前で手をぶんぶん振った。「口より先に手動かせ、結果出せ、プロダクトにしろ、きれいごとだけ言ってる奴はダサい」。そう心の中で嘲笑われているような勝手な被害妄想が膨らんで、ただ肥大した思いだけを抱えた自分をとてつもなく「ダサく」感じた。

「SDGs界隈の人ねwww」「マイストローとか使ってる奴ダサいよね」。ここでゴリゴリ理論を勉強している理由を探してみると、今までかけられたこんな言葉がこびりついていることに気づく。論理的で頭がよく、現実味の無いことを言う人間を「薄い」と嗤う人たちVS世界が少しでも優しくなってほしいと願うが知識量に欠ける私たち の構図。どちらが悪いと言いたい訳ではない。ただ、互いが隔絶されていることが問題なのだ。「希望のある社会を作ろう」「やさしい世界が良いよね」「アメリカは凄い」「日本の教育はクソだ」「みんな平等であるべきだよ」「格差は許さない」そんなことを唱える人たちに話を聞いても具体的にアイデアはなく、ただ政府が悪いということを繰り返す。今の自分も大してそれと変わりはない。両者の翻訳者になるためにも、「彼ら」の視点から物事が見られるようになる必要がある。

「困っている人を救いたい」=薄い、劣っている、そんなことがある訳がない。ただ、両者の良いところを併せ持つ人が少ないだけなのだ。共感の壁を超えて、当事者性が薄い人たちとも話が出来るようになるためにも、数字や論理という新たな言語を学ぶ必要がある。格差や分断、教育、ジェンダー、社会保障だけじゃなく、国防も、エネルギーも、財政再建も語れる人は、もっと優しい人だ。これ以上蔑まれて「困っている人のために働きたい」という自分を嫌いにならないために。人の感情を軽視する人にならないために。変わらないために、変わらなければならない。そう思ったとき、ここで政治・経済専攻として勉強を続ける4年間は正しい選択だと思った。

もしそれが出来るようになったら?「アホな女の子」じゃない自分になったらどんなことがしたい?午前4時、政治家を目指そうと思い立った。理由はシンプル、私がなりたいような人に、一番なって欲しい職業だから。綺麗で、見た目を気にしてなくて、マザーテレサみたいで、上品なバッグも持っていて、発言力もあって、わきまえることもできる。そんなパーフェクト・ガールは諦めた。それでもやっぱり、もりもりもりもり筋肉をつけながら苦しんでいる人を抱きかかえられる強さと優しさを身につける、そこだけは欲張っていたい。


「過渡期」という言葉がよく似合う1年。怒り、悲しみ、使命感に突き動かされた18年間から、理想を実現するためにはどうすればいいかを考えるフェーズに移行。偶に過去に囚われながらも、幸福、知識、リーダーシップ、安定感などという新たなものを追求するようになりました。慣れないことばかりして失敗も多かったし、これといった業績をあげた訳ではないけれど、無視していたらいつか壊れていたであろうものを丁寧に拾い集められたかかな。これらは必然的に遅さを伴うものだからこそ、人生のドラマチックさ、映えのようなものは減っていくかもしれません。そんな中でも、誰かの心に光の矢を飛ばせるような恐ろしいほど純粋な「世界をよくしたい」という思いだけはどれだけダサくても守り続けたいと思います。

この1年間、支えてくださったみなさん本当にありがとうございました!よいお年をお迎えください。

12月30日 山邊鈴


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