エッセイとガムシロップ

知人が、カタログギフトで注文したものが届いたというのでその開封の様子を見ていた。

チープな体重計と、焼き菓子の詰め合わせ。


他にどんなものがあったかわからないが、なかなかいい組み合わせだと思った。


しばらくして彼が「体重計じゃなくて目覚まし時計でもよかったかも」と言った。

なぜそう思ったのかわからないが、人間らしい感覚に口元が緩んだ。
いや、本当はちょっとだけ「ならそうしときなよ」といらっとした。


体重計にしろ目覚まし時計にしろ、買おうと思えば買えるが、なんでもない時に買うかと言われると微妙なものだ。

カタログギフトの品物を考える仕事が世の中には存在して、1日だけインターンで混ぜてくれないかなと考えた。


午後、一人の時間ができたので駅の近くを散歩した。

バーを間借りしたカフェがあることは以前から知っていて、そこに行こうと思ったが、手持ち無沙汰なので古本屋で本を買おうと思った。

Excelの教科書、脚を長くするストレッチの本、知らない男性アイドルの写真集…無秩序ながらも元の持ち主の生活を垣間見られるような気持ちがして、眺めるだけでも楽しい。


本当はもうちょっと見ていたかったが、喉の渇きに耐えかねて簡単なエッセイを買って店を出た。


カフェに着くと客は私一人で、可愛らしい女性の店員が抹茶ミルクを作ってくれた。

味はドトールコーヒーのそれくらいなのだが、音響設備が整っていて薄暗い店内でダラダラ過ごすことに価値があるので何も構わなかった。

途中から女子大生の二人組がやってきて、ソファ席に腰掛けたが、しばらくして四人家族が来たので譲っていた。

そんな様子を横目で見ながら、氷が完全に溶け切るまでエッセイを読んで過ごした。


こんな文章が書けたら、と思う。
読めば「あるある!そんなふうに思いながら過ごしてる!」と思うのに自分では全然書けない。
感性の問題というよりは表現力の問題なのだと思う。或いはその感性を表現することに対する躊躇いが問題なのかもしれない。



さっき頼んだ抹茶ミルクを机まで運んだ店員が「シロップおつけしますか?」と聞いてくれた。

「あ、甘みがついてないんですね、いただいてもいいですか」と言うと、カウンターの奥からガムシロップを一つ、心細そうに握りしめてやってきた。

こういうとき、カゴに山盛りのガムシロップか、小さなピッチャーに入ったシロップだと安心する。
別に使う量や衛生面なんかを考慮すれば最適解なんだけどね、なんてことを思った。


そろそろ店を出よう。
体重計の彼へのお土産にマフィンを注文してしまったが、よく考えるとカタログギフトで焼き菓子を頼んでいた。


無駄の中に生活はあると思う、などと心の中で言い訳をした。


ではまた。

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