母の愛情

暑いからか、疲れていたからか、昼食を決めきれなかった。

夜の予定もあったので、あまり満腹になりたくなかったし、
同じ系統の食事を選ぶのも気が引ける…などと考えてスーパーやコンビニを何軒も徘徊し、結局スーパーに戻ってきて菓子パンを買った。



先週の忙しさはどこへやら、本当にやることがなくて、
今日も業務時間中にPC画面の端でこの文章を打っている。
しかもradikoでANNを聴きながらである。
9時間弱の拘束時間の中で、既に番組は3本目に入っている。


転居した途端、心身の健康状態がすこぶる回復した。
基礎体温も安定し、LINEの返信が滞ることもなく、作り置きのおかずなども用意できている。
持て余した暇で、資格の勉強をのんびり始めようとすら思っている。


ずっと頭の中の何割かを、母の機嫌取りに使っていたんだなと思う。
離れて暮らしていても、いつ「○○くんとの調子はどう?」と聞かれるのではないかと怯え、
たまに実家に帰れば彼とのポジティブな話題を提供しなければと緊張していた。

さて、これからの人生をどうしようかと考える。
特に、特定の相手との交際についてだ。

交際を持ちかけてくる相手が何人かいる。
応えればいつでもその人は交際相手になる。


私がそれを渋っている理由を深堀りしたいと思っている。
単純にその人に何か不満がある?
未だに母や彼の顔色をうかがっている?
他の人との未来に期待している?
自由を楽しみたい?

なんとなく、答えは全部な気がしている。

この年齢になって、特定の相手と愛情を育むことを世間から(相手から)求められる機会が格段に増えた。
しかし私は正直それに魅力を感じていない。


というより、私はそんなことができる人間ではないと思っている。
その場その場の関係性は好きだ。
この間書いたカルボナーラと坂元裕二のことなんかは顕著に私という人間の今の状態を示していると思う。

でも、相手への気持ちは常に不純で、
彼らは、「自分が心地よく過ごすための道具」といったところであるように感じる。

こんな話をカウンセラーにしたら、
「それはお母さんが烏賊さんに教えた”愛する”方法だからですよ」と言われた。

カウンセリングから一週間が経って、ようやくその発言の意味が分かってきた感じがある。



自分が相手に徹底的にやさしくする。
すると相手は自分を大切にするようになる。
その相手の「大切」という気持ちを利用して自分が幸せになる。

それで、この構造に嫌気がさすか、相手が自分の思い通りにならなくなった時期に相手を急に突き放す。

母が私にやってきたことだ。
常に突き放されるのではないかと思って不安だった。
何をしでかしたら嫌われるのか試したいような気持ちもあった。


母の愛情というものを考えるとき、
私はこの愛し方しかできなくて本当に嫌気がさすが、嫌気がさすことが唯一の救いだとも思えるようになった。

相手を自分に都合のいい道具にすることは、まず正しくないし、
何よりも自分自身が最終的に苦しくなることだから、もう辞めてしまいたいと思っている。



自分が苦しいから、きちんと愛したい。
相手からも、道具のような扱い以外で愛されたい。
というより、自分自身がそういう正しい愛情を受け入れられるようになりたい。
きっと今までにも正しく愛してくれる人はたくさんいたのだろう。
でも私が母以外の愛の方法を知らなかったばかりに突き放してしまった気がする。

これから関わる人々と向き合ってみる。
そのときの自分の気持ちとも向き合ってみる。
そういうことに取り組む期間にしたいと思った。


夜はこの試みを実行できる機会だ。
じっくり進めてみよう。


ではまた。

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