STARWARS ep9を観て思った「人を生き返らせるチカラ」の解釈について※ネタバレあり

私が考えるフォースの話をします。

ライトサイドとは「愛と自己犠牲」
ダークサイドは「欲望と生きる力」
です。
説明します。笑

レイとベン(カイロレン)が可能にした「傷を治す力」「人を死から救う力」は、フォース(ライトサイドとダークサイド)のバランスを保つ者のみができる能力なのでは?と思うんです。

光と闇、両方の概念がないと成り立たない。
つまり、
ベンは自分の命を「犠牲」にして(=ライトサイド)レイに「生きる力」(=ダークサイド)を与えたということならば、
ライトサイドだけ学んでも、ダークサイドだけ学んでも、成し得なかったのではないでしょうか。

ベンはレイと母レイアの愛に救われてライトサイドを取り戻したけど、100%ライトサイドになったわけではなくて、彼がまだカイロレンだったときに言っていた
「俺らの本質は暗黒面だ」
っていう考えはそのままに、フォースのバランスを保った。

TFAのときのレイはカイロレンを絶対悪だと思い込んでたけど、TLJのフォースボンドで彼が闇堕ちした理由を知って、だんだん彼を受け入れるようになった。そしてTROSでレイは「闇を受け入れたジェダイ」になって、フォースのバランスを保った。

そんな2人が「人を死から救う力」を得たとしたら、これ以上に完璧なサーガはないでしょう!
私はフォースの概念にすごくこだわりを持ってたから、続三部がこの「バランス」の概念をこのようにオチをつけたのはまじで「ありがとう」案件なんですね。

ライトサイドが善で、ダークサイドが悪

今までのサーガはずっとこの概念でした。
でも私は、ダークサイドが悪とは思えなかったんです。
ダークサイドの力の源である欲求は、生きる上で大切なものですよね。
生き物として生き残るための力、そして生きる喜び、それがダークサイドの正体です。

ちなみに、続三部作では「水」が出てくる印象的なシーンがいくつかありますね。
ケフ・バーでのレイvsカイロレンのシーンでは、レンだけが波でびしょ濡れで、レイは波を避けるように身をこなしてますね。
それからレイアがレンの気配を感じたときのシーン。
レイアのそばに水筒のようなものが置いてあります。
続三部作では、水が生きるために必要なもの、すなわちダークサイドの象徴として描かれているのでは?と考えてます(元々は友達の考察です笑)。

対してライトサイドの源は、自己犠牲による奉仕と愛情です。
自分の命を失ってでも守りたいものがあるのが愛ですよね。
でも、それって「死」に近づくことだと思うんです。
だから私は、極論ですけどこう言ってます
「愛することは死ぬこと」 笑

美女と野獣でも、野獣が初めて愛することを学んだとき、彼、一旦死んでますよね。
ヘラクレスでも、ハークがメグを助けた時は冥界の死の泉みたいなところに入って、一旦死んでます、いや死にかけです。愛することを学んだハークは、ゼウスパパに神様にしてもらい、ギリギリのところで生き返ります。

そう、言いたいのは、
ライトサイドとダークサイド、どちらに偏ってもヤバいんです。

ダークサイドが「生」ならライトサイドは「死」です。
善悪などありません。このバランスを保つ人間が「人を生き返らせるチカラ」を手に入れることができるんです。
そして彼女たちはそれを成し遂げたのです。

ちなみに、アツいなぁと思ったのは、このクライマックスの前から、何気なーくこの「生命の分け与え」を示唆するシーンがちょいちょいあるんです。
例えばBB8がD-Oにチャージするシーン。あれもおそらくBB8が自分の充電を分けてあげてますよね。
あと、R2から3POへのメモリー注入シーンも、ある意味これなのかと。

では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?