バジーノイズを観た
このnoteを投稿した今日は映画公開からかなり経ってしまっているけど、文章自体は観たてほやほやの時に書いた文章です
バジーノイズで1番好きだったシーン、というか嬉しかったシーンが、AZURのレコーディングに参加したドラマーの岬の演奏に対して、清澄が「もう少し濃い青」と要求するシーンなんだけど、このシーンで私は少し思い出した話がある。
私は中学高校で吹奏楽部に所属していて高校ではパートリーダーをしてたんだけど、練習中に「もっとここはこういうふうに吹こう」みたいなことをうまく言葉にまとめられなくて、いつも「なんかもうちょっとあったかい音が良いと思うんだけどどう?」とか「うまく言えないんだけど深いところにいる感じにしたいよね」とか言うことが多くて、他のパートリーダーが的確に技術的な指示を出しているのをみて落ち込んでたんだけど。
※少し言い訳すると私のパートはチューバとかコントラバスとかバスクラリネットとかの複数の異なる楽器が集まった低音パートで、例えばトランペットパートとかクラリネットパートみたいに同じ楽器をみんな吹いているわけではないから、他の楽器の技術的なことは分からなくて、そこがなかなか難しかった。
ある時いつも通り、自分の中では明確なイメージがあるのに言葉に詰まっちゃって必死に言葉を探してたら、同じパートの子が「難しいよね、だって私たちがやってるのって音楽だもんね。音楽は言葉じゃないんだもん。言葉じゃないことをやるのが音楽だもんね。」って言ってくれて。これ漫画みたいなセリフすぎてお互い照れちゃったんだけど、あの時かなりめちゃくちゃ救われて。そしてそこに私が音楽が好きな理由が詰まっている気がしたし、これからも音楽を好きでいられる自信がついた。
好きなシーンの話に戻りますね。
映画の中で岬は清澄の言葉を受けて「濃い青って何よ」という反応をし、レコーディング室の少し空気が重くなる。さらに岬なりに「濃い青」の演奏をするがそれに対して清澄はすかさず「それは濃すぎる」と言い放つ。そして3度目の演奏。1回目、2回目とは違った、清澄も岬も陸も「これだ」と感じた表情。
私が嬉しいなと思ったのは、最初に岬が清澄の要求に対して苦い反応をしたものの、岬は清澄に「濃い青なんて言われてもわかんないよ」「わかるように説明してよ」と言わないでいてくれたところ。決して否定はしないでいてくれたこと。清澄はもちろん、岬も、陸も、あとたぶんあの場に一緒にいた航太朗も、音楽の「言葉じゃない」ところを感じ取って、感動して、心がひとつになったんだろうなって私は感じた。なんかすごく懐かしかった。「そうそう、これだよね」と思った。本当のところはわからないけど、私は「音楽は言葉じゃない」を信じているからそう思いたかった。だから岬が清澄のことを否定せずに「濃い青」を音にしてくれたことがすごく嬉しかった。
あとこのシーンをはじめ、こうして互いの音に呼応して、重なって、新しい音が湧いて、大きくて深い波になる、誰かとやる音楽の楽しさをギュッと閉じ込めた瞬間がこの映画にはたくさん詰まってて、それもすごく好きだった。清澄は「音楽は1人でもできる」と言ったけど、ピアノは全然楽しくなくてでも辞めたいと言い出せずにずるずる続けた私が、吹奏楽は6年間ずっと好きなまま続けたし、大学生の時はバンドを組んでライブをしたりできたのも、1人じゃできない音楽ってやっぱり確かにあるからだと思う。清澄と陸とのセッションのシーン、マザーズデイの前座として出演したAZURの初ライブシーン、岬のレコーディングシーンなどなど、やっぱりそこには清澄1人だけでは辿り着けなかった音楽が確かに存在した。
さっき、互いの音が呼応して波になる、と話したけど、もうひとつだけ私がこの映画でありがたかったことを挙げると、音楽をやる側の人間だけでなく、聴く側の人間もこの大きな波を作るひとつのピースとして描いてくれたところだ。潮、航太郎、陸の恋人、マザーズデイの古参ファン、紛れもなく彼らのことも音楽がうまれるその輪から仲間外れにせずに、音楽に救われ、そして気付かぬうちに音楽を救った存在として映されていて、勝手ながらものすごく嬉しかった。スクリーンの外にいる私、私たちもきっと音楽に救われた経験のある人間がたくさんいるだろうし、実際私もこの映画を観終わった帰り道、私を救ってくれた音楽や、音楽を通して私を救ってくれた人たちのことがたくさん浮かんできて、その全てを肯定してくれるような素敵な映画だったなと思った。
音も、人も、互いに影響しあって大きな波ができて、1人じゃ辿り着けない場所まで連れていってくれる。私はJO1のオタクとして、川西拓実が私をこの映画と出会わせてくれたことをすごくすごく幸せだなと思った。拓実〜ほまにありがとう。
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