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どこにでも行ける私

目が合って二秒経っても視線を逸らそうとしないので、好意を持たれているのがわかった。一度自分で目を逸らし、もう一度視線を戻すとやはり目が合った。同じ卓の対角線上の席で飲んでいる先輩のグラスが空きそうだったので、次の飲み物を聞き、注文を取った。ねえ、と女が言った。

「蒼人くんってどんな子がタイプなの?」

肌、と思った。女は胸元だけが楕円形に空いた服を着ていて、肌を露出させていた。どんなに柔らかそうな肉体も、柔らかい肉や脂肪が、すべて肌で覆われているから安心して欲情できるのだと気付いた。

「タイプとかは無いけど、結構すぐ好きになっちゃうほうではあるかな」

と言うと、女は笑顔を作り、

「なにそれー」

と言った。

女にことわって、スマホを裏向きにしてテーブルに置いてから席を立った。トイレへ行くときはスマホを置いていくのがマナーだと思う。

男子トイレで、別卓で飲んでいた同期たちがみな連れ立って用を足していた。彼らはみな、私の前に座っている女の胸が大きい、顔も良い、という話をするので、あの女を抱くと決めた。 

席に戻り、女と同じペースで酒を飲んだ。一次会が終わり、二次会のカラオケへ向かう集団の後方でタクシーに乗り、二人で私の家へ向かった。

部屋に入ると、女をベッドに座らせて私は手を洗った。セックスをする前に手を洗うのも、マナーだと思う。女がトイレに行きたいと言うのでトイレの位置を教え、ベッドに入った。女が用を足している間、トイレから音が漏れ聞こえてしまってはいけないと思い、スマホのスピーカーから音を出してYoutubeの動画を見た。少しして女がトイレから戻ってきて、とどこおりなくセックスをした。女が、まだ終電があるので帰るというので、駅まで歩いて送った。

駅から帰ってくる途中、私の指がすこし臭うことに気付いた。人間の性器は、なぜいやなにおいのする仕組みになっているんだろうか。神がそう作ったのなら、あんまりではないか。

朝、「カラオケ行かないなら先言えよー」とメッセージが届いていた。同期の岡からだった。「すまん」とだけ送り、冷蔵庫からリンゴを取りだして食べた。コーヒーマシンでコーヒーが作られるのを待っていると、電話が鳴った。表示された名前を見ると、岡だった。

「おう、お疲れ、今大丈夫?なんか昨日のカラオケは渋かったわ。来てたやつみんなイロコイ目的っつーか、知らない間に二人でどっか消えちゃうやつばっかで。結局俺と山岸だけ残って飲んでて、会計すげー払わされたんだよ。ぜってーあいつらから回収してやる。そういやお前昨日いなくなったよな。いつ消えたんだ?全然気づかなかったよ」

飲み会明けに岡が電話をかけてくるのは珍しい。

「すまん」
「いや、昨日飲み会にお前が居るって知って、ちょうど話したいことあったんだけど全然話すタイミング無くてさ。ほら、お前いっつも女と喋ってるだろ。そんで、明後日とか時間あったら大学の近くで散歩でもしねえ?」


岡と散歩をすることはよくあったが、その予定を立てたのは初めてだった。
「いいよ」と言い、不思議に思いながら電話を切った。

コーヒーを飲んでいると、性器が勃起してきたので椅子に座り、自慰をした。ベッドが汚れてしまう可能性があるので普段ベッドでは自慰をしないが、昨晩はそのベッドで二人の男女が裸で性行為をしていたのだと気付き、洗濯をしなくてはと思った。

床に落ちてしまった精液を拭いていると、恋人の朱里からメッセージが届いた。

「蒼人くん。わたし気付いちゃいました。蒼人くんと会うと嬉しくなっちゃって、そのあと二日くらいはるんるん気分なのですが、三日目くらいから徐々に寂しくなってきてしまい、そのタイミングで憂鬱な気分になってしまうんです。だから、三日に一回蒼人くんに会えれば、わたしはずっと幸せな気分でいられると思うのです!常に!これってすごいことだと思いませんか?今日でちょうど三日目なので、もし蒼人くんが暇だったら、わたしと会って、わたしの説を一緒に検証してほしいです。」

 岡と二人で高田馬場駅付近を歩いていると、ロータリーでファンデーションの崩れた男が、肌の荒れた女と抱き合ってキスをしていた。岡が、「全部汚ねえな。朝の7時だぜ。終わってるよ」と言った。

「そういえばさ」と岡が続けた。

「俺さ、彼女出来たんだよね。お前にはずっと言わなきゃなと思ってたんだけど、なんか言えなくて。ごめん。でも、知り合いに言うのもこれが初めてだから、知ってるのはお前しかいない」
「名前は?」
「美奈って子。ほら、昨日の飲み会でお前の前に座ってた。次の日バイトらしいから一次会で帰っちゃったんだけどさ。」
 美奈、というのか。思えば私は彼女の名前を一度も聞かなかった。
「まあなんか色々変な噂とかされちゃってる子なんだけど、ちゃんと話せばめちゃくちゃいい子だし、なんか、大切にしてあげたいんだ。いや、彼女って初めてできたけど、こんなあったかい気持ちなんだな。俺いまめっちゃ幸せだよ。お前もさ、あんま遊び過ぎて彼女にバレちゃったら後悔すると思うぜ。なんか、大切にしてやんなよ彼女のこと」
「ああうん、まあ」

歩いていると目白駅に着いたので、岡は大学へ行くといって、来た道を引き返した。私も大学に戻るつもりだったが、急に中井まで歩きたくなった。同時に、池袋方面へも行きたいと思った。私は好きなときにどこにでも行けるが、同時にふたつの場所にはいけないのが悲しくなった。

中井へ向かって歩いている途中、公園で中学生くらいの少年が何かをしきりに叫びながら石を積み上げていた。何をしているのだろうと気になって立ち止まった。

母親と思われる年頃の女性が、後ろのベンチから男の子を憎悪の滲んだ目で睨んでいた。母親が、我が子にあんな目をすることがあるだろうかと不思議に思ったが、私には母親がひとりしかいないので、他の母親のことについてはよく知らない。あのような目をする母親もいるのかもしれないが、そもそもあの女性が少年の母親かどうかはわからない。

少年は石が崩れたタイミングで、より大きな声で叫んだ。それは何か動物の鳴き声のようで、不快な周波数だと思った。女性は相変わらず少年を背後から睨み続けていた。

立ち止まっている間、叫ぶ少年とはずっと目が合っていたが、私は中井へ歩き始めたので、それ以上目を合わせ続けずに済んだ。

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