おしごとのつづき

前回の続きをぶつぶつ書きます(笑)

水商売を初めてしたのは18歳。

いうて地元のスナックでちょっとの期間働かせて貰ってました。そこで出会ったママさんが本当にいい方で私に初めて ママ の優しさを与えてくれ方でした。

そのスナックで働いてる途中でアパレル正社員の道が出てきてだまーって掛け持ちしようとしてたんですけどアパレルの忙しさに着いてくのが背一杯だったのでそのスナックさんとはありがとうございましたをしました。子のスナックさんで約半月程ですかね

その後アパレルの道に生きて殺された私がたどり着いたのは地元のラウンジでした。特にこれといったことはあったけどまぁそれなりにって感じですかね、、??

その後友達に紹介され入店したのはキャバクラでした。勤務期間は半年程でしたが投薬をしてた私としてはお酒を毎日潰れるほど飲むことはもう心身共に衰弱していくことが決まったようなもんでしたが、なんにせよ私には働かないといけないという強い圧迫感があり働かせてもらってました。

そして入店して数週間後にメイドバーと言われるところで勤務を始めまたダブルワークの日々が訪れました。まぁ、あの頃と違うのは水商売だけの掛け持ちだったので頭は本当に悪かったですね笑、毎日昼から出勤し、お酒を飲んでひと騒ぎしてからベロベロのままキャバクラにgoー!して朝までお仕事してっていうお酒まみれの状態を多分半年ぐらい続けてましたね笑

まぁ、キャバクラでの勤務間もいろいろあって黒服さんとお付き合いしたり、人生共鳴しすぎたお客様と一緒に街中で泣いたりある程度やらかしてるなぁ笑って感じでただもうキャバ上がろうかなって思ってた矢先に祖父が倒れた、危険な状態という連絡が来た。その後1ヶ月ほどであの世へ旅だった。

祖父が倒れたのが6月末でわたしは一人暮らしをしていたのですぐに運ばれた病院に駆けつけました。そしてその日の仕事両方出勤だったのを蹴って誰よりも大切にしてくれた祖父の元に向かいました。

その時に祖父の近くでずっと手を握ってた時に色んなこと考えてて。実家にいた頃にキャバを始めかけてたので帰ってくる時間(3時とか)にはもう祖父は起きて朝ごはん食べてるような人だったので怒られたりもしたけど私とお話してくれる祖父はとても大好きだったのでよく仕事の話をされてて、もっとまともな仕事をしろって言われてたけどそのうちねぇなんて返してた。

でも祖父がもしかしたら亡くなるのかもしれないって思った時にちゃんとしなきゃ、真っ直ぐ生きなきゃと思い、キャバクラは辞めました。メイドバーのほうは収入もそれなりにあったので次の仕事が見つかるまでとりあえず続けようと思いしてたけど、

ただ私の頭には 正社員 で安心してもらう

このことを看取るまで考えてました。水商売をずっと反対する家族なのも分かってたし。

そして入院して1ヶ月過ぎぐらいで祖父は旅立ちました。頑張って闘病してくれてありがとうの気持ちと共にまた私は死に選ばれなかったとずっとずっと後悔をしてます、それは今も。祖母が亡くなった時も祖父が亡くなった時も。祖母に寂しいなら私を呼んでねって言ったのにやっぱり連れ添った旦那の方がいいんだなぁってなんか羨ましい気持ちになった。

まあそんなこんなでうつが大荒落致し、実家送致されメイドバーで月20~25日ぐらいの出勤をして全てを誤魔化して生きてました。死にたいや消えたいは私であってメイドさんをしてる仮の姿の時はいつでもパッピーガールでいることが義務にされてたから。

そんなこんなで実家とメイドバーの職場の行き来だけをずっと行ってました。

そしてそのお店は3月末で退店しました。たくさんの方におめでとうもおつかれももらえてうれしかったなぁ、、

ってツイートした何週間後にヘルプで別店でめいどをすることに、笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?