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関ジャニ∞は永遠に最高で最強

『関ジャニ∞』
正直最初「変な名前」と思った。
わたしが彼らのことを知ったのは2005年にゲストで出演した『HEY!HEY!HEY!』だったと思う。
それ以前に1997年頃、書店で時々見るアイドル雑誌で彼らのことは見ていた。
横山裕さんと渋谷すばるさんと村上信五さんが並んでいる写真をよく見かけていた。
横山さんを見て「なんとかっこいい子だろう」と思っていたし、渋谷さんの名前を見て「すごい名前だな」と思っていた。
この時点のわたしは「シブヤスバル」さんだと思っていた。
申し訳ないことにこの時点で村上さんのことは印象に残っていない。
これが最初の出会いだった。

彼らがジュニアの黄金期に活躍していたのはなんとなく知っていた。
同世代なのでまわりにはジャニーズJr.のファンの子もいたし、『KYO TO KYO』などの舞台や先輩のバックのジュニア目的でコンサートに行っている友達もいた。
わたしはジャニーズには興味がなかったので、彼らのことは顔と名前くらいしか知らなかった。

次に、のちに関ジャニ∞となるメンバーのことを知ったのは大学生の頃だった。
仲の良いかつてジャニーズJr.のファンだった友達と京都旅行に行った時、たまたま嵐山のジャニーズショップに立ち寄った。
友達が元ジャニーズJr.ファンだったので、興味本位で「入ってみよう」とわたしが言ったんだと思う。
ずらりと並んだ写真のなかで特に目を引いた男の子がいた。
ものすごくかわいらしい男の子で、小学校高学年くらいに見えた。
「この子、めっちゃかわいいね。なんて子?」と友達に尋ねた。
「錦戸亮くんだよ」
と教えてくれた。
「めっちゃかわいいね。何歳なの?」
と聞いたら
「えーっとねーいまたぶん中3かな?」
と言われ「えっ…!」と言葉を失ったのを覚えている。
そういうわけで、錦戸亮さんはわたしの頭に「めちゃくちゃかわいいちっちゃな中学生」とインプットされた。

そして数年が経過した2005年。
『HEY!HEY!HEY!』に彼らが出演した際に初めて『関ジャニ∞』というグループ名でデビューしていたことを知った。
『関ジャニ』という言葉はそれ以前から関東のジャニーズJr.に対して関西のジャニーズJr.の子たちをがそう呼ばれていることは知っていた。
それゆえに『関ジャニ∞』というグループ名がわたしの中でそれからも数年はどうしてもジャニーズJr.っぽく感じてしまい、その感覚がなかなか抜けなかった。
ちなみにHEY!HEY!HEY!でひさしぶりに横山さんと渋谷さんと村上さんを見たわたしの感想は「わたし、このひとたち知ってる!まだジャニーズやってたんだ!」だった。
いま思うとこんな感想だったこと本当に申し訳ない、、、

そして2006年夏。
わたしは一瞬KAT-TUNに興味をもった。
その流れでなんとなくいろんなジャニーズのひとを見てみようと思い立ち、調べて深夜に関ジャニ∞がテレビ東京でレギュラーを持っていることを知った。
それがテレビ東京の『スカ☆J 一番星』だった。
まさかそれで自分が関ジャニ∞にはまるだなんて、その時は微塵も思っていなかった。

『スカ☆J 一番星』はお好み焼き屋さん設定で関ジャニ∞とゲストがトークする番組だった。
途中『街ジャニ』というコーナーがあり、メンバーの中から数人がいろんな体験をするという企画となっていた。
わたしがこの番組を初めて観た日の『街ジャニ』は、渋谷さんが進行する形で横山さんと錦戸さんが曲芸団体の体験をする、という企画だった。
ファンになった後で見直すとこの時の渋谷さんはまったくの通常運転だったのだが、わたしには『不機嫌そうなひと』と映った。
のちに理解するのだが、渋谷さんがその振る舞いや態度が通常運転ではあるものの、誤解されやすいというのはわたしも経験済みだったのであった。(映画『味園ユニバース』の宣伝でWSに出演した際にもいろいろあったな、、、)
ところが不思議なことにわたしはこの『不機嫌そうなひと』のことがとても気になった。
初めて見るひとではないけど、ひと目惚れみたいなかんじだったのかもしれない。
お風呂に入りながらも考えていたので、その後名前を検索してみた。
1981年生まれの24歳。歌がうまいらしい。
このひとの歌を聴いてみたいと思った。
(わたしはむかしから歌のうまいひとにはまりやすく、中学生の頃にドリカムの美和ちゃんにはまり、高校生の頃に玉置浩二にはまっていた)
いまのようにサブスクなどない時代。
さてどうしたらこの渋谷すばるというひとの歌を聴くことができるのか。
翌日にCDレンタルに行くことも考えたが、いますぐ聴きたいと思ったわたしは着うた(フル)をダウンロードすることにした。
しかし関ジャニ∞の曲では声の判別ができない。
そこで調べた結果ダウンロードしたのが、三兄弟の『プリン』だった。
わたしの渋谷さんの歌との出会いだった。

わたしはすぐに渋谷さんのファンになってしまい、すぐに関ジャニ∞のCDやLIVE DVDを購入し、数日後にはしっかり関ジャニ∞のファンになっていた。
eighterになった瞬間だった。
ただ、この頃もまだこのグループ名にしっくり来ていなかった。
渋谷さんはいつも「eight」「eighter」と呼んでいたので、わたしはその呼び名にすぐに馴染んだ。
eighterになるまで知らなかったし気にも留めなかったけれど、関ジャニ∞はなんとなくイロモノ扱いされていた。
ジャニーズっぽくないところがわたしにはど真ん中にはまり、寝ても覚めても関ジャニ∞に夢中になった。

関ジャニ∞が結成されてから21年。
関ジャニ∞デビューから19年。
わたしが関ジャニ∞にはまってから17年。
わたしがeighterになるきっかけとなった渋谷さんはいなくなってしまったけれど、かわいい中学生としてわたしにインプットされた亮ちゃんはいなくなってしまったけれど、わたしはいまでもずっと渋谷さんを追い、eightを追い、亮ちゃんを応援している。

20周年を手前にまさかグループ名が変わるだなんて、それも不本意な理由で変えることになるだなんて、想像もしなかった。
関ジャニ∞は本当に紆余曲折のあるグループだったと思う。
イロモノ扱いされながらもひとつひとつ勝ち進んでいく姿はeighterにとっても誇りだった。
ライブの最後に「俺たちが最高で最強の関ジャニ∞!!!!!!!」と叫ぶ瞬間が誇りだった。
かっこ悪いところも見せてくれる人間らしいその姿が本当にかっこよくて、それが誇りだった。
わたしにとって関ジャニ∞はいつも誇りだった。

今日関ジャニ∞はその名前を変えるけれども、関ジャニ∞の走ってきた道は永遠に変わらずそこにある。
関ジャニ∞はこれからも生き続けていく。
彼らのなかに、わたしたちeighterのなかに。

これまでの彼らを目撃してきたいちeighterとして、自分のなかの関ジャニ∞の歴史を今日記しておきたかった。
最初「変な名前」と思ったことも、なかなか馴染めなかったことも、そしていまこの名前を誇りに思っていることも含めて、わたしは「関ジャニ∞」を愛し続ける。
そして新しい彼らの門出を全力で祝う。
新しい名前も全力で愛していくよ!

関ジャニ∞は永遠に最高で最強だ!

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