2020 1.1 4:23

一言で言うと、2019年はこわれもののように、メキメキと音を立てて壊れていくような年だった

2月におばあちゃんが急逝して、そこからずっと怒涛の日々を過ごして私はずっと傷ついていた気がする

そんな中で私が大事にしようと思ったのは、人に誠実にいること、愛を持って真摯に向き合うことくらいでいつものように自分のことよりも他人のことを想って生活を続けた。どれだけ自分の心に余裕がなくても絶対に人のことをわるく言ったりはしなかったし、その行動は相手に対して尊重の気持ちを持てているかというところをひたすら大事にした

だけどそれでも私に突っかかる人はいて、年末ギリギリにアルバイトで不本意な傷つけられ方をして心がくじけてしまった。

アルバイトでは自分よりも年上の人や同い年の子たちが普通に社会じゃありえないくらいの自分勝手さを出していて、私はその人たちがだす自分勝手な行動の埋め合わせで仕事が幾分か増えた。私のお客さんの前で堂々と私の悪口を言われたり、ツイッターで書かれたりもした

よく考えれば今年は作品や作風を盗作されたり、アンチができたりもしてすべてのことに常々傷ついていたなと思う

私の人生は、私が作り上げてきたものを誰かがふらっとやってきてぐちゃぐちゃにされていく                                                                                                   大晦日から元旦にかけてのアルバイトが終わって、帰りの電車に乗って初日出を見ている時、本当にどうしてこの歳まで生きてきたんだろうかと思った。空が綺麗すぎて、自分がたいそう惨めに見えた。自分のせいで恋人や友人にたくさん迷惑をかけてしまったし、終わりの見えない闘病生活にも一気に嫌気がさした。元旦は嫌い。毎年ここまで生きてしまったという自己嫌悪に陥るから。こんなのだったら去年の4月自殺未遂をした時にさっさと成功してしまえばよかった

毎日辛くて厳しい毎日を過ごして、年々諦めが増えて私は高校生の時に比べて随分丸くなった。そしてそれと同時に泣くことも少し減った。しかし強くなったとは思わない、むしろ弱くなった。私はこれからも自分の感受性の高さと付き合っていかなければならないと思うと目の前が真っ暗になってくる本当に生まれてこなければ良かった。



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