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あわや、皿の塔に卒倒

ショッピングモールに並ぶ衣類の山を見ては吐き気を催すようになった。白物家電が並ぶ家電量販店の情報の多さにも耐えられない。「省スペースを叶える」「春に備えた」「今より少し便利な」雑貨の数々、消費のために踊る謳い文句たち。それがどうしたのだろう。流通の波に乗るべく規格化された「商いのための品」が嫌いになって、もうすぐ一年が経つ。

何かを新調することや新しくものを生み出すこと、例えばスニーカーをひとつ買うとか、土を焼き締めて自然に還らない状態にするとか。そういうことに抵抗感が芽生えるようになったのは、大量生産ど真ん中、みたいな商売の会社に新卒入社したちょうど一年前からだろうと思う。もちろん小売りにとってのミッションは顧客にものを届けることで、在庫を抱えることと同じくらい顧客の機会損失もあってはならない。彼らにとって商品は売れて、お届けされなければ意味がない。数字が出ない営みには関心がない。けれど、作りたい、お届けしたい、そんな勝手な理由で産地を犠牲にして資源を消費し続けることに意義が感じられなくなって、辞めてしまった。11月くらい、会議室でわんわん泣きながら苦しいことを全部打ち明けた別部署の大先輩からは、まだ1年目なのにその解像度で苦しくなってしまったんだねと、優しく笑われてしまったこともあった。抱えるものが多くなる私たちみたいな古株は、自分の中のものさしよりも生活のための売上を優先しなくてはならないからね、とも、少しだけ悲しい目をしながら言っていた。

年明け、約一ヶ月の余裕をもって会社に辞意を伝えて、退職日までは日があるから心変わりしちゃうかな、とか思っていた。新卒にしては条件も悪くなくて、人も待遇も今の時代には珍しいホワイトぶりで、福利厚生も手厚い会社だった。何より、そこで働く人たちのことが大好きだった。けど、心変わりは結局しなかった。ものを売らないと足の回らないビジネススキームはそのうち頭打ちになるだろうと辞める最終日の会社を出る瞬間まで疑わなかったし、何よりも早くこの生産と消費のレースから抜け出したかった。こんなにものを作って売ってどうするのかが、最後までずっとわからなかったから。

1月、まだ会社を辞める目前、友人に誘われてヨシ刈りに行った。見渡す限り黄金のヨシ原の地平が広がって、久しぶりに大きく息を吸い込めた。地面から垂直に聳える枯れ枝がスニーカーを突き刺って、随分と大きな穴が空いた。新しい環境でも踏ん張るぞ、と一年前に買ったスニーカーだった。少しせいせいした。だだっぴろい河川敷のど真ん中で、ちっぽけな自分が所有する資本主義の産物に風穴が空いて、膿が少し流れ出たような気持ちになった。せめて会社にいる間は新調してやるものか、と退職日までその靴で会社に通い続けて、結局なんだかんだ、まだ新調せずに履き続けている。愛着半分、大量に靴が並んでいる景色を見るとしんどくなってしまうから、がもう半分。
足りてないな、とも思うけど、引っ越して以降スカスカになっている食器棚を満たそうという気持ちにはまだなれない。もう自然の一部には参加できず、粉にされて埋め立てられるしかない皿の今後を思ってしまうから。土を削りとられた山肌のことを考えてしまうから。

そんな風にして、ものとものを取り巻く現状に難しさを覚えた。つくると買うができなくなっていった。

いま仲の良い友人たちや繋がりのある人たちのほとんどは、作品や展示や、制作に対する態度に共感して出会った人たちだ。そんなものづくりを通して築いたコミュニティの中で、「ものつくるとか最近はちょっとどうかと思ってます。」なんて叫ぶのは場違いで幼稚な態度だけど、もう自分の中で整合性が保てない。「新しい視点の」「これまでにない画期的な」「ユーモア溢れる」…。だからどうしたのだろうと思う。それを開発するまでの過程でどれだけのゴミが出たのか。耳目をかき集めたくて制作されたそれらの行く末は?クリエイターと呼ばれる人間たちが無責任なエゴで形にしたものたちの大半は、発表の場を経た後、誰かの手に渡った後、詰まるところゴミ捨て場や産業廃棄物業者のお世話になるのが関の山だろう。例えば美大の卒業制作展終了後の廃材置き場は、苦学生にとって宝庫となるほど廃材が溢れ返る。そんなもんなんだな、と思う。
一体どれだけの人が、生み出したものの最後にまで気を配りながらものづくりに向き合っているんだろう。作りたいから作って、それでいいんか、ってずっと考えてる。そしてそんな刺々しい感情の一番の矛先になるのは、クラフトマンシップを振りかざしてさえいれば人生は豊かになると信じて疑わなかったかつての自分だったりする。つくる意味とか、それが存在しててもいい意味とか、ちゃんと考えろよ。いや、多分ちゃんと考えてたんよ。だから卒制もただのダジャレプロダクトじゃなくて、大量生産を前提ともしない、個人のためのプロダクトをつくる方向にシフトしたんじゃん。ものが溢れる世の中で、人の心の中に小さく明滅する愛着心を信じてみたくなったんよね。とか、自問自答、云々。

つくることもおもしろいことも、あんなに好きだったけど、最近はもうずっと苦しくて全然大丈夫にならない。昼前に起きて、今日はいけるかと思って道具屋筋商店街に出かけたら皿が5億枚くらい並んでて卒倒しそうになって、夕方に帰って20時くらいまで寝てしまった。最近はそんな感じ。

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