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乳首のプレゼンをした話

昨年あるコンペで賞をいただくことができた。8分間のプレゼンを経て。
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何の気なしに応募したコンペの事務局から電話があったのは、8月も終わろうとしていた頃。クーラーが少し効き始めた部屋で朝ごはんを食べていた時のことだった。
「あなたの応募した(作品名)が一次選考を通過しました。2次審査に向け8分間のプレゼンをご準備ください。」
衝撃だった。通ったということよりも、途方もなくぶ厚すぎる二次審査の壁。こんな思いつきのどうしようもないアイデアで8分間どないして喋れ言うんや と通話後狼狽したのを覚えている。私の提案したものはどちらかというとしょうもないと揶揄されかねないもので、芸人でいう一発屋の様相をしていた。それから1ヶ月後、何もわからなくなりながら行なったプレゼンが想像以上の評価を受け、自分の力で生み出したものが世に通じる手応えを初めて感じた。ただひたすらにうれしかった。
この半年間、その時のプレゼンの内容が気になるという声を周囲から聞くことがままあったので、少し時間に余裕のあるこの時期に一度まとめておこうと思う。過去の栄光をいつまでも引きずるのは停滞の証拠だが、ここは自分のできることをアピールしていかないと生きてはゆけないサバイバル。図々しさと恥を忍んで、いざ参らんインターネットの大海原へ。終始くだらないことを話しているが、ほぼ台本ママである(文語調には変えているけれど)。目の前に6名の強面審査員がいる光景を想像しながら読んでいただければうれしく思う。




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乳首が浮き出ても見えにくいTシャツというものを制作した。
木を隠すなら森の中、乳首を隠すなら乳首の中。Tシャツの全体に乳首を模した突起を多数施すことで本物の乳首がどれかわからなくなり、浮き出ていてもバレないように見せることが可能というもの。
その名も「nipple invisible」。

制作のきっかけとなったのは、Tシャツでできる問題解決をテーマにアイデアを出している時だった。

「Tシャツ着た時、乳首浮いちゃうのやだな」

男性がTシャツを着るときの最大の壁「乳首浮き出る問題」。これを読んでる人の中にも悩んだことのある人は少なからずいるんじゃないだろうか。もちろん、浮き出ていてもそれを見るのも気にしないという人は多くいるけど、一般的に乳首が見えているのはやはりあまり好ましくないとされているのが現状だ。

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「男性の乳首が浮いてるのはアリか」を女性750人にアンケートしたものでは、「気持ち悪い」「需要がない」「ナルシストっぽい」…etc、その80%以上が「ナシ」と回答。普段見えないものが見えてしまうことの恥じらいや戸惑いが、乳首を浮き出す側そしてそれを観測する側の双方に生じてしまっているのではないだろうか。
今年度のTOKYO MIDTOWN AWARDのテーマは「HUMAN」。本コンペを通し、そんな人類最大の壁を打破したい、私はかなり真剣な目でそう審査員たちに語りかけた。

ではそもそもなぜ人間は、乳首に限らず体が露出することに恥じらいを覚えるのだろうか。

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これは、人類の祖アダムとイヴが蛇に唆され禁断の実を食べた直後の場面を描いた絵、「The Revuke of Adam and Eva」。二人が腰に葉っぱを巻いているのがわかるだろうか。聖書によると、アダムとイヴが善悪の知識の実を食べ目が開け、自分達が裸であることを恥じイチジクの葉で腰を覆ったところが「体を隠す」という行為の始まりとされていた。物の分別がつき、他者としてのお互いの目線を恥じ服を着る。今では当たり前のようにも思える感情の動きだけど、その根底には「他者の目線」が存在していた。人の目線を気にしてしまうのは人類創世の頃から変わらず続いていた。

また、「他者の視線に恥を感じるのは、それが私たちに自己疎外を生じさせるからである」とはフランスの哲学者サルトルの言葉。自分の内側にあるものが形になって外に現れた途端、自分のものではないように思える感覚のこと。他者の視線を感じると、その自己疎外の意識が顕在化してしまうという。
自分が他者の意識の対象物であるという意識、それこそが「恥」の正体だった。

まさにそんな意識が働く最たる例が、この乳首浮き出る問題ではないだろうか。そしてこのケースにおいて鍵を握るのが、他者から胸部へ届く視線の誘導のさせ方ではないかと考えた。

そこで考えたのが、冒頭のあらかじめ大量に乳首を模した突起を施すことで、浮き出た乳首を紛らわせるという方法だった。「木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中」、ものを隠すには同種の群がりの中に紛れ込ませる方法が最適であるという意味の慣用句に倣うことで、この問題最大の原因となる「他者からの視線」を複数の擬似乳首によって分散・撹乱させることが可能になる。また胴体部分だけではなく袖、背面など全体に突起を施すことで、よりそれを乳首対策と悟られることなく一つのファッションアイテムとしても成立するよう心がけた。

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また現在、浮き乳首対策として男性用ニップレスや特殊製法で縫われたアンダーウェアなど、日夜様々な開発が進んでいる。このTシャツとそれらが大きく違う点は、「浮き出た乳首を肯定しつつなおかつ乳首を隠すことができる」というところにある。今挙げたような先行研究のいずれもは乳首の存在を完全に抹消し、そもそも乳首などなかったかのようにさえ振る舞うものばかり。

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確かに、女性のそれに比べ男性のものに生物学的な役割は特に無く、ただ服の下からその存在を主張するだけの無用の長物と言えるだろう。しかし、それは誰の胸にも存在するものであり、人体の造形美の一部と言っても過言ではない。
浮き出ていてもいい、恥じなくていい、もっと自信を持ってもいい。
あんまり役には立たないし、それでいて少し前に出すぎてしまう。そんなどこか憎めないぽっちりを否定するのではなく肯定することで問題を解決に導くという点に、このTシャツの新規性を見出していただけるとうれしく思う。

沈む心も、浮き出る乳首のように浮かばせたい。もっと胸を張ってほしい。浮き出るくらいいいじゃん、いっそ浮き出てなんぼやで。
そんな思いを込めて、このnipple invisibleの提案とさせていただきたいと思います。以上で発表を終わります。





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私はなにを言っていますか?



コンペの詳細はこちらから https://www.tokyo-midtown.com/jp/award/result/2018/design.html















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