見出し画像

すくわれた季節


ずっと張り詰めていた、長くて長くて一瞬だった。終わってくれるな、と思いながら目に写るすべてを焼き付けて過ごしたこの一週間の、この一年の、どの瞬間も忘れることはないだろうな、それくらい、自分にとっては大きな意味を持つ展示だった。自然光がドカンと入るあの教室のまんなかで、木をやすったりペンキを塗ったり、完成した展示を見て、いろんな人と言葉を交わしたりしているうちに、宝物になった。今後どれだけつらくて大きくて分厚い壁に道を塞がれたとしても、強く生きていける。自分の作品の足元に金色の夕陽が差し込んで、芯のような何かが自分の中に確かにかよっていく感覚を、この先もずっと覚えている。


不肖にも、誰かのためなどと立派な言葉を並べてものを作ったことがなく、最後の最後くらいは誰かのためにものを作ろうと思っていた。けれどどうにも難しくて、ではあんまり触れてこなかった自分のなかの少数性に焦点を当ててみて、少なくとも自分のためになるような制作ができれば、ひとまずは上出来だ、と決めた。自分のために、卒制をやる。パーソナルは回り回ってソーシャルになるし、「あなたがあなたのために社会にプロテストを示すことは、あなたと少しでも似た人の境遇を変えることに繋がるはずだ」と、学科の先生にも背中を押してもらえた。自分のために、自分の住みよい世界のために、その過程で自分と少しでも似た人を善い方向へ導くために、ものを作ることにした。けれど結局誰かを救うとかはたぶんフィクションで、自分には無理なのよと諦めながら手を動かしたりしていた。わからなくなることも多かった。けど手が動いているということは、前か後ろかどちらかには進んでいるということだから大丈夫だと、ふたつ上の先輩の言葉を頭のなかで繰り返しながら一年を過ごした。


展示の中に、3000字くらいのテキストを用意していた。リサーチと論評とエッセイの、なんかどれでもない真ん中みたいなやつ。L字の箱を吊って、作品とは反対側の側面にシルクスクリーンで印刷した。自分のことについてと、社会のこれからのあるべき姿について、22歳時点の答えとか覚悟を自分なりに全部書いた。これまでしていたリサーチを年明け頃からまとめはじめて、文字通り自分を削りながら文章を書いた。自分を全部出すことが怖くて涙が止まらなくなることもあった。悔しさが足りない自分に悔しくなることもあった。社会、まだこんな段階か!と投げ出したくなるときもあった。ただでさえ文字情報を減らすのがデザインの役割なのに、こんな文章誰が読むんですか。と、学科の先生に泣きついたりもした。けど、最後まで自分の手で言葉を綴ることを諦めずにいられたのは、「読んでくれる人が5人しかいなくても、ちゃんと書ききりなさい」と背中を押し続けてくれた先生たちや、常に当たり前の空気でいてくれた周りの友人たちがいたからだった。

いろんな大人に添削を頼んで、展示計画も何回も練り直した。搬入の最後の最後までシルクがうまく刷れなくて、後輩に手伝ってもらっても失敗が続いて、工房の人たちに最後まで迷惑をかけながら、最後は一人でひとつひとつセンテンスを刷っていった。ほぼ祈りだった。いろんな覚悟があって、視界のすべてが止まって見えるほど目の前の支持体に集中していた。独特な時間の流れがあった。

 形になっても本当にこれでいいのかずっと不安があって、自分の展示もなかなか好きになれないままでいた。誰にも見に来てほしくなかった。自分の内側をこんなに全て見せることが初めてだったのもあった。けど、搬入最後の日の夜に、ひとつの空間ができて、その一部としてちゃんと参加している自分の展示を見て泣きそうになった。泣きそうになったから作業が終わったらすぐ教室を出たのに、エントランスでゆかりちゃんとばったり会った瞬間に、涙が出て止まらなくなった。わんわん泣いてしまった。ずっと悔しいこともうまくいかないことも難しいこともひとりで抱えてきたから、それは誰かに助けを求めることで解決する類いのものではないことを知っていたから、そういうのが全部、薄いグレーの膿みたいなかたちになってたぶん、堰を切って流れ出た。おもしろいくらい止まらなかった。

ずっと張り詰めていて、気にかけていた物事が少しずつ終わっていく予感を知るたびに、人生はいつも少しだけさびしいことを思い出す。膿も、光も全部携えて生きていけたらいいのに、と思いながら、帰りの電車でもずっと、涙が溢れて止まらなかった。

蓋を開けてみれば、いろんな人が自分の展示で足を止めてくれた。写真に撮ってくれる人がいて、作品を見て笑ってくれて、ゆっくり時間をかけてテキストを読んでくれる人たちがいた。涙を流してくれる人もいた。頑張ってよかったと、心の底から思った。最初は自分のためでしかなかったのに、いつの間にか自分ではない誰かに届けることを考えていた。なのにやっぱり、結局自分が一番救われてしまった。あたたかい言葉に触れて、なによりも強くなれた。自分の心の内側をこっそり見せてくれて、山月さんになら言えると思ってと、自分を信じてくれる人がいた。全然、自分だけのものじゃなくなるくらい、いろんな人があの展示にいろんな言葉をくれて、大袈裟だけど、ちょっとは誰かを勇気づけたり明るくしたり、やさしくしたりできたのかもと思った。


たかが卒制で世界を変えることはできないけど、たぶん半径1mくらいからなら色々変えていくことはできる。ゴジラは自衛隊がいないと倒せないけど、なんかもうちょっと小さいところから、じわじわとなら、どうにかやれる。イラレでデータをぽちぽちしたり、これなんかおもろくならないかなあとか考えてる自分たちのこの手は、たぶんそのためにある。救済とか祈りとか、いちいち胡散臭いししゃらくせ~って思うけど、どこかで、自分の作った何かが、誰かの灯台になる。そのときに、ちゃんと光度があって、とおくまで照らすパワーが残せるように、ちゃんとした姿勢でものを作らないといけないのだろうな。


改めて、展示を見てくれた人たち、言葉をくれた人たち、これまで自分と関わってくれたすべての人たちへ、ありがとうございました。

ア~、戦いは続くのだな、ひとまず完!いっぱい寝る

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?