見出し画像

この16年間幸せを運んでくれてありがとう

「ラルフが亡くなったって」

今日の昼、涙ながらに母が私に言った。



ラルフがうちに来たのは、私がもうすぐ5歳になる年中さんのガキンチョの頃だ。一人っ子だった私にとっては兄弟も同然だった。何より散歩が好きで、たくさん歩くし走るし、脱走はするし、、、でもジャーキーも大好きだからすぐ戻ってくるし、散歩中に脱走しても家の前で待っていることもあった賢い黒柴だった。

旅行にもキャンプにも、車に一緒に揺られながら、窓の外を眺めたり、体を預けあって寝たりもした。たくさんの落ち葉が積もったところに突っ込んで暴れ回るのも、雪の中に突っ込むのも大好きだった。

この16年間、私たちの家族に幸せを届けてくれてありがとう。


少し私の話をしよう。私は小学校に入るまで祖父と祖母の実家に住んでいた。そして年中の時、ラルフがやってきた。小学校に進むと実家から少し離れた同じ市内に親と引越しをしたが、よく祖父と祖母とラルフに会いに行っていた。年中行事や大型連休の四季になると従兄弟家族ともその実家に遊びに行っていた。その時にもラルフはずっと一緒だったし、秘密基地ごっこなんかもラルフと走り回っていた。

その後市内の中学校、高校に進学し、頻度は減ったものの、ラルフと過ごす時間はかけがえのないものであり続けた。

そして、ちょうど2年前ほどだろうか。ラルフ老けたな〜なんて思い出したのは。大学に通い始め、より会う機会は減っていた。それでも車の免許は持つようになっていたし、一人でケーキとかお寿司とかを食べに実家に顔出して、たまに散歩もしていた。

「次の夏は越えられないかな〜」

祖父と祖母が年明けごろにこぼしていた。犬の平均年齢を考えれば、覚悟も必要な時期になってくる。心臓などの内臓は至って健康だったが、段々と後ろ脚が弱くなっていき、散歩も行きはピンピンしているが、帰りはびっこを引くかたちだった。

今年の4月にもうダメかもしれない、という趣旨のメールが祖母から入った。その前日からご飯を全く食べず、嘔吐もあったらしい。私が会いにいくと、思っていたよりは悪くなく、散歩に行きたい!という感じだった。なので、祖父と祖母とラルフと私の4人で最後かもしれない散歩に行った。その時期はちょうど桜が散る頃で桜が花咲かせながらもコンクリートの上に桜散りばめられていた。長生きしてね、とは私は思っていなかった。生きていてくれてありがとう、ただひたすらそう思っていた。


「ラルフが亡くなったって」

私は座っている机から身動きが取れなく、黙り込んでしまった。正直どういう感情を抱いていたか自分ではよく覚えていない。ただ母親がさささっと、

「5分後に出るからくるなら準備して」と。

私はシトシトと雨が降る外を確認してから、半ズボンから長ズボンに着替え、ラルフの温かみを全体で感じたいと思い、半袖のまま、車に乗った。

車内は何も考えないようにした。何も考えなくても、涙が溢れてきた。思い出を振り返るよりもまず真っ先にラルフを抱きしめてあげることが大切だと思ったからだ。

祖父と祖母の家へは15分ほどで着いた。

ラルフは丁寧に敷かれたタオルの上に横たわっていた。

とっても綺麗な姿だった。顔立ちも、毛並みも、、、

横たわっている瞬間を見た時は見ていることができなくて、一度玄関に引き返してしまった。でも、覚悟を決めて、ラルフの元へと寄り添った。本当に綺麗だった。脚や顔は硬直して、冷たかった。でも身体はまだ温もりがあった。祖母がチューブであげていたカボチャが口の周りについて取れなくなっていた。とても可愛かった。そんなことでも私たちを笑顔にしてくれた。何度も何度も抱きしめた。ありがとう、ありがとう。この16年間おつかれさま。

父は仕事だったが、祖父、祖母、母、そして私に囲まれて逝ったラルフは幸せだったのではないだろうか。

今日の午前中もラルフはあまりご飯を食べず、ゆっくりクッションの上で休んでいたらしい。そして祖父もソファの上で昼寝をしていた。祖母が買い物から帰ってくると、足が重力に逆らわずにピーんと伸びていたという。そして、近づいて口の周りについたカボチャを取ろうとしても一切動かず、冷たくなっていた。

祖父が野球中継を見ながらソファで寝落ちしたり、祖母のマシンガントークだったり、ゆるくお茶を飲んだり、、そんな16年間が刻み込まれたリビングで、そんないつもの昼下がりに、眠るように旅立った、それがラルフの最後でした。

ラルフは自分がまだまだ動ける、走り回りたい!って思っていたんだと思う。玄関下の階段までいつも通り降りようとして落っこちたり、夜中に庭でいつもは越えられていたところに脚を挟んでうめいたり、、精一杯生きるというよりは、自分の性に身を任せていたように思う。

「柴犬は狼が先祖だからな!番犬の性なんだよ元から。サバイバルを生き抜いてきたんだ」

祖父の口癖だった。いつもこれに対して母や祖母から、「やってあげなくちゃいけないこともあーるーの!」と言われていた。しかし、自然の中で凛々しく奔放に生きていたと思う。気まぐれなところも、飯にガッツくところも、自分の尻尾に永遠と噛みつこうと回転するところも、、


ただ私は後悔はしていない。いつもこれが最後かもしれないと思って会いに行っていたから。

でもそう思うのもなんか違う気がする。

世の中の大抵のことは、相手のことを想ってするというより、

「そうすることによって自分を安心させる為、自分の為」になっていることがほとんどだ。

だからこうして会いに行っていたことがそうなってしまうことは絶対に嫌だ。

後悔といって、この主人公は自分であるかのような勘違いだけはしたくない。

ラルフがここにきてくれて、生きてくれて、幸せを運んでくれて、その感謝でいっぱいであることを決して忘れないだけである。


最後に、祖母が長年ラルフのトレードマークである赤い首輪についていた骨型のキーホルダーを私に渡してくれた。

帰りの車の中で母から

犬を絶対飼いたいって言い出したのは祖母であることを聞いた。

きっと一人っ子の僕を思ってのことだったのだろう。


飼い始める犬は実は最初ラルフではなく、別の犬だった。

でも見に行った時に当時年中だった私が、「この子がいい」とどうしてものわがままを言ったため、後から電話して変更してもらったのだということも聞いた。


小さな兄弟たちの中で一際おとなしく、じっとこちらを見つめていた子。


ラルフ。これからは大空でめいいっぱい走り回ってください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?