ユニフォームを脱ぐ時
2021.11.1
東京ヤクルトスワローズに所属する、背番号41番の雄平選手が引退した。
雄平選手がユニフォームを脱ぐその日、私も一緒にヤクルトスワローズの応援をやめることにした。
優勝して、これからCS、日本シリーズと続くのにこのタイミングでファンをやめようと思うのはなかなか珍しいのかもしれない。
私にとって雄平選手は太陽のような存在で、これからどんな選手が出てきても雄平選手を超えるぐらい好きと言える存在は居ないと思うような選手だっま。
そんな大好きな雄平選手の引退試合があったら、自分がその場に居ないことなんてあり得ないと思ってたし、あってはならないとさえ思っていた。
結論から言うと、その場に居ないどころか、引退試合をテレビの前で観ることさえもしなかった。
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10/12.13.14のドラゴンズ戦をバンテリンドームで
19.20の阪神戦を甲子園で
21.22の広島戦を神宮球場で観戦した。
コロナになってから初めての神宮球場。
雄平選手の引退発表がある前から、今年なんじゃないか?と思い、友人に連絡し、引退試合をやるなら10/21.22が濃厚という話し合いをし、引退発表前にチケットを確保した。
10/19
M4で迎えた阪神戦。
4連戦現地の私は、胴上げを観れると思っていた。
最悪19日か20日、どちらかしか勝たなくてもM2になるビッグチャンス。
今のヤクルトスワローズの勢いなら、連勝してそのまま甲子園で胴上げをやるんじゃないかとすら思えるぐらい強かった。
胴上げが見たい、優勝の瞬間が見たい。
それ以上に、早く優勝を決めて雄平選手の引退試合を用意してほしい。
正直私にはその気持ちが強かった
19日、11失点をして負けた試合。
ビジター応援席の人が負けたことにガッカリしている以上に、雄平選手の引退試合がもしかするとなくなるんじゃないかという不安と悲しみでしばらく動くことができなかった。
20日、なんとか0-0の同点で終了。
その瞬間、優勝したかのように喜ぶビジター応援席の仲間たち。
「この引き分けは勝ちに等しい引き分けやし、阪神は負けに等しい引き分けや!」の声。
実際、ヤクルトスワローズはこの日M3とし、神宮球場に帰ることとなった。
ただ、私は周りとの温度差にショックを隠しきれず、雄平選手の引退試合がなくなるんじゃないのかと一人で泣きそうになっていたのを覚えている。
同じ空間に居るのに、自分だけ宇宙に居るかのような感覚になった。
こんなに喜んでいる人たちは一体何が嬉しいんだろう?何をこんなにはしゃいでいるんだろう?
本気でそう思っていた。
色んな友人から「雄平選手なら絶対引退試合するよ。」と言われた。
だが、その励ましすら憎かったし、辛かったし、悔しかった。
10/21 神宮球場での広島戦。
11失点して負けた試合。
こうも連続で11失点もしてると私が現地観戦するのが間違えているのじゃないのか?とさえ思えてくる。
この日は久しぶりの神宮で、ボロ負けだったこともあり甲子園よりは気楽に見れた。
もう21.22には雄平選手の引退はないな。と分かりきってたので、開き直っていたのかもしれない。
10/22 雨天中止。
割と早い段階で今日の試合は中止です。と発表され、優勝の胴上げ、引退試合どころか、負け試合すらも見せてもらえへんのか。とガッカリした覚えがある。
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そんなこんなで雄平選手の引退試合のアナウンスもなく、優勝もなかなか決まらず、ファン感謝祭で雄平選手の引退セレモニーをやって終わりかな。と思っていた。
ただ10/26に優勝が決まり、私が観戦する予定だった10/22の振り替えの試合が11/1に開催されることになった。
これにはたくさんのファンが雄平選手の引退試合を期待したと思う。
この時点で私はだいぶ落ち込んでおり、友人の優しい言葉も受け入れられなくなっていた。
あの時あの選手がエラーをしなければ、あの時あの選手がホームランを打っていたなら雄平選手の引退試合は今頃終わっていたのにな…と考えても無駄なことを考えては落ち込み、考えては落ち込みを繰り返していた。
今、冷静になると私は東京ヤクルトスワローズが好きな以上に、雄平選手が大好きで、雄平選手がありきのヤクルトスワローズだったのかもしれない。
雄平選手自身が、優勝を望んでいたことは間違いないし、優勝が決まるまで引退試合はしなくて良いです。って言っていたのかもしれない。
でも私にとって優勝は雄平選手の引退試合の通過点みたいな気持ちになっていたのも事実だ。
この時点では雄平選手の引退試合はないだろう。と思いながらも、もしかしたらやってくれるかもしれない。でも期待はしないでおこう。
そう思ってアナウンスをひたすら待つ毎日だった。
そして、チケットが発売される10/29の朝10時50分頃までアナウンスを待ったが、引退試合のアナウンスはなかった。
もう雄平選手の引退試合はないんだろうと思い、友人にも最終戦は引退試合のアナウンスがないのでチケット確保しなくて大丈夫!と連絡した。
その日の夜は仕事が遅くまでありなかなか情報を追いきれず、ふと23時過ぎにTwitterを見ると雄平選手の引退試合の発表が1時間ほど前にあった。
私は頭が真っ白になった。
チケットは完売の状況。
自分は雄平選手の引退試合を絶対にこの目で観ると信じてたし、望んでいた。
最終戦のチケット発売のギリギリまでアナウンスを待っていた。
もうやらないんだな。と思って仕事のスケジュールも変更した。
なのになぜ????
あと1日発表が早ければ
あと12時間発表が早ければ
なぜ?なんで?なんでそんなことするの?
そんなことする球団なの?
この時ばかりは本当にショックだった。
家に帰って号泣した。
色んな意見があるとは思う。
最終戦で優勝セレモニーもある。転売対策。急に決まったらかもしれない。大人の事情。
それは分かってる。
私も大人だからそういうの全て理解はできる。
でも納得はできなかった。
全部ひっくるめて本当に納得できなかった。
正直冷静じゃなかったあの瞬間、球団に不信感さえ持った。
こんなことしてくる球団なんか!おかしい!!!
とさえ思った。
最終戦はテレビの前で、たくさんの人が観れると良いなと思ってチケットは取らなかった。
でも引退試合となれば別。
本当に悔しかった。悲しかった。
この悲しみを理解してくれとも思わないし、多分ほとんどの人が理解できないと思う。
色んな事情があるのも分かる。
それでもやっぱりなぜ?しか出なかった。
いっぱい泣いた。
雄平選手の最後を見届けたかった。
その日から、ヤクルト球団がトラウマになった。
私は雄平選手の引退を受け入れられなかった。
雄平選手の引退は覚悟をしていた。
今年だろう。そう思いながら過ごしていた。
だからこそ良い形で見送りたかった。
ありがとうとお疲れ様を伝えたかった。
それすらも許されないのかと思ってひどく落ち込んだ。
タイミングが悪すぎて、つい最近まで落ち着いてきてた気持ちが逆に荒れ狂った。
感情が逆戻して、雄平選手の引退を受け入れられずテレビでの引退試合さえも観れなかった。
もうずっとヤクルトスワローズは何をしてるんだろうと思って苦しかった。
なによりも悔しかった。
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2021.11.1に雄平選手がユニフォームを脱ぐ日
私も一緒にヤクルトスワローズの応援をやめる。
選手が悪いわけでもない。
もちろんきっと球団が悪いわけでもない。
どこにぶつけて良いか分からない感情がひたすら渦を巻いている。
でも、やっぱり最終戦のチケット販売から引退試合発表までのアナウンスを思うとしんどくなる。
少し時間が経った今、そういう風な発表しか出来なかった理由があるのも何となく分かる。
でも、あの日、あの夜、Twitterで見た引退試合のお知らせは今でも脳裏から離れない。
私はひどく傷ついて、ひどく落ち込んだ。
ヤクルトを応援したくないわけでもない。
ヤクルトを純粋に応援できないな。
と心から思ってしまったからだ。
絶対いつかヤクルトファンに戻るやろ!
とい友人からも家族からも言われる。
阪急ブレーブスのファンだった知り合いのおじさんも、近鉄、オリックスとなり不信感で野球を嫌いになったこともあった。でもやっぱり戻って来たんやで。と言って励ましてもらったりもした。
もしかしたらいつかまた、私は雄平選手のユニフォームを身につけて神宮球場で応援歌を歌ってるかもしれない。
でも、今は無理矢理応援することはやめよう。
自分の気持ちが回復したその時に、録画した雄平選手の引退試合を見ようと思う。
それが3日後になるか、1週間後になるか、来年のシーズン開始になるか、1年後になるか。
いつになるかは分からない。
正直、今の落ち込み具合では一生受け入れられないのじゃないかとすら思う。
でも、無事に気持ちが回復した時には
雄平選手のタオルを掲げて
雄平選手のユニフォームを着て
雄平選手のカンフーバットを持って
一人きりで雄平選手の遅れた引退試合を開催したいと思う。
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長々と書いたが、ヤクルトスワローズは本当に最後に素敵な引退試合を用意してくれたと思う。
私はまだ1秒も観ることができていないし、家族や友人の話を聞いてしか知らない。
でも、たくさんのファンが雄平選手のことを惜しみ、愛し、感謝を伝えた試合になったと思う。
石川選手と雄平選手の話も、なんとなく母親から聞いた。
素敵な引退試合を用意してもらって感謝している。ありがとうございました。
ヤクルトスワローズは、これからCS、日本シリーズと駒を進めると思う。
私は多分応援できるほどメンタルの回復がしていないと思うので、他の友人に託そうと思う。
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推しは推せるうちに推しておけ。
アイドルにハマった時に、よく聞いた言葉だ。
このコロナ禍において、なかなか推せるうちに推すを形にするのは難しい。
でもこんなご時世だからこそ、推しは推せるうちに推しておけ。と伝えたい。
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2021年11月1日
私は雄平選手の引退と共にヤクルトスワローズファンをやめた。
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