大喰いの友達

大食いのともだち、あえての
大喰いのともだち、要するに
食いしんぼうってことなんだけど

いつもだったらたくさん食べるのに
納得いかないことがあって半分で残してて

腑に落ちるってゆう感情の威力を感じた、

それは別に全然矛盾だらけでいいんだけど
その人なりのセオリーに はまって
腑に落とすことが生活するには必要なのかも

私の場合は、ゼロひゃくになる。

理性が働くときは、グレーでも全然腑に落とせるのに
窮地に立つとゼロひゃくじゃないと納得できない

なんか文字に起こすと理性が働くときって
客観的に見えるときかも

ぐちゃぐちゃに自己をなくして
光が見えなくなったときに
自分の中で信頼してる人たちが
すぐに解決できることじゃなくて
解決できそうな私を作ってくれることに
私はすごく救われた、

多分、みんなそれぞれの戦いがあって
相談とか悩みは客観的に見えるから
解決策とか近道とか分かるのに
こうしたらいいよ!とか、こうすればいいのに!
じゃなくて
まずは状況を受け入れてくれたことが
この自分で戦っていいんだなっていう安心になるんだなあって体感した、
消えたでもなく無くしたでもなく、
溶けてるだけの自分をちゃんと
わかってくれる感じ、

もちろん自分の中で色々変えて戦わなくちゃいけないけど
なんかこの寄り添い方は、
自分じゃなくて自分のやり方が違ってただけなんだなって
そう思えるから安心する

なんか、これは
ストリートチルドレンにお金をあげるんじゃなくて
稼ぎ方を教えてあげることに似てるかも

長い付き合いを信じてるから
この立ち振る舞いができるのかな

美味しい卵焼きを作りたくて
あれこれゆうんじゃなくて
一緒に何回でも作ってくれるみたいな

放置というか、ガーターみたいなやさしさが
私もともだちにできるようになりたい

めまぐるしく過ぎる日々の中の
掬いきれない悔しさを
ちゃんとわかるともだちでいたい


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