とりとめのない音楽思考


昨日の夜、すごくポップにクラシックを楽しめたなあと思い返して、とってもよかったな、という気持ち。

二十数年クラシックがわからずにいたので、そのコンプレックスを隠すように音大にいた頃からとにかく頭でっかちになろうとしていた。
というか、自分の感情ではなく、ひとの感情をどう作ろうかっていう音楽のちからのほうに興味関心があった。んだと思う。

然るに、私はドイツの音楽が大好き。感情のほとばしりを、こう、枠にぎゅっと押し込めてるから、頭でわかることが多い。「理解できる」みたいな。

でも音楽って根源的に、感情というかこころの動きに関するものじゃない。自分の感情やこころの動きに敏感にならないと受け入れられない音楽のほうが多いはず。ていうかそれがそもそもスタンダードで、「頭でわかる」音楽はそのスタンダードにくっついてる要素なのかも。ていうか、たぶん、そう。

「ファーニホウの聴き方ガイド」という記事を読んで

どんな音楽でも、それを聴いたことを見える化するって、実はとても大切ででも難しいというか、あまり意識的にはしてないことだよなあって思った。

自分の感情は、ずっと隣にあるものだからこそ意識しなくても"なんとなく"わかったつもりになれてしまう。でもそれを見える化する過程で、隣のものと正面からやっと対峙できる気がする。


ということで、そういう「心の動きを見える化する」授業をしてみたら、思いの外反応が良かった。
そしてなにより自分自身も、聴き方が広がった。

結果、いままで嫌味ったらしくて技術の煌びやかさばかりを取り沙汰してる、くどいお菓子のようで嫌いだ!って思っていたラフマニノフを、好きになることができた。

すごい!!!

わかろうとする、頭でっかちな思考では、ラフマニノフは絶対に入ってこないわ。自分の感情のとびらを音楽に対して開いて、ラフマニノフの波にのるとこんなにも気持ちいいということがわかった。感情の波乗り、みたいな。

たぶん、昨夜私は、知らなかった音楽の魅力の世界の入り口を見つけたんだと思う。

幸せなことだ。

これからもどんどん音楽を聴いていこう。と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?