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インパルスの過激派オタクからインパルスへ

わたしははねるのトびら世代だ。
そして、筋金入りのインパルスオタクだ。


13歳のわたしは田舎に住む普通の中学生だった。友達も居たし、勉強もすごく出来たわけじゃないけどそこそこできた。


でも、ある日、突然躓いた。理由はよく覚えていない。些細なことだったと思う。
朝起きると体が動かない。無理矢理学校へ行こうとすると涙が溢れてくる。どんどん眠れなくなり、どんどん食べられなくなった。頭が痛い、お腹が痛い、吐き気がする…


そして、学校に行けなくなった。


自分を責めた。親を責めた。学校を責めた。
毎日、つらくて苦しかった。わたしはどうなっちゃうんだろうと怖かった。なんでみんなが当たり前に出来ることがわたしには出来ないんだろうと、自分の未来が真っ暗になった気がして怖かった。消えてしまいたいと思った。


そんなとき、まだ23:00台の深夜放送だったはねトびを初めて観た。たしか、はねトびメンバー全員で九州に住むロバート秋山さんのお父さんに会いに行く回。面白かった。久しぶりに笑った。
そこからはねトびのDVDを借りた。スカパーで過去のはねトびの放送回を観た。


特に板倉さんのメインの澪美のコントと、アテレコのコント、つっつんのメインの大家族のコントが好きだった。インパルスのファンになった。(グローバルストーンや、哲也とお父さん、はねるのトびらのファンなんです、村田さなえも大好きだったけど)


インパルスの出演番組は全て録画した。
狂ったようにインパルスを追いかけた。


バク天とか、@サプリとか、深夜時代のイッテQとか、いいともやごきげんようにもよく出てたし、あんなに爽やかなはなまるマーケットのトークコーナーにも出てたな。おはスタにも出てた。名古屋ローカルや東北ローカルで冠番組もしてたし、アドレナガレッジや内P、ドラマにも出てた。売れっ子インパルスを追いかけるのは大変だった。


年末年始は特に大変でほぼ寝ずにインパルスの出演番組を追いかけた。とにかく可能な限り、全部観た。生放送が多い年末年始の特番を追いかけるわたしの睡眠時間はほぼインパルスと同じだったのではないかというレベルに追いかけた。眠かったけど、楽しかった。夢中だった。


思春期に学校になかなか行けずもがき苦しんでいたわたしは、インパルスを追いかけることで明日を生きる楽しみを見つけた。消えたい気持ちが少しだけ消えた。


高校生になって、元気になったわたしはお小遣いやお年玉を貯めて時々、夜行バスに乗って6〜7時間程かけてインパルスのライブに行くようになった。

わたしの住む地方から電車で1時間程度の場所でインパルスがライブに出演したり、公開収録や学祭があると必ず駆け付けた。

もちろん、単独ライブも行った。
高速バスに乗って、6〜7時間かけてひとりで単独ライブを観に行った。
単独ライブだけ見て新宿のファーストキッチンでひとりで小さなカップパスタを食べて、また高速バスで地元まで帰った。興奮で全然眠れなかった。インパルスの単独ライブはいつも最高だった。

インパルスマイルというファンサイトから他のファンの方とお金を出し合って、単独ライブおめでとうございますのお花を送ったこともある。

初めて行った単独ライブ『村雨』の終わり、物販が空くのを端っこで待ってたら隣に立ってる女性がやたら話しかけられていた。北陽のあぶちゃんだった。あぶちゃんも同じライブを観ていたことが嬉しかった。

2回目に行った単独ライブ『地下室』の終わり、よくわからない人の気配のない場所に出てしまって駅までどう行くのだろうと迷子になっていたら、ドランクドラゴンの鈴木さんとロバートの山本さんに遭遇した。歩きながらふたりでインパルスの単独について大きな声ですごい熱量で語っていた。嬉しかった。

3回目に行った単独ライブ『丘の上の木の下で』の終わりには板倉さんご両親を見かけた。これは1番の自慢だ。

板倉さんのご両親は一度だけはねるのトびらに出演したことがある。そして、その録画を繰り返し観ていたインパルスの過激派オタクなわたしはご両親の顔を覚えていた。

2人ともずっとニコニコしていて、スタッフさんたち1人1人に頭を下げながら帰られていく姿を目撃した。とても素敵な、上品なご両親だった。

追いかけて、板倉さんを生んでくれてありがとうございます。と、言いたかった。勇気が出なくて言えなかったけど、言いたかったし、心の中で何度も言った。


ライブスタンドのトリガーのイベントで、初めて板倉さんと写真を撮ってもらった。握手をしてもらった。サインをもらった。震えた。


板倉さんの目にわたしがうつった。わたしのためだけに言葉を発してくれた。わたしに笑ってくれた。


本当に嬉しかった。楽しかった。幸せだった。


インパルスから年賀状をもらったこともある。もちろん、何かの企画だ。雑誌だったかな。応募して当たった。雑な年賀状だったけど、宝物になった。


インパルスがイロモネアで100万を取ったときは誇らしかった。ほらね!わたしの見る目は間違ってなかった!インパルスは天才なんだって思った。


インパルスがキングオブコントで優勝出来なかったときは泣いた。引くほど泣いた。絶対インパルスは面白いのに!なんで!なんでインパルスが1位じゃないの!と、本当に悔しかった。録画したその年のキングオブコントは悔しくて未だに観ることが出来ないし、DVDも買ったけど悔しくて一度も観ていない。でも買ったし、今も大切に保管している。(もちろん東京03もロバートも大天才だし最高に面白くて優勝には納得してますので、叩かないでもらえると嬉しいです。インパルスオタクの当時の悔しさを吐き出してるだけですので、ご了承ください。)


つっつんと初めて写真を撮ってもらったのは、たぶん少年X。写真をお願いすると、もちろん!撮ろう、撮ろう!と、快くツーショットを撮ってくれた。


わたしがわたしの目で何年も見てきたつっつんは、いつもニコニコしていた。気さくで、感情にムラがなくて、いつも同じトーンで対応してくれた。サイン会でお客さんの数が少ないとぼそっと自虐する板倉さんを大きな声でハイテンションで励ましていた。


とある大学の学祭でインパルスの出待ちをして少しだけお話させてもらったら、
そのあとそのときのわたしの話をつっつんがTwitterに書いてくれたこともある。こんなオタク冥利に尽きることはない。


何回目かのライブスタンドで、インパルスのサイン会の開始時間を友達とふたりで待っていたら、簡易的なテントで出来たブースとブースの間に少し遠くて暗いけど、人影が見えた。


覗くと板倉さんだった。目が合った。嬉しくて全力で手を振ったら、見やすいように体を乗り出して全身使って大きくブンブンと板倉さんが笑顔で手を振りかえしてくれた。


さっき書いたトリガーのサイン会のときも、
振り絞った声で小さい頃からずっとだいすきですというわたしにふふっと笑ってありがとうございますと言ってくれて、受験控えてるんですと伝えたら、大学生になるの?と聞いてくれ、受験がんばれ!とサインに書いてくれた。おかげでがんばれた。推薦だったけど。


わたしが知っているインパルスは、ふたりともとても優しい。


インパルスのオタ活をしていた時間は、今思い出しても胸の奥がきゅっとなるようなキラキラした青春の思い出だ。友達がかっこいい先輩やちょっとやんちゃな同級生を追いかけている間、わたしはインパルスを追いかけた。(正確にいえば他の芸人さんのライブも通っていたけど、インパルスはわたしの中で別格で神様のような存在だった)


インパルスがいなかったら、31歳にはなれていなかったかもしれないなと思う。それほど、わたしはインパルスに救われた。


あの頃ほどではないけど、31歳のわたしは今もインパルスをゆるく追っている。YouTubeを観たり、板倉さん出演のテレビを観たりしている。寂しいことに今は新しいコントが増えないので昔のコントを見返しては笑っている。好きなネタはありすぎるけど、最近のお気に入りは悪魔祓いのネタ。


13歳のわたしを救ってくれたインパルスは、
15歳のわたしのことも、18歳のわたしのことも、20歳のわたしのことも、30歳のわたしことも、ずっとずっと支え続けてくれた。わくわくさせてくれた。生きる希望をくれた。


わたしはお笑いのことなんて何もわからないただのファンだ。難しいことは何もわからないけど、わたしは10代の頃も20代の頃も30代になってもずっとインパルスのコントが大好きで、インパルスのコントは日本一面白いと思っている。


そして間違いなく言えるのは、インパルスは田舎に住んでいた中学生の女の子の人生を続けさせる力があるコント師だ。人の感情を動かす力があるふたりだ。絶望を笑いにしてくれるふたりだ。


だから、どうか、インパルスを辞めないでほしい。


また、ふたりでコントをしてほしい。欲を言えば、単独ライブにもう一度行きたい。生のインパルスのコントを観たい。

板倉さんとも、つっつんとも2ショットを撮ってもらったことはあるけど3ショットを撮ってもらったことは一度もなくて、いつか撮ってもらいたい。これは中学生からの夢だ。

この夢を叶えるまではインパルスに辞めてもらっては困るのだ。


これ書きながら、わたしは泣いてる。大好きが溢れて、そして悔しくて涙が出る。


つっつんがしたことや、今までしてきたらしいということを庇うつもりはない。
何してるんだと呆れた気持ちもある。わたしが大好きなインパルスをはやく返して!と、怒りたい気持ちもある。でも、わたしの大好きなインパルスはつっつんがいないと成り立たないし、わたしが見てきたインパルスはいつだって憧れの存在だった。


だから、わたしは1人のインパルスの過激派オタクとして、つっつんがきちんと反省をしてまたインパルスとして戻ってきてくれる日を待っている。ずっとずっと待っている。


わたしを助けてくれたインパルスを、次はわたしが助けたい。でも、悔しいことにわたしには何もできない。何もできないからせめてここにインパルス再開を願うインパルスオタクがいますよってことを書きたい。インパルスの味方がここにも1人いますって書きたい。


推しは尊い。インパルスは面白い。がんばれ、インパルス。がんばれ、わたし。つっつん、お誕生日おめでとう。

#推しの芸人 #お笑い #インパルス #ハマった沼を語らせて

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