2023年の終わりに。そして2024年のはじめに。


みなさま、遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。


noteの毎週投稿、日本に一時帰国したことと、フランスに帰ってきからも家に篭り回復期を過ごしていたためお休みしていました。

よーし、また今日から思うままに綴ってゆきます。
コアな読者のみなさま、よろしくね 🐉



今回、日本への一時帰国では
家族に私と、おまめさん(夫)の今後の予定と人生計画の一部を話しました。


数年後、私がやろうと思っていること。
今、計画していること、気持ち、覚悟、全て。


それらは 特に私の家族の協力や
周りの協力、理解、応援なくして進めていけないことだからこそ
しっかり話す必要がありました。


フランスに住み、家族は日本という物理的な距離がある今の現状、
まだ数年後の予定だとしても、それまでに改まって会話する機会がもうない。

LINEや電話など、便利につながるツールはいくらでもあるけれど
面と向かって話すのとでは伝わり方も違うし、
直接的に関わることなのに時期を待ちすぎて事後報告になるというのは誠意のある順序とは言えないし、コミュニケーションとしてもあまり気持ちの良いことではないから、
ちゃんと、まだ未定なこと含めて今話せる全て、現状の予定を話すことが大切だと思って、話しました。

今回本当の本当に時間がなかったけど、無理にでも時間を作らなくては。と思って唐突ながらも改まって、私の両親と膝を突き合わせて話した。



まだ単なる「予定」とか、そうしたいという「願望」の部分も多くある中で、
それでも本気だという事と、
できるだけ誤解のないよう伝えられるように
資料を作って見せたり、それを元に説明したりと工夫したつもりだったのだけど、




思い出しながら書いてる今ですら、
全身からあったかい血の気が引いて、手先がシンシンと冷えてくるくらいに、





緊張した。








とにかく、緊張した。







今まで人生で味わったことのない、緊張感だった。






心臓がドキドキするという緊張ではなくて、

兎にも角にも全身から水分が消えてなくなるかのような。



口が、喉が、乾いて仕方がない。


声がどんどんカスカスになって、言葉が喉を通らない。





なぜだか分からなかった。






でも、びっくりするくらいに緊張した。






これは、誰に何を言われても自分で決めたことだ。




たとえ理解されなくても、協力してもらえなかったとしても
変わることのない、決意でもあるはずだ。



それだけ、自分に向き合ってから言葉にしている意志だ。




それだけ覚悟ができたから、この時間があるのに間違いはない。




言い切れる。





なのに、うまく自分の気持ちが言葉に乗ってくれない。


伝えたい思いはたくさんあるのに、
乾いた口からは、言葉が順序を間違えて出てくる。


「そうじゃない、その順番だと伝わるものも伝わらない。」



そう思いながら、

だけどどうしようもなく 空回りする。



どんどんと焦燥感だけが自分を取り囲む。




そんな感覚のなか、
おまめさんが要所要所でフォローしてくれて
なんとか軌道修正できていく。


私だけじゃ、空回りで終わっていたと思う。


本当に、おまめさんのおかげだった。


あの瞬間ほど、頼もしく思えた瞬間はない。(失礼)







もしかしたら相手が自分の両親だからだったのかもしれない。


もちろん、話す内容に取り繕ってるものなんてないのだけど

何か自分でも気づかない部分で、“何か足らないところを、弱点を、見透かされるかもしれない”と思ったのかもしれない。



“もしかしたら信頼されないかもしれない”と思ったのかもしれない。


両親には無条件に応援してほしいという希望的観測が無意識に自分の中にあって、

でも実際はそうではないかもしれない。

否定されたり、拒否されたり、

私のことを信頼してもらえないかもしれない。


という恐怖みたいなものだったのかもしれない。


両親を信用できないのではなくて、

受け入れてもらえる自分であることを。

自分自身を信用できなかったのかもしれない。




そして、私はこれから先の自分のやりたいことを
自分一人ではなくて周りの協力を得ながらでないと進めていけなくて、

現時点ですでにおまめさんの人生も巻き込んで
歩き始めていて、
もうこの時点で自分一人の空想ではないわけで、

だからこそ、一歩一歩着実に押し進める必要があり、
私にはその責任があると思っていて。


だから

“どうしても今、確かな理解を得たい”。

“ここで立ち止まったり、計画変更をできればしたくない”。

“その命運を、いま自分が握っている”。


という、大袈裟かもしれないけどそういう責任感から強い焦りを感じたのかもしれない。






それらは、無意識の中の意識だった。



予想していなかった、恐怖と不安と焦りが入り混じる、強い緊張感だった。


それが自分の反応だった。





一方で、両親の反応はある意味予想通り(良い結果)ではあった。



無条件に受け入れてくれる部分、
応援してくれて、全面的に協力体制でいてくれる部分もあり、

かつ現実的な問題点や心配要素もちゃんと意見してくれて、


まだまだ考えの至らない私たちを、
愛を持って見守ってくれるというか、見張ってくれるというか 笑、
そんな心意気を感じたりして。


あとは、ビジネスの話だからこその
プライドみたいなものも感じ取れた。


少なくとも経営者の先輩であり、アイディアマンである父親の心根の部分。プライド。

これは良い発見だったし、大きな課題でもあると感じた。


協力を得ながら進んでいくことは、
私たちにとって助かることも多い反面、
少し厄介な面もあると思う。
いくら親だからといって、自分たちの好き勝手にできることばかりじゃない。

これはもちろん想定内で、
それが嫌なら、最初から協力なんて求めず自分たちだけで始めたら良い。


誰にも何も言われずに、全て自己責任でやったら良い。



正直きっとこれから自分勝手に「やりにくさ」を感じる場面もあってしまうけど
それを厄介なものとして扱うのではなくて、
先人の教えのような、熟練職人のプライドのようなものをちゃんとリスペクトしながら進んでいきたいと思う。


自分のあの緊張感はなんだったのだろうってくらいに実際には2人からの大きな肯定を掴めたので、良い結果、流れではあったのだと思う。

両親には改めて感謝すると共に、

こういった感情と現実と、過去と未来の交わりのようなものを
楽しみながら受け入れながら自分の精神を超えながら
目的に向かって目標に向かって前進していけたらと思う。


これは、無意識の自分をも超える、これからの大きな課題だと感じた。


2023年最後の締めくくりに、
これからのことの話し合いを通して、
両親を通して見えた自分を通して、

2024年の課題がしっかり定まった。



今回良い意味で 用意された資料はあくまで「添付資料」であって
「自分の言葉と行動」が大事なんだと実感できた。

それくらい、資料は誰も目を通してくれなかった (笑)


きっとそれは、現実になるまで他人から見たら机上の空論に過ぎないからなんだと思う。


実際にただの予定でしかないものね。

私的にはこうして誰かに話すことさえ相当な覚悟がいることなんだけど、
そんなのは誰にもわからないものだから。



行動で示していくしかない。

言葉に行動が一致しないことには説得力も帯びない。


そのステップ無しではじめから目的にたどり着くこともできない。


だから今年の課題は、行動です。


目に見える形で動いていきます。


noteに言葉を綴るのは辞めずに、
自分の行動をもってして着実に進んでいきます。


まだまだ書ける範囲が抽象的でごめんなさい。

大袈裟に書いてるけどいったい何のことやらっていうのは承知なんだけど
今は自分の気持ちをリアルに書き綴るの優先で、
具体的なことはまたこれから書いていきます。



長くなったけど(いつものこと)

読んでくれてありがとうございます


いつも見守ってくれてありがとう


じゃあねん    (軽っ)



 

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