indigo la End ヴァイオレット 歌詞考察

最近この歌がもっと大好きになりました。今まではindigo la Endのバージョンでよく聴いていたので歌詞よりも音の気持ちよさに集中してしまっていたのですが、ふと思い立って原田知世さんバージョンをちゃんと聴いてみたところ、彼女の澄んだ儚い歌声が印象的で、この歌詞のストーリーが自分の中でより鮮明に浮かび上がってきました。

他の考察を読むとやはり男女の物語との解釈が多いですが、わたしは主人公の女性に対して、2人の男性が脳内に登場してきました。

以下はそんなわたしなりのめちゃくちゃ妄想も含んだ考察です。




揺りかごで何食わぬ顔の風
明日の天気すら
何もできない隙間で
暮らすのが私です


「揺りかごで」
という言葉は比喩じゃなく、本当に彼女には赤ちゃんがいるのだと思います。(理由はのちに説明します。)

「何食わぬ顔」
でそこにいる赤ちゃんに対して
「何もできない隙間で 暮らすのが私です」という歌詞からは、母親である彼女が自分自身を「何もできない」と責めて悲観的になっているマタニティブルーのような印象を受けます。

あなたは今日も帰らない
心はゆく
傘を持つ酸素を吸い込んだ
むせてしまう


「あなた」=夫
小さい子供をひとり抱え、育児に追われて過ごす彼女の姿が浮かびます。

夫が帰らない日が続くのは、きっと仕事なんかじゃなくて、おそらく浮気なんだろう…と彼女は気づいているはずです。

「傘を持つ酸素を吸い込んだ」
という歌詞はとても美しい比喩に感じました。
マイナスな出来事や気持ちの象徴である“雨”から「傘」をさし、身を守っている彼女。
なんとか雨から逃れてはいるけれど、実際彼女の心はもうズタボロで、傘の下でむせび泣いているような孤独と悲哀を感じます。

彼女はきっと、なんとか毎日を必死に生き抜いているのだと思います。

ヴァイオレット
よく似合ってた
紫の魂も着慣れた頃
信じるって言葉花火
目の前で散っていく私はもう
成り行きのまま

タイトルにもなっている「ヴァイオレット」
これは沈みきった彼女の色(オーラ)です。

「紫の魂も着慣れた」
というのは、夫の不在と孤独な育児のストレスで陰鬱な気持ちを抱え込む日々にも慣れてしまったという意味だと解釈することができます。

「信じるって言葉花火」
彼女はこれまで何度も夫を信じようと努力していたのではないでしょうか。今日こそは、今日こそは、、と毎晩のように。
しかしその期待は淡く、花火のように散っていくだけです。

「私はもう 成り行きのまま」
もうどうにでもなれ、と自暴自棄になっている 疲れ果てた彼女の姿が想像できます。

気怠い鳴き声で
飛ばされた眠気
何もできない都会は
やけに静かだった


わたしが冒頭の「揺りかご」を比喩じゃないと感じたのは、2番の冒頭でも赤ちゃんを連想する「鳴き声」という歌詞が出てくるからです。

漢字としては一般的に動物の鳴き声を表すものですが、冒頭の「揺りかご」の存在からこの「鳴き声」も赤ちゃんの泣き声なのではないかと推測します。

「鳴き声で飛ばされた眠気」
子供の夜泣きに十分な睡眠を取れない過酷な育児の様子を思わせます。

「何もできない都会はやけに静かだった」
都会はどちらかというと喧騒にまみれていますが、彼女にとってはやけに静かに感じます。

これは、夫も帰ってこない、周りに頼れる友人もいない、そんな彼女の孤独からくる静けさではないでしょうか。
彼女は東京の人ではないような気がしました。

ヴァイオレット
綺麗だったよ
褒められて傾いた涙の瓶


2番のサビ。ここでわたしの脳内には、夫とは全く別の男性が登場しました。

「綺麗だったよ」と優しく声をかけてくれる、夫とは正反対の性格をした男性です。

ここからは完全な妄想&月並みな想像ですが、彼女はある日、実家に子供を預けて向かった地元の同窓会で昔の恋人と再会したのではないでしょうか。

そして彼と色んな話をしていくうちに「(あの頃も)綺麗だったよ」と最高の褒め言葉をもらうのです。

「褒められて傾いた涙の瓶」
からは、久しぶりに男性から認められた喜びや安堵に思わず涙が出そうになった彼女が、それを誤魔化すかのようにグラス(=「瓶」)を手に取りお酒を進める姿が想像できました。

そこからは簡単だったよ
紫は濡れていく
それは綺麗に


「そこからは簡単だったよ」
彼女と彼が再会してから結ばれるのはとても簡単なことだったと言っているような気がします。

「紫」はそのオーラを纏った彼女自身の比喩です。

「紫は濡れていく それは綺麗に」
悲しみに染まっていた彼女が満たされていく、官能的なシーンを思わせます。

枯れた水仙の儚さと戯れた
またむせて朝を待つ


ここで曲の感じが変わります。
水仙の花は白と黄色と紫色の3種類がありますが、ここでは説明するまでもなく紫色の水仙が思い浮かびます。

紫のオーラを纏っていた彼女は、夫以外の別の男に愛され、まるで水仙の花のように美しく咲きました。

しかしそれも束の間の幸福であることは「枯れた水仙」という歌詞が物語っています。

「枯れた水仙の儚さと戯れた」
彼との儚い一夜を思い出すことで救われているような、その日の出来事を心の拠り所にしているような、そんな意味合いを感じさせます。

「またむせて朝を待つ」
という歌詞で、再び彼女が孤独な生活に戻ってきたことが明確に表現されます。1番にも出てきた「むせる」という言葉がここでも歌われることで、現実に引き戻されたような呆気なさ・喪失感も感じます。

ヴァイオレット
よく似合ってた
紫の魂も着慣れた頃
信じるって言葉花火
目の前で散って弾けた後の祭り


繰り返しのサビかと思いきや「目の前で散って弾けた後の祭り」という新しい歌詞が登場します。

「後の祭り」は“時機を逃して、どうにもならないことや、悔やんでも取り返しのつかないことのたとえ”を意味します。

夫以外の男と結ばれたあの一夜に強い未練があるのか、自身も不貞行為をしてしまったことに罪悪感があるのか、もしくは浮気を続ける夫に対してもう我慢ができず、後には戻れないほど精神的に崩壊してしまったのか、決定的な理由はわかりませんが彼女の絶望が増していることだけはわかります。

あなただって怖かったでしょう
紫を壊すのも嘘をつくのも


「あなた」=夫 は変わりません。

夫が彼女の紫を壊して嘘をついた
と言うととても難解ですが、崩壊しかけていた夫婦仲を夫のほうから修復しようと歩み寄ってきたのではないかと感じました。

つまり、夫は浮気相手との関係を解消し、完全に彼女の元へ戻ってくる決断をしたのです。
夫が吐いた嘘というのは、浮気なんか一度もしていないよという明らかな嘘です。
夫も、彼女に浮気がバレていることは薄々気づいたいたけれど、それでも夫はもう一度彼女を選び、見え見えの嘘をついてまでして、彼女の紫を壊す(精神的に衰弱した彼女を受け入れる)決断をしたのです。

しかし、

ヴァイオレット
ヴァイオレット

もう終わりにしていいんだよね


「もう終わりにしてもいいんだよね」
紫のオーラを纏った自分に慣れすぎた彼女は、まるで自らが幸福になることに不安を感じているようです。

彼女にとっては、水仙のように咲いたあの一夜が幸福で、哀しさに暮れていたあの日に差した一瞬の幸福が救いで、夫との平穏な日々なんてもう求めていないのかもしれません。


「ヴァイオレット ヴァイオレット」
とラストで2回歌っているのは、そんな過去の陰鬱な自分を愛で、懐かしんでいるかのようにも感じられます。

また何度も
「ヴァイオレット よく似合ってた」
と歌われていますが、これは悲しみに暮れている自分の方が性に合っているとでも言っているかのように聞こえます。


途中、曲調が変わった時に出てきた「水仙」の花言葉を調べてみたら「自己陶酔」でした。

悲しみの紫を纏った自分自身に酔っているかのような、少しゾッとする彼女の一面も見えてくる深い楽曲です。

わたしは、原田知世さんのバージョンもindigo la Endのバージョンも、どちらも大好きです。

今日の河口湖ステラシアターライブでこの曲が聴けるんじゃないかとワクワクしていたのですがお預けになりました。次に出る新アルバムには「ヴァイオレット」も入っているようなのでまだいつか生で聴けたら嬉しいなぁ…と想っています🪻

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?