見出し画像

夜更かしは虚言癖のはじまり

バイトから帰宅し、あと1時間で日付が変わると気づいた瞬間、目の前にふたつの選択肢が迫ってくる。ひとつは「今すぐお風呂に入る」。もうひとつは、「一息つく」。後者を選んだ日は9割の確率で夜更かしコース確定である。(残りの1割は次の日の朝予定があるとき)

大抵、後者を選択するのは、うっかり座ってしまったときである。帰路に試聴していたコンテンツの続きを見るために、長々と甘えてくる犬をわしゃわしゃと撫で続けるために、母親がたまたま見ていた面白そうな番組を見るために、喉を潤すために。労働して疲れた心と身体は、小休止を要求してくる。赴くままに、さまざまな理由を元に尻を平面に据えてしまった時点で、朝起きて夜寝る生活は崩壊している。

そうしてうっかり腰を落ち着け涼んだのち、「一息つく」のだが、これにもさまざまなやり方がある。一日が終わってしまうことへの未練から昼にやり残したことにだらだらと手をつけるときもあれば、SNSをぼーっと眺めたり、溜めていた連絡を返したりするときもある。そうやってブルーライトを浴びるから、目が冴えて寝つけなくなるのである。今日も3時間くらい溶かした。

あくまでもお風呂に入るまでの「一息」なので、頭の片隅では常に「お風呂に入らなくてはいけない」という呼びかけがなされている。私は「面倒だなあ」と思ってその呼びかけを無視し続ける。無視する時間が長ければ長いほど自己肯定感は下がっていく。こうして私は、お風呂に入るまでの「一息」を延長し続ける。

最近ある人が言っていたのは、やるべきことがあって、やらなきゃと思っているのにできないという状態は、少しでも自分の中にやる気が芽生えているということなのだから、やらなきゃと思ったらちょっとでもやる気が出ている自分を褒めてあとはとりあえずやり始めるのがいいというライフハックだ。まさに発想の転換だと思う。普通、このような状態になると「できていない」ということに罪悪感やストレスを抱いてしまうものだが、そもそも罪悪感を持つ必要はなかったらしい。「できていない」自分を「意識のどこかにやる気がある」人と捉えることで、少しだけ動き出せるような気がする。

上記の言葉を思い出し、ようやくお風呂に入ってからも、やるべきことはたくさんある。メイクをした日は手を濡らさないようにオイルで数分顔をマッサージしなければならないし、最近は髪も伸びたから、頭を洗うのも一仕事である。ヘアスプレーなんかしてしまった日にはなかなか汚れが落ちないので二回シャンプーする。メイクを落として髪を洗って身体を洗って顔を洗って無駄毛を処理したら、最速でも40分ほど経っている。先日私は何をするにもスローモーだと書いたが、多分湯船に浸からないでこの入浴時間は結構長い方だと思う。うちはほとんどお風呂を沸かさないので、入浴は毎日シャワーで済ませてしまう。湯船に浸かりたいひとは湯船のお風呂掃除をしなければならないというルールがあるので、よっぽど湯船に入りたいと思わない限り、面倒臭がって誰も洗わないのである。こういう面倒や手間をかけたくない性質は、しっかりと遺伝している。

なんとか一仕事終えてベッドに横たわっても目はしっかり冴えているので、とりあえずスマホを弄る。頭も働かないから一定量のある文章は読もうと思えないし、書くこともできない。だから時間で数えて4時間くらい経っているのに、とくに有益な時間の使い方はしていない。4時間あったら課題のひとつやふたつ、映画一本、コンサート動画一本、そんなに厚くない文庫本半分くらいは消化できるはずだ。なのに結局明け方まで頭を使わずに過ごして、起きていた分の睡眠時間を午前中で取り戻すのだから、日中やりたいことが消化できないのも当たり前の話なんである。

昨日はバイトまでに期末の課題が全て終えられなくて夏休みが始まらなかったので今日は始まらせたいと考えていたのだが、この調子じゃまた午前中を無為に過ごしそうだ。今から5時間後にアラームをかけて、きちんと起きて、もし夕方アイドルに会いに行く予定までに夏休みが始まらなかったら、アイスを1週間禁止しようと思います

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?