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1950年代生まれ 建築家 174名

◼︎1950年

芦原 太郎

略歴
1950年 東京都に生まれる。
1974年 東京藝術大学美術学部建築科卒業。
1976年 東京大学大学院工学系研究科建築学修士課程修了。
1977年 父・義信の芦原建築設計研究所に勤務。
1985年 芦原太郎建築事務所設立。
2001年 芦原建築設計研究所代表を兼務。
2000年 日本建築家協会副会長
2010年 日本建築家協会会長を務めた。
2011年 国土交通大臣表彰受賞。
日本建築家協会 (JIA) 名誉会員、アメリカ建築家協会 (AIA) 名誉フェロー会員。

新井 清一

京都精華大学デザイン学部建築学科客員教授[1]。
アライ・アーキテクツ一級建築士事務所主宰。
来歴
1950年 神奈川県横浜市生まれ。
1980年 中央大学商学部卒業。
1983年 南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)大学院修士課程修了。
2004年 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。
1979年 米国のモーフォシス建築設計事務所に所属。
1991年 アライ・アーキテクツ事務所を設立。
2014年 京都精華大学客員教授を務める。

飯田 善彦

経歴
1950年 埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。
1973年 横浜国立大学工学部建築学科卒業
1974年 (株)計画設計工房(谷口吉生・高宮真介)に入社。
1980年 一級建築士事務所(株)建築計画(共同:元倉真琴)設立
1986年 一級建築士事務所(株)飯田建築工房設立
1991年 (株)飯田善彦建築工房一級建築士事務所に改組
2012年 横浜国立大学Y-GSA退任。

石田 敏明

略歴
1950年 広島県生まれ
1973年 広島工業大学工学部建築学科卒業。
1973年 (株)伊東豊雄建築設計事務所勤務。
1982年 (株)石田敏明建築設計事務所設立。
1993年 日本大学理工学部海洋建築工学科非常勤講師。
1995年 広島工業大学環境学部環境デザイン学科非常勤講師。
1997年 前橋工科大学工学部建築学科教授。
2016年 神奈川大学工学部建築学科教授。
2022年 同大学工学研究所客員教授。
現在前橋工科大学名誉教授。
広島工業大学環境学部環境デザイン学科非常勤講師。

入江 経一

経歴
1950年 誕生
1974年 東京芸術大学美術学部建築科卒業
1976年 同大学大学院修士課程修了
1976年 東京工業大学篠原一男研究室に所属
1980年 入江建築設計事務所設立
1987年 パワーユニットスタジオに改称
1998年 多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授
1997年 IAMAS/イアマス・岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー講師
2000年 岐阜県立情報科学芸術大学院大学教授

笠嶋 淑恵

経歴
1950年 愛知県名古屋市生まれ
1972年 日本大学理工学部建築学科卒業
1972年 坂本鹿名夫建築研究所勤務
1974年 市浦都市開発建築コンサルタンツ(現・市浦ハウジングシステム)勤務
1978年 ウシヤマ設計研究室勤務
1979年 一級建築士事務所笠嶋建築工房開設
1989年 すまいる愛知住宅賞審査委員
1991年 名古屋工業大学非常勤講師
1992年 大阪芸術大学非常勤講師
1993年 椙山女学園大学非常勤講師
1994年 日本建築学会設計競技本部審査委員、JIA東海学生卒業設計コンクール審査委員
1995年 三重大学非常勤講師
1997年 愛知県地方計画委員会生活部会専門委員
1998年 名古屋大学非常勤講師
1999年 公共建築賞中部地区審査委員
2000年 公共建築賞中部地区奨励賞*2001年-2004年、名古屋市景観審議会委員
2001年 愛知淑徳大学非常勤講師
2003年 名古屋芸術大学非常勤講師
2005年 名古屋市立大学非常勤講師

川越 裕章

1950年 東京都生まれ。
1973年 日本大学理工学部卒業後、ヨコミネ建築事務所入社。
1975年 一級建築士取得。
1977年 川越建築設計事務所入社
1990年 トッププランニング設立。

岸 和郎

来歴
1950年 神奈川県に生まれる
1973年 京都大学工学部電気工学科を卒業(22歳)
1975年 同大学工学部建築学科を卒業
1978年 同大学院修士課程を修了
1981年 岸和郎建築設計事務所設立
1993年 岸和郎建築設計事務所をK.ASSOCIATES/Architectsに改組改称
1981年 京都芸術短期大学にて教鞭を執る
2003年 カリフォルニア大学バークレー校客員教授
2004年 マサチューセッツ工科大学客員教授
1993年 京都工芸繊維大学にて教鞭を執る
2010年 京都大学大学院工学研究科建築学専攻教授
2016年 京都造形芸術大学大学院芸術研究科教授
2023年  京都美術工芸大学大学院特任教授

北山 恒

来歴
1950年 香川県に生まれる
1969年 東京都立戸山高等学校卒業(19歳)
1976年 横浜国立大学建築学科卒業(26歳)
1978年 大学院在学中に建築ユニット「ワークショップ」設立(共同主宰)(28歳)
1980年 横浜国立大学大学院修士課程修了(30歳)
1987年 横浜国立大学講師(37歳)
1995年 横浜国立大学助教授(45歳)
1995年 architecture WORKSHOP設立主宰
2001年 横浜国立大学大学院Y-GSA教授
2007年 東北大学大学院非常勤講師
2016年 法政大学教授、横浜国立大学名誉教授

櫻井 潔

略歴
1950年 神戸市生まれ
1974年 京都大学工学部建築学科卒業。
1976年 京都大学大学院修士課程修了
1976年 日建設計入社。
1987年 設計主管。
1995年 設計部長。
1997年 設計室長。
1999年 東京本社副代表。
2000年 取締役東京本社副代表。
2001年 常務執行役員東京副代表。
2004年 常務執行役員設計部門代表。
2006年 代表取締役副社長 設計統括。
    東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京)、北海道大学、京都大学、国土交通省国土交通大学校、講師等歴任。
2005年 日本建築学会理事
2008年 日本建築学会副会長
2013年 東京建築士会副会長
2013年 株式会社櫻井潔建築設計事務所・ETHNOS 設立
2017年 芝浦工業大学建築学部客員教授

竹谷 忠

略歴
1950年 誕生
1973年 神奈川大学工学部建築学科卒業、
1973年 西松建設株式会社入社、
2004年 同社建築部長、
2005年 同社取締役
2008年 同社代表取締役[2]

田島 正陽

1950年 群馬県生まれ。
1974年 日本大学理工学部建築学科卒業。
1974年 株木建設設計部勤務。
1978年 一粒社ヴォーリズ建築事務所勤務。
1989年 田島正陽建築事務所設立。

多田善昭

1950年 香川県善通寺市出身。
1973年 近畿大学理工学部建築学科卒業. 同年, 斎藤孝建築設計事務所入所。
1983年 多田善昭建築設計事務所を開設。
1988年 近畿大学工学部建築学科非常勤講師。
2000年 早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師。
2008年 香川大学非常勤講師。
2008年 東京芸術大学大学院美術研究科非常勤講師。

外山 義

1950年 岡山県に生まれ、
1974年 東北大学工学部建築学科卒業。
在学時には東北大学YMCA渓水寮に所属した[2]。
1982年 スウェーデン王立工科大学に留学。
論文「Identity and Milieu」をまとめPh.D(博士号)を取得。
帰国後、病院管理研究所(後の国立医療・病院管理研究所)の主任研究員として、高齢者のケアと住環境を研究する。
国立医療・病院管理研究所地域医療施設計画研究室室長だった
1990年 「高齢者の自我同一性と環境-生活拠点移動による環境適応に関する研究」で日本建築学会奨励賞(論文)を受賞。
1996年 東北大学大学院工学研究科助教授
1998年 京都大学大学院工学研究科環境地球工学専攻居住空間学講座教授。
2002年 52歳で急逝する。

東條 隆郎

北海道生まれ。
1973年 北海道大学工学部建築工学科卒業
同年、三菱地所入社。
2001年 株式会社三菱地所設計 第二設計部長
2005年 株式会社三菱地所設計取締役ピル開発設計部長。

内藤 廣

略歴
神奈川県横浜市生まれ
神奈川県立湘南高等学校
早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1976年 早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了
    (吉阪隆正に師事)
    フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所勤務(スペイン)。
1979年 菊竹清訓建築設計事務所勤務。
1981年 株式会社内藤廣建築設計事務所設立。

蜂須賀 達志

略歴
愛知県名古屋市生まれ。
愛知県立旭丘高等学校
1973年 名古屋大学工学部建築学科卒業
1975年 名古屋大学大学院修士課程修了
    日本電信電話公社建築局入社。
1989年 NTT都市開発へ出向。
1994年 NTTファシリティーズ所属
2000年 同社建築事業本部建築デザイン部長。
2006年 同社都市建築設計事務所所長。
2008年 日総建の社長に就任したが、2年後に現職のまま死去。

平倉 直子

略歴
東京都目黒区生まれ
1973年 日本女子大学家政学部住居学科卒業。
1978年 (有)平倉直子建築設計事務所創設、現在に至る。
1995年、警視庁目黒警察署三田交番で、目黒区景観賞受賞。

前田 光一

新潟県生まれ。
1973年 日本大学芸術学部美術学科卒業後、ドイツで活動。
1977年 黒川哲郎+デザインリーグ。
1979年 アルテック建築研究所。
1984年 包(パオ)建築設計工房設立。
1998年 日本大学理工学部非常勤講師。

宮森 洋一郎

経歴
1950年 広島県呉市に生まれる
1973年 京都大学工学部建築学科を卒業大学院へと進む
1975年 修士課程を修了した
その後、東急設計コンサルタントおよび美建設計事務所に勤務する
その後、実家の都合で広島へと戻る
1982年 宮森洋一郎建築設計室を設立した
1999年 広島工業大学で非常勤講師も務めている

矢﨑 博一

長野県生まれ。
1973年 日本大学生産工学部卒業。

渡辺 真理

経歴
群馬県前橋市生まれ。
群馬県立前橋高等学校、
京都大学工学部建築学科卒業。
同大学院修士課程修了。
1979年 ハーバード大学デザイン学部大学院修了[1]。
1981年 磯崎新アトリエ勤務、
1987年 設計組織ADH主宰(木下庸子とのユニット)。
1996年 法政大学工学部教授
2003年 セントルイス・ワシントン大学客員教授。

◼︎1951年

山口 幹幸

経歴
1951年 埼玉県生まれ。
1974年 日本大学理工学部建築学科卒業。
1996年 住宅局住環境整備課長、
    同局大規模総合建替計画室長、
    建設局再開発課長、
    同局区画整理課長、
    目黒区都市整備部参事、
    UR都市再生企画部担当部長、
    都市整備局建設推進担当部長、
    同局民間住宅施策推進担当部長を経て、
2011年4月より現職。

鮎川 透

プロフィール
福岡県生まれ。
1975年 九州芸術工科大学芸術工学専科修了後、第一工房入社。
1980年 環・設計工房設立。
1983年 九州芸術工科大学非常勤講師。
2002年 2年間、日本建築家協会理事・九州支部長を務める。

伊坂重春

北海道生まれ。
1976年 武蔵野美術大学産業デザイン学科卒業[1]。
    髙島屋設計部やスタジオA、江平建築設計事務所などを経て、
1983年 伊坂デザイン工房を設立した。
1995年 武蔵野美術大学非常勤講師。
1998年 渡辺邦夫とともに親族の伊坂重孝が社長を務めた札幌テレビ放送のイベントホール「札幌メディアパーク・スピカ」の設計に携わる。

板屋 リョク

経歴
福岡県生まれ。
1974年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1976年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1976年 鈴木恂建築研究所。
1985年 R.D.アーキテクツ設立。
1999年 武蔵野美術大学映像学科教授。

江川 直樹

経歴
三重県に生まれて兵庫県で育つ。
1974年 早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、同大学大学院に進み
1976年 修士課程を修了した
1977年 現代計画研究所に入所
1982年 同研究所大阪事務所を開設して大阪事務所長となる
    その後同事務所代表取締役に就任した。
1995年 神戸芸術工科大学(1995年-2000年)、
    立命館大学理工学部(1995年 - 2004年)
2001年 大阪市立大学生活科学部(2001年 - 2004年)、
    京都造形芸術大学環境デザイン学科(2001年 - 2004年)、
    三重大学工学部(2001年 - 2004年)の各非常勤講師を務め、
2004年 関西大学工学部(現環境都市工学部)建築学科教授に就任した。
2008年 関西大学先端科学技術推進機構地域再生センター長を兼務する。
2009年 現代計画研究所顧問となる。
    大阪市ハウジングデザイン賞選考有識者会議委員も務める[5]。

江本 正和

東京都生まれ。
1974年 東北大学工学部建築学科卒業。
1974年 松田平田坂本設計事務所(現・松田平田設計)入社。

岸田 省吾

1970年 東京都立日比谷高等学校卒業。
東京大学卒業。
同大学院建築学専攻修了。
同大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課満期退学。
岡田新一設計事務所を経て、磯崎新アトリエにて勤務。
現在は東京大学工学部建築学科名誉教授であり、
同特任教授。
文京区景観審議会会長。

北川原 温

来歴
長野県千曲市生まれ。
東京芸術大学建築科在学中に国際設計コンペで1位となり、大学院ではサウジアラビアで都市計画の仕事に携わる。
20代から設計活動を始め、これまでに多くの作品が世界に紹介されている。
日本建築学会賞、村野藤吾賞、グッドデザイン賞金賞、アルカシア賞ゴールドメダル、ケネス・F・ブラウン大賞をはじめ国内外の多数の建築賞を受賞。
2009年 日本建築大賞をまた2010年には日本芸術院賞を受賞。
    世界各地から建築展、講演の依頼を受ける。
2007年 念願のヨーロッパ事務所をベルリンに開設。
    建築以外の分野では世界的なオランダのモダンバレエ団の
    舞台美術を手掛け、パリ・オペラ座や
    ニューヨーク・リンカーンセンターで公演。
2008年 リヨン国立歌劇場で再演。
2018年 ポンピドゥ・センター・パリにて、
    ドローイング23点、模型4点、計27点が
    パブリック・コレクションとして収蔵された。

木下道郎

1951年 兵庫県神戸市生まれ
1970年 東京都立日比谷高校卒
1975年 横浜国立大学建築学科卒
1978年 同大学院修士課程を経て共同でワークショップ設立
1981年 株式会社ワークショップ代表取締役(共同)
1995年 有限会社木下道郎ワークショップ設立
1999年 三鷹市民プラン21起草委員

国広 ジョージ

経歴
東京都文京区生まれ
米国籍。
父親は日系アメリカ人二世
1964年 渡米
1974年 カリフォルニア大学バークレー校を卒業
1976年 ハーバード大学大学院デザインスクールを修了した
1996年 サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ニューヨークで活動
1997年 拠点を東京に移し
1998年 国士舘大学工学部助教授。
2003年 教授。
2006年 日本建築家協会(JIA)副会長を歴任。
2008年 「建築家の祭典」と言われるUIA国際建築家連合2011
    東京第24 回世界建築会議の日本組織委員会広報部会長を務めた。
2010年 アジア建築家評議会 (ARCASIA)、通称アルカシアの会長を務めた。
2009年 アメリカ建築家協会 (AIA) より、90,000余名の会員中3パーセントを
    占めるフェロー(特別会員)の称号を授与される。
2011年 北京の清華大学建築学院にて客員教授として教鞭をとり、
2013年 アメリカ建築家協会(AIA)国際理事に就任。
2016年 同協会日本支部会長を歴任。
2013年 浙江省龍泉市長の委嘱により山奥の宝渓村を舞台に企画された
    「龍泉国際竹建築ビエンナーレ」の
    コミッショナー・指名建築家を務めた。
2018年 同大学上席客員教授(訪問教授)に昇格した。
2019年 デンマークのOBEL財団が主催する第一回Obel Awardにおいて
    「龍泉国際竹建築ビエンナーレ」キュレーターを務めた
    国広と上海在住芸術家Ge Qintaoが、
    その功績を評価されファイナリスト4組に入選を果たした。
2022年 24年間在籍した国士舘大学を退職し、
    同年6月に名誉教授の称号を授与される。
    また、国内では、明治大学特別招聘教授、
    京都美術工芸大学客員教授を歴任。
    米国ではイエール大学 (1987)
    コロンビア大学 (1988)、
    ハーバード大学 (1990)、
    ニュージャージー工科大学 (1989-91)などで教鞭をとった。
    マケドニア共和国のキリルとメソディウス大学 で客員教授を務めた
    また、アジアでも、清華大学建築学院客員教授(2011-現在)、
    セントジョセフ大学客員講師(2020-現在)として教鞭をとる。

近藤 春司

日本の建築家、建築研究者。
組積造を長年研究。
近藤春司建築事務所を長年主宰する。
ミニマルな建築作品を多く手がける。

坂本 昭

福岡県生まれ。
来歴
近畿建築構造研究所を経て、
1982年 坂本昭・設計工房CASA設立。
1998年 近畿大学理工学部建築学科非常勤講師
2003年 京都府立大学環境デザイン学科非常勤講師
2003年 関西大学環境都市工学部建築学科非常勤講師
2004年 大阪工業大学大学院工学研究科非常勤講師
2012年 近畿大学建築学部特任教授

佐川 旭

略歴
1976年 日本大学工学部建築学科卒業 
1976年 坂田デザイン研究室勤務
1980年 毛綱毅曠建築事務所勤務
1982年 佐川旭建築設計室として独立
1989年 佐川旭建築研究所設立
2004年 第7回日本木青連木材活用コンクール最優秀賞受賞
2010年 女子美術大学非常勤講師

白井誠

日本大学工学部建築学科出身。
1976年 (株)白井建築設計事務所を設立。
2002年 長岡市建築設計協同組合理事長。

田村 芳夫

略歴
1951年 新潟県生まれ
1975年 工学院大学建築学科卒業
1975年 株式会社建築研究所アーキヴィジョン
1988年 株式会社アトリエ・リガ・テ都市建築計画設立 代表取締役就任
2002年 工学院大学非常勤講師
2002年 長岡造形大学非常勤講師

積田 洋

来歴
東京都に生まれる。
1975年 東京電機大学工学部建築学科を卒業[1]。
引き続き大学院に進み研究生となる。
設計事務所勤務を経て、
東京電機大学未来科学部建築学科教授に就任し、
同大学未来科学部建築学科学科長を務めたのち現職。

中村 享一

経歴
長崎市生まれ。
1974年 - 長崎造船大学工学部建築学科卒業後、白石建設株式会社に入社。
1982年 - 福岡市で中村建築設計室設立。
1991年 - はかた夢松原の会に参加し、百道浜で松原の復元活動を開始。
1991年 - 「Incubator」でJIA日本建築家協会オープンデザインコンペ(テーマ:長崎の都市の再構築)銅賞受賞。
1996年 - UIA世界建築家連合バルセロナ大会にて環境問題公募論文が住宅部門最優秀。
1997年 - 九州建築塾(JIA日本建築家協会九州支部)を創設し、実行委員長としてプロフェッションによる建築教育を開始。
2000年 -「旧長崎水族館保存再生問題」を機に、建築の臨終と再生を考える「建築再生デザイン会議」を招集し、副議長を務める。
2003年 -「福砂屋松が枝店」で日本商環境設計家協会デザイン賞優秀賞および日本グッドデザイン省受賞。
2004年 - 環境実験住宅「E7-project」(現在シェアハウス一宇邨)で第5回JIA環境建築賞受賞。
2006年 -「吉島家緞通ミュージアム」で第10回佐賀市都市景観賞受賞。
2009年 -「稲佐山観光ホテル」で省エネ照明デザインモデル事業受賞。
2010年 - 還暦を機に有限会社中村享一設計室から一宇一級建築士事務所に組織変更。
2011年 - 福岡市から長崎市に拠点を移動。同年「和水町立三加和小中学校」(NNSH設計共同体 / 野沢正光・中村享一・柴田真秀・東大森裕子)でくまもとアートポリス公募型プロポーザル最優秀賞受賞。
2013年 - 福岡の事務所を閉鎖し、長崎市に事務所開設。
2016年 - 九州大学大学院の博士(芸術工学)学位取得。
2021年 -「海の上の建築革命: 近代の相克が生んだ超技師の未来都市〈軍艦島〉」が21年度地方出版文化賞(奨励賞)を受賞。

林年男

東京都生まれ。
1970年、久米建築事務所入社。
担当作品では、仙台市科学館で、東北建築賞、公共建築100選入選。
高崎シティホールで、BCS賞、東京ガス環境エネルギー館で神奈川建築コンクール優秀建築賞、雲仙岳災害記念館で日本建築学会賞建築選集入選、青葉台石橋 ピル本館で、東京建築賞などを受賞している。
その他作品に、スリランカ国マタラ教員養成大学、などがある。

三浦 周治

宮城県生まれ。
1974年、日本大学理工学部建築学科卒業。
1977年、建築都市連合研究所設立に参加。
1980年、日本大学大学院博士課程修了。
1983年、ハーバード大学大学院デザイン学部専攻修了。
1981年、ナディア・アルダラン・アソシエイツに勤務。
1984年、磯崎新アトリエ。
1987年、三浦周治アトリエ設立。

森 俊子

教育
1976年、クーパー・ユニオン建築学部を卒業。
1995年、ハーバード大学大学院デザイン研究科で任期を受け
1996年、ハーバード大学デザイン大学院 を修了[1]。
2002年、建築学科の学科長を務めた。
クーパーユニオン建築学校、コロンビア大学およびエール大学の大学院で教鞭を執っている[1]。
2014年、ビルトリー・ウィズ・ニューヨーク市に建設されたポーパークビジターセンターのデザインを手がけた。
2015年、セネガルのシンシアン村にある森の生態文化センターがオープンした

谷内田章夫

1951年 生まれ。
1975年 横浜国立大学工学部建築学科を卒業。
1978年、東京大学大学院修士課程修了後、共同主宰でワークショップを設立。
1995年、谷内田章夫ワークショップを設立。
2008年 『Court Modelia 祐天寺』
2010年 『Modelia Brut 都立大』、
2012年 『インゲン』、2014年度『Modelia Brut南品川』でそれぞれグッドデザイン賞を受賞。その他東京建築士会住宅賞など数々の受賞歴を持つ。

山際 認

略歴
1951年 三重県志摩郡(現志摩市)大王町に生まれる。
1973年 大阪工業大学建築学科 卒業
1975年 株式会社西原研究所(意匠設計チーフデザイナー)
1983年 I.M.A.都市建築研究所 開設
1985年 株式会社I.M.A.都市建築研究所 設立 代表取締役

◼︎1952年

今井 秀明

京都府生まれ。
略歴
日本大学生産工学部から同大学院
丹下健三・都市・建築設計研究所、
シビックデザイン研究所、
槇総合計画事務所、
神谷・荘司計画設計事務所、
大学院終了後、
香山アトリエ・環境造形研究所(現 香山壽夫建築研究所)に勤務、
日本大学大学院生産工学研究科博士前期課程修了。
伊藤喜三郎建築研究所部外デザイナーとして協力。

桂 英昭

福岡県北九州市生まれ。
経歴
熊本大学大学院工学研究科建築学修士後、
アメリカに渡りフロリダ大学大学院に留学。
帰国後は 熊本大学工学部教務助手などを経て、熊本大学工学部環境システム工学科准教授。
1952年 福岡県北九州市に生まれる
1979年 熊本大学工学部大学院 大学院工学研究科建築学修士
1980年 フロリダ大学大学院留学
1981年 熊本大学工学部教務助手
1982年 国立八代工業高等専門学校助手
1984年 国立八代工業高等専門学校講師
1988年 国立八代工業高等専門学校助教授
1991年 熊本大学工学部講師
1995年 九州大学工学部非常勤講師
2005年 くまもとアートポリスアドバイザーに就任

川口通正

兵庫県西脇市生まれ。
東京目白育ち。
1970年、建築を独学で学ぶ。
1983年、川口通正建築研究所を設立。
現在は、工学院大学講師、NPO法人家づくりの会会員。

川上 恵一

長野県塩尻市出身。
経歴
1975年、早稲田大学理工学部建築学科卒。
北野建設、 降幡建築設計事務所を経て
1993年、現事務所を設立。
2001年、国土交通省手づくり郷土賞と松本市都市景観賞を受賞。
松本市の建築設計事務所・有限会社かわかみ建築設計室を主宰。

木村 博昭

大阪府出身。
来歴・人物
1952年 大阪府に生まれる
1967年 15歳で建築に興味を抱き、5年制の高等専門学校の建築学科に入学。卒業後、約5年間実務を経験。
1979年 英国グラスゴー美術大学(Glasgow Art School)及びグラスゴー大学(Glasgow University)美術学部マッキントッシュ・スクール・オブ・アーキテクチュア大学院修士課程(M Litt)コース。グラスゴー大学スコラーシップにて博士課程(Ph.D.)に編入、チャールズ・レニー・マッキントッシュの研究で博士号を取得
1983年 Ks Architectsを大阪で協同開設
1986年 木村博昭/ケイズアーキテクツに改組改称
1996年 阪神淡路大震災をきっかけに、被災した自らが建築家として何かできる事はないか模索し、関西のアトリエ系事務所の主催者らに声を掛け「関西建築家ボランティア」を発足。
1997年 神戸芸術工科大学環境デザイン学科助教授
2000年 神戸芸術工科大学環境デザイン学科教授
2006年 木村博昭+ケイズアーキテクツとして法人化
2006年 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授
2015年 英国スコットランド建築家協会名誉会員(日本人建築家での受賞者としては丹下健三、槇文彦、安藤忠雄に次ぐ4人目。)

畔柳昭雄

経歴
1951年 三重県 生まれ
1976年 日本大学理工学部建築学科 卒業
1978年 日本大学大学院理工学研究科博士課程前期建築学専攻程 修了
1981年 日本大学大学院理工学研究科博士課程後期建築学専攻 修了  工学博士
1981年 日本大学理工学部海洋建築工学科 助手
1996年 川村女子短期大学 生活学科 非常勤講師
2001年 日本大学理工学部海洋建築工学科 教授
2019年 日本大学理工学部海洋建築工学科 特任教授
2019年 中国青島理工大学 客員教授
2020年 近畿大学工学部・大学院システム工学専攻 非常勤講師
2022年 日本大学 名誉教授
2022年 香川大学創造工学部 客員教授
2023年 長崎大学工学部 非常勤講師

近藤 晴貞

人物・経歴
愛知県蒲郡市生まれ。
蒲郡市立塩津中学校、愛知県立時習館高等学校を経て
1978年 東京工業大学大学院総合理工学研究科社会開発工学専攻修了[3]、西松建設入社
2005年 取締役関東支店長代理に昇格。
2008年 取締役常務執行役員関東支店長。
2009年 代表取締役社長を務め、西松建設事件を受け経営刷新を進めた
2012年 東京建設業協会会長。
2014年 全国建設業協会会長
2018年 西松建設取締役会長[6]。
2023年 旭日重光章受章[10]。

澤岡 清秀

山口県柳井市出身。
人物
東京大学では芦原義信、香山壽夫に師事。
ハーバード大学大学院に留学。
リチャード・マイヤーに学び、
1970年 東京教育大学附属駒場高等学校卒業
1974年 東京大学工学部建築学科卒業
1977年 ハーバード大学デザイン学部大学院修了 (M.Arch)
    建築修士(M.Arch)を取得。
    ケヴィン・ローチ、リチャード・ロジャーズ事務所で研鑽を積む。
    ロジャーズ事務所でロイズ本社ビルの基本設計に携わる。
1980年 槇文彦+槇総合計画事務所に勤務。
    スパイラル、京都国立近代美術館、津田ホール、
    ノヴァルティスファーマ筑波研究所などを担当した。
    コロンビア大学に客員教授として招聘され、
    ケネス・フランプトンと共に大学院設計スタジオを教える。
1992年 工学院大学助教授、
1998年 教授に就任。
2004年 東京大学より博士(環境学)
2000年 澤岡建築都市研究所(のち澤岡建築設計事務所)設立
2019年 定年退職し、同大学の名誉教授に就任した。

白江 龍三

埼玉県出身。
日本大学理工学部建築学科卒業、
同大学大学院理工学研究科修士課程修了。
株式会社菅原建築事務所に勤務
株式会社日本設計事務所に嘱託所属、
株式会社エス・ディ・シーを経て、
1987年 白江建築研究所を設立。
1993年 日本大学理工学部非常勤講師。
1995年 日本建築都市診断協会設立。
1996年 ドローイングプロジェクト「赤と緑の比率」開始。
1997年 風呂&SAUNA 沐浴の原点と未来展 実行委員。
1998年 前橋工科大学非常勤講師。
2000年 日本大学理工学部非常勤講師。
2005年 前橋工科大学大学院非常勤講師就任。

杉浦 伝宗

経歴
愛知県半田市生まれ。
1974年 : 東京理科大学理工学部建築学科 卒業。
    大高建築設計事務所入社。
1983年 : 退社。
    株式会社アーツ&クラフツ建築研究所 設立。
1992年 : 日本大学生産工学部非常勤講師。
2002年 : 東京理科大学理工学部非常勤講師。
2005年 : 工学院大学非常勤講師。
2016年 : 千葉大学非常勤講師[24]。

高谷 時彦

来歴・人物
香川県立高松高等学校、
東京大学工学部都市工学科卒業。
東大時代は大谷幸夫に師事。
槇総合計画事務所勤務の後、独立。

田中 裕也

北海道稚内市出身。
1978年から、スペインの現地にてガウディの建築物の実測と建築図面の作成を続けている。バルセロナ在住。
略歴
1952年 北海道稚内市生まれ
1971年 広池学園麓澤瑞浪高等学校卒
1975年 国士舘大学工学部建築学科卒
1978年 バルセロナに渡り、ガウディ建築の実測を開始する
1991年 カタルーニャ工科大学バルセロナ建築学科大学院卒
1992年 カタルニア工科大学バルセロナ建築学部より、
    建築家工学博士号を取得
1998年 スペイン国政府の主催する東京ビッグサイトでのガウディ展示会の
    案内役としてスペイン政府による招待で日本帰省
2004年 北海道江別市にスズラン・ボベダ[1]を計画施工
2005年 スペイン王子賞芸術候補
2006年 スペイン王子賞社会科学候補
2007年 アルブレ広場オープン、メキシコのトルーカ市でモニュメント設置
2009年 府中市の北山幼稚園計画開始。
2012年 府中市の北山幼稚園計画完成。
2013年 北海道札幌市、ギャラリー創で「田中裕也展」JIA全国大会で講演会
2014年 埼玉県上尾市に「田中裕也建築研究所」を開設
2015年 バルセロナ建築士協会にて田中裕也作図展示会(7月)
2015年 東京都銀座、渋谷画廊にて田中裕也作図展示講演会(8月)
2015年 東京都渋谷、YEBISU CINEMAにて田中裕也トークショー(12月)
2016年 愛知県常滑市、INAXライブミュージアム10周年特別展
    『つくるガウディ -実測で読み解く』(11月~3月)

林 己知夫

略歴
1952年 東京都文京区に生まれる。
1965年 文京区立誠之小学校卒業。
    小学校の同級に、篠辺修(全日本空輸社長)がいる。
1971年 東京教育大学附属中学校・高等学校
    (現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
1977年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
    (在学中大隈奨学金を授与される)。
1981年 林己知夫建築設計室設立:一級建築士。

彦坂 裕

日本の建築家、環境デザイナー。
(株)スペースインキュベータ代表。
環境デザインや空間設計のほか、都市等 にかかわる仕事を展開。
デザインに加えプロデュースやコンセプトワークと研究開発にまで関わる多層的な活動を展開している。

早川 延幸

略歴
名古屋市西区生まれ。
愛知工業大学建築科を卒業後、真柄建設に入社。
1990年 名古屋市西区に「建築設計・監理・早川設計」を設立。
2004年 中国上海市に「上海早川建築諮詢有限公司」を設立。
2003年 「Dio-ARC(360度回転する家)」を設計
    世界最大の不動産見本市「MIPIM」[1]にて、
    上海国際博覧会の迎賓館を設計提案し、
    近未来的建造物で受賞をした。
2008年 日本で株式会社Dio-X[2]を設立。
    主な作品として、上海地下鉄4号線宜山路駅などの設計がある。

松岡 拓公雄

兵庫県出身、九州と北海道で育つ。
1976年 東京芸術大学美術学部を卒業し
1978年 大学院美術研究科天野太郎研究室(環境建築デザイン)修了。
1978年 丹下健三都市建築研究所に勤務、東京都庁コンペ終了後、
1986年 仲間に呼びかけ(株)アーキテクトファイブを設立、
    共同主宰型の事務所とする。
1999年 滋賀県立大学助教授就任。
2006年 アーキテクトファイブのパートナーを解体し、
    新たに(合)アーキテクトシップを東京と滋賀に設立。
    以後、関東と関西にて教育、設計活動に従事。
    地産地消型環境建築を研究実践している。

宮崎 浩

福岡県生まれ。
経歴
1975年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1977年 同大学大学院修士課程修了。
1979年 槇総合計画事務所に所属。
1989年 プランツ建築デザイン事務所設立。
1991年 プランツアソシエイツに改称。
    早稲田大学、 京都工芸繊維大学、 前橋工科大学非常勤講師。
1994年 中原中也記念館でJIA新人賞受賞。
2000年 NSPビルで日本建築学会作品選奨。
2021年 長野県立美術館でJIA日本建築大賞受賞。

矢萩 喜從郎

経歴
東京学芸大学卒業、
桑沢デザイン研究所卒業、
早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
慶應義塾大学理工学部非常勤講師(2003年-2019年)
早稲田大学非常勤講師(2015年-2021年)

山下昌彦

山梨県甲府市生まれ。
経歴
1974年、東京大学工学部建築学科卒業。
1976年、東京大学大学院修士課程修了。
1976年、松田平田設計に在籍。
1981年、ドイツ国立ハンブルク大学博士課程在籍。
1981年、フォン・ゲルカン・マルク事務所(ハンブルク)に在籍。
1986年、GL建築設計設立。
1998年、UG都市設計と合併でUG都市建築となり、代表取締役。

渡辺 誠

神奈川県横浜市出身
略歴
1952年 神奈川県横浜市生まれ。
1976年 横浜国立大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
1976年 大高建築設計事務所に入所。その後、磯崎新アトリエ勤務。
1984年 渡辺誠アーキテクツオフィス設立。

◼︎1953年

今村 雅樹

長崎県長崎市生まれ。
略歴
1953年、長崎県長崎市生まれ
1972年、長崎県立長崎南高等学校卒業
1977年、日本大学理工学部建築学科卒業
1979年、日本大学大学院理工学研究科博士前期課程修了(宮川英二研究室)
1989年、伊藤喜三郎に師事後、今村雅樹+TSCAを設立
1992年、今村雅樹アーキテクツ㈲を設立。
    日本大学理工学部建築学科、東京電機大学他で非常勤講師
2000年、日本大学理工学部建築学科・大学院理工学研究科助教授
2005年、日本大学理工学部建築学科・大学院理工学研究科教授
2019年、日本大学特任教授

卯月 盛夫

東京都出身
来歴
1953年 東京都にて生まれた。生後すぐに世田谷区に転居
世田谷区立駒沢小学校
世田谷区立駒沢中学校にて学んだ
早稲田大学建築学科、早稲田大学大学院に進学、理工学研究科にて学んだ
修士課程修了後ドイツ連邦共和国に渡り都市計画の分野でも知られるシュトゥットガルト大学大学院博士課程で学んだ
1982年 世田谷区役所にて企画部の都市デザイン室に勤務
1992年 所長に就任
1995年 退職

金箱 温春

略歴
1953年 長野県長野市生まれ[1]
1971年 茨城県立水戸第一高等学校卒業
1975年 東京工業大学工学部建築学科卒業
1977年 東京工業大学大学院総合理工学研究科社会開発工学専攻修了
1977年 横山建築構造設計事務所入社
1992年 金箱構造設計事務所設立
2008年 東京工業大学特任教授
2011年 日本建築構造技術者協会会長 [2]
2012年 工学院大学特別専任教授 [3]
2013年 東京工業大学連携教授 [4]

神家 昭雄

岡山県生まれ。
1974年 国立明石高専建築学科卒業後、
1987年 PLUS建築研究所設立。
1994年 神家昭雄建築研究室に改称。
1998年 「明石の家」で日本建築学会作品選奨、BELCA賞受賞。
1999年 「古民家再生工房の継続的な活動」で日本建築学会賞業績賞受賞。
2009年 森林総合研究所主催「近未来の木造住宅」コンペ最優秀賞。

川元 明春

山口県宇部市生まれ。
1976年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1978年、同大学大学院修士課程修了。
1978年、内井昭蔵建築設計事務所勤務。
1988年、(株)川元明春建築設計事務所を設立。
1989年、東京電機大学建築学科非常勤講師
    日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。

菊池 誠

略歴
1953年 東京都生まれ
1978年 東京大学大学院(建築学)修士課程修了
1978年 磯崎新アトリエ勤務
2002年 磯崎新アトリエ退社後、フリーアーキテクトとして活動
2002年 東京大学総合研究博物館客員教授
2009年、芝浦工業大学教授として、研究組織LAPISを組織

久保 清一

来歴
1953年 静岡県に生まれる。
1977年 大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業。
1981年 ミラノ工科大学建築学部アレダメントコース修了後、
    グレゴッティ・アソシエイツに勤務。
1984年 アルキービ総合計画事務所設立。
1987年 大阪芸術大学講師を経て、
2002年 大阪芸術大学教授着任。
2004年 大阪芸術大学大学院教授。
    (2007年からは関西大学へ非常勤講師としても教えている。)

杉村 憲司

1953年 杉村萬国特許法律事務所の創設者杉村信近の孫として
    東京で生まれた。
    武蔵高校を経て早稲田大学に進学し建築学を専攻した
1978年 ロンドンのノーマン・フォスター建築事務所に勤め、
1983年 香港で代理人を務めた。
    香港上海銀行・香港本店ビルの建設に携わった[2]。
    ロイ・フリートウッドをパートナーに事務所設立。
1988年 東京で杉村フリートウッド建築エンジニア建築事務所を主宰[3]。

染谷 正弘

千葉県生まれ。
1976年 日本大学理工学部建築学科卒業。
1978年 同大学大学院修士課程修了。
1979年 黒沢隆研究室。
1985年 デザインショップ建築設計事務所設立。
1995年 デザインショップ・アーキテクツに改称。
1992年 日本大学理工学部非常勤講師。

高崎正治

1953年 鹿児島県生まれ
1976年 名城大学理工学部建築学科卒業
1977年 欧州に渡り、AAスクール、シュツットガルト大学、
    グラーツ工科大学の各教授の下で建築を学ぶ
1982年 TAKASAKI物人研究所を設立
1990年 高崎正治都市建築設計事務所を設立

田辺 恵一

東京都生まれ。
1977年、日本大学芸術学部美術学科卒業。
1978年、仙田満環境デザイン研究所勤務。
1983年、ビーエムデザインズを設立。
1987年、プラスパツゥへ改名。
1994年、株式会社田辺計画工房に組織変更。

西出 和彦

経歴
1953年 - 埼玉県に生まれる[2]
1972年 - 開成高等学校卒業[5]
1976年 - 東京大学工学部建築学科卒業[2]
1981年 - 東京大学大学院博士課程単位取得退学、
    東京大学工学部建築学科助手[2]
1988年 - 千葉工業大学工業デザイン学科専任講師[2]
1992年 - 千葉工業大学工業デザイン学科助教授[2]
1998年 - 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 助教授[2]
2007年 - 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 教授
2019年 - 東京大学名誉教授
2022年 - 逝去

日比一昭

経歴
東京理科大学工学部建築学科を卒業後、日本国有鉄道に入社する[1]。
1990年、株式会社日伸設計事務所を設立し、代表取締役社長に就任する[1]。
2003年、津島市議会議員選挙に出馬し、当選する[1]。
2014年、津島市長選挙に新人で出馬し、
    同じく新人の浅井直樹、山口欽秀、藤原大俊を破り、当選する[4]。
2018年、津島市長選挙に出馬し、元津島市議会副議長の杉山良介を破り、
    再選する[5]。
2022年、市長選挙で3選。

堀越 英嗣

東京都出身。
経歴
開成高校、
東京藝術大学卒業。
東京藝術大学大学院修了後、
丹下健三・都市・建築設計研究所に勤務、
1986年 川村純一・松岡拓公雄・古市徹雄・城戸崎博孝とともに
    アーキテクトファイブ設立(共同主宰)。
2001年 鳥取環境大学教授。
2004年 芝浦工業大学教授。
2017年 建築学部長。
2005年 株式会社 堀越英嗣 ARCHITECT 5を設立 代表。
    日本建築家協会フェロー会員。

山口 隆

来歴
京都市生まれ[3]。
京都大学では建築論研究の第一人者である加藤邦男に学ぶ[要出典]。
京都大学大学院工学研究科建築学専攻、博士(工学)[1]。
博士論文のテーマ「ピーター・アイゼンマンの建築論 -diagramを巡る主要概念(subject, object)の考察-」[1]。
卒業後は建築家安藤忠雄に師事する[4]。
1988年、ピーター・アイゼンマンのパートナーやコロンビア大学出身の
    建築家と共に理論研究グループARXを結成する[3]。
1992年、ベルリンシュプレーボーゲン都市開発国際コンペティションに
    入賞を果たし[2]、ARXの理論を具現化する[4]。

山中省吾

略歴
1953年 4月 北海道生まれ
1974年 3月 国立米子工業高等専門学校建築学科 卒業
1988年 4月 有限会社山中設計 設立
1996年 9月 日本建築学会のシンポジウムで事例を発表
2001年 2月 書籍『価格の見える家づくり』出版
2002年 12月 書籍『価格の見える家づくり2・実践編』出版
2007年 7月 雑誌『イエヒト』出版(編集長として参加)
2010年 2月 小説『壁』出版
2016年 8月 株式会社プラスエム設計に改称

柳 雅夫

略歴
1978年、千葉大学工学部建築学科卒業
1980年、千葉大学大学院工学研究科修士課程修了
1980年、久米設計入社 

三澤 康彦

略歴
1953年 大阪府生。
1974年 美建建築設計事務所勤務。
1980年 一色建築設計事務所(東京)勤務。
1985年 Ms建築設計事務所を三澤文子と共同設立。
1985年 木構造住宅研究所を三澤文子と共同設立。
1985年 MOKスクール大阪を開講。
1997年 林野庁住宅資材利用技術普及企画委員( - 2002)。
2002年 国土交通省資源循環型木造構工法開発委員
2017年 旅行先の有馬温泉で急性心不全により逝去(享年65歳)[1]

野沢誠

兵庫県生まれ。
略歴
1976年、日本大学理工学部建築学科卒業
1986年、株式会社グローバルエンヴァイロンメントシンクタンク(GETT一級建築士事務所)を設立

◼︎1954年

岩本 弘光

和歌山県生まれ。
経歴
1978年、日本大学理工学部建築学科卒業
1980年、同大学大学院修士課程修了
1982年、石井和紘建築研究所
1987年、イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学留学
1988年 カステロ・ディ・サングロ市建築設計競技1等
1989年、ロータリー財団給費留学生としてミラノ工科大学留学
1990年、岩本光弘建築研究所設立

牛田英作

1954年 東京都生まれ
1976年 東京大学工学部建築学科卒業
1976年 磯崎新アトリエ
1984年 リチャード・ロジャース・パートナーシップ
1986年 ウシダ・フィンドレイ・パートナーシップ設立
1996年 「SOFT AND HAIRY HOUSE」で日本建築学会作品選奨受賞

遠藤 吉生

概要
1954年 広島県呉市生まれ。
1977年 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
1977年 塔建築設計工房勤務。
1979年 奥田建築事務所勤務。
1989年 遠藤建築スタジオ共同設立。
その後、国立呉工業高等専門学校、広島工業大学、広島国際大学非常勤講師を歴任。
現在 広島工業大学准教授。

大江匡

1954年 大阪府生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。
東京大学大学院修士課程修了。
菊竹清訓建築設計事務所勤務を経て、
1985年 プランテック総合計画事務所設立。

荻津郁夫

1954年 秋田県生まれ
1977年 京都大学工学部建築学科 卒業
1978年 京都大学大学院建築学専攻修士課程 修了
1979年 株式会社山下設計 入社
1986年 株式会社設計組織アモルフ 入社(取締役)
1994年 有限会社荻津郁夫建築設計事務所 設立
1994年 SDレビュー1994 入選展
1999年 建築学会作品選集
2003年 横浜の建築家による住宅展
2007年 area045企画展

隈 研吾

神奈川県横浜市出身。
来歴
東京大学工学部建築学科を卒業後、
1979年 東京大学大学院工学系研究科建築意匠専攻修士課程を修了。
    日本設計に就職
    戸田建設設計部
1985年 米国コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員
1990年 隈研吾建築都市設計事務所を設立する。
1998年 慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授
1999年 早稲田バウハウス・スクール講師
2002年 慶應義塾大学理工学部客員教授
2007年 慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授
2007年 米国イリノイ大学建築学科客員教授
2007年 博士論文『建築設計・生産の実践に基づく20世紀建築デザインと
    大衆社会の関係性についての考察』を慶應義塾大学に提出し、
    博士の学位を取得。
2009年 東京大学工学部建築学科教授に就任。
2008年 フランスの首都パリに Kuma & Associates Europe を設立。
2018年 高知県立林業大学校の初代校長に決まる
2020年 東京大学特別教授。岡山大学工学部特別招聘教授に就任
2021年 一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長に就任[2]。
2022年 隈研吾建築都市設計事務所が都道府県と結ぶ初の協定として、
    和歌山県と地方創生で包括連携協定を結んだ[20][21]。

郡山 貞子

1977年、日本大学生産工学部建築工学科卒業。
1979年、日本大学大学院生産工学研究科博士前期課程建築工学専攻修了。
    株式会社佐藤設計に勤務し、
1991年、郡山建築設計事務所を設立し独立する。
1978年、UIA世界建築学生競技設計「1~5万人のための行政空間」で、
    フランス建築アカデミー賞を受賞。
    代表作に雁行する混構造の家(1997年、千葉県)、
    中庭のある集合住宅(2005年、東京都)など。
2006年、日建学院で非常勤講師をつとめた。

斉藤 祐子

埼玉県浦和市生まれ
経歴
1977年:早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1977年:建築設計事務所「U研究室」に入所。
    青森県目時農村公園、
    大学セミナーハウス国際セミナー館の屋根の絵、
    また象設計集団とMt.Noirなどを担当
1985年:七月工房を設立し独立
1986年:「K.House」でSDレビュー入賞
1989年:空間工房101設立。
1993年:群馬県立前橋工業短期大学(現:前橋工科大学)非常勤講師
1995年:早稲田大学芸術学校非常勤講師
2000年:事務所を一級建築士事務所有限会社SITEへ改組
2016年:早稲田大学楼門建築会特別功労賞を受賞[1]

坂本 英之

石川県加賀市出身。
経歴
1954年 加賀市生まれ。
1986年 ドイツ政府給費留学・シュトゥットガルト大学都市
    デザイン研究所客員研究員。
1987年 シュタットバウ・アトリエ勤務(都市・建築デザイン)。
1994年 工学博士学位取得(シュトゥットガルト大学)。
1995年 金沢美術工芸大学助教授。
2003年 金沢美術工芸大学環境デザイン専攻教授。

佐野 吉彦

神奈川県生まれ、兵庫県西宮市育ち。
略歴
1979年、東京理科大学工学部第一部建築学科卒業
1981年、東京理科大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了
1981年、竹中工務店勤務
1986年、安井建築設計事務所に移籍。取締役社長室長就任
1987年、奈良町ハウジングコンペティションで佳作
1989年、安井建築設計事務所常務取締役東京事務所長
1992年、札幌近代文学館コンペティションで北海道知事特別奨励賞
1992年、安井建築設計事務所専務取締役
1997年、株式会社安井建築設計事務所代表取締役社長

竹山 聖

来歴
大阪府出身。
1973年 大阪府立北野高等学校を卒業、京都大学工学部建築学科に入学。
1977年 京都大学を卒業し、東京大学大学院に進学。
    原広司の下で修士課程、博士課程を修める。
    同級生に隈研吾らがおり、大学院在学中の
1979年 宇野求、小林克弘らと設計組織アモルフを創設して
    設計活動を始める[3]。
    並行してさまざまなメディアで批評活動を展開。
1992年 京都大学助教授[3](のち、准教授)。
    毎年学生たちと古代都市遺跡を訪れ、
    都市の原型を辿る旅を続けるとともに都市発生論を探求、
    現代都市のヴィジョンを構想し、提案もしている。
1995年 「神戸新首都計画・神戸三宮計画」を発表[3]。
1997年 京都大学、京都工芸繊維大学、京都府立大学、京都市立芸術大学、  
    京都精華大学、京都造形芸術大学の6大学で教鞭を執る建築家や
    学生と共に、京都建築大学ネットワーク (KASNET) を結成、
    ヴォルフ・プリックスやトム・メインを招聘し、
    ワークショップを行う。
    「第22回日本文化デザイン会議'99鹿児島」では議長を務める。
1998年 スペインのバレンシア工科大学、
1999年 フランス・パリのラヴィレット建築大学で、 
    ワークショップを行い学生の指導にあたっている[3]。
2004年 秋に撮影されたクロード・ガニオン監督の映画
    『KAMATAKI -窯焚-』では美術監督を務めた。
    現在は教員として活躍する傍ら、ツイッターを活用して
    自身の建築理論や哲学を発表している一面も持つ。
2015年 京都大学教授[3]。
2017年 同校の建築学科長。
2020年 京都大学名誉教授[1]。

田中 雅美

東京都生まれ。
1979年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。
1979年、土岐新建築総合計画事務所勤務。
1981年、フィンランドのカルロ・レッパネン建築事務所勤務。
1989年、建築設計事務所シサピハ建築事務所を設立。
1998年、田中雅美建築設計事務所に改称。
1993年、 日本大学理工学部、前橋工科大学、東京工芸大学非常勤講師。
     一般社団法人日本フィンランド協会監事。

野口 秀世

東京都生まれ。
経歴
東京都立新宿高等学校を経て
1980年、東京工業大学工学部建築学科卒業。
1983年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。
1983年、株式会社久米設計に入社。
2006年、北上市文化交流センター さくらホールで日本建築学会賞。
    その他作品に、東京音楽大学新本館など。

宮﨑 均

埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。
1954年 さいたま市生まれ。
    日本大学大学院理工学研究科博士程修了
1981年 工学博士 一級建築士
1982年 現在の公立大学法人 前橋工科大学(当時、前橋市立工業短期大学)
    講師として着任、その後・准教授、
1984年 地域環境総合計画研究所、略(宮﨑均+REP研究所)を
    主宰し研究成果を社会に還元することをしている。
1993年 教授、図書館長 工学部長、大学院研究科長、
2015年 副学長を経て名誉教授となる。
    退官後一般財団法人前橋工科大学研究教育振興財団 理事長に就任。
2000年 群馬TVニュースコメンテーターも務めた、

諸角 敬

略歴
1954年、神奈川県・逗子市生まれ。
1977年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1977年、林・山田・中原設計同人。
1983年、studio Mangiarottiに所属。
1985年、studioA設立。
1993年、早稲田大学理工学部建築学科非常勤講師となる。
    現在、日本大学生産工学部建築学科、
    工学院大学工学部建築学科にて非常勤講師。
    また、NPO法人「家づくりの会」理事。

柳川 賢次

来歴
大阪府に生まれる。
1977年、大阪工業大学工学部建築学科を卒業する。
瀧光夫建築・都市設計事務所に勤務し、一方母校の大阪工業大学工学部建築学科建築計画増田研究室の研究生ともなる。
研究テーマは「LE CORBUSIERの空間構造」。
1978年、研究生を修了した。
1983年、一級建築士事務所「柳川賢次建築設計事務所」を開設する。
1988年、有限会社柳川賢次建築設計事務所に商号を変更した。

横内 敏人

山梨県出身
1978年、東京芸術大学美術学部建築科卒業。
1980年、マサチューセッツ工科大学建築学科大学院にて
    環境心理学修士課程を修了。
    前川國男建築設計事務所での勤務などを経て、
1991年、京都府にて横内敏人建築設計事務所を設立。
    以後、京都を地盤に木造住宅建築を手がけており、
    中村外二工務店との恊働による数寄屋建築の技術を活かした
    設計が知られている。
1992年、山梨建築文化賞、
2002年、日本建築学会北陸建築文化賞、
2008年、京都府文化賞(功労賞)をそれぞれ受賞

渡辺 純

略歴
1954年、
東京都に生まれる。
1978年、東京大学工学部建築学科卒業。
1983年、ハーバード大学建築大学院修了。
    丹下健三・都市・建築設計研究所(1978-1981)、
    I.M.ペイアンドパートナーズ(1983-1985)、
    槇総合計画事務所(1985-1990)勤務
1990年、株式会社JWA建築・都市設計代表取締役として独立。
    同時にテキサス大学オースティン校建築学部助教授となる。
1995年、終身教授資格(Tenureship)取得。
1996年、中部大学工学部建築学科教授(2009年まで)。

◼︎1955年

井上 瑶子

東京生まれ。
1978年、武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
    村口昌之建築計画事務所を経て、
1983年、井上瑶子設計アトリエ設立(2004年から現名称)。
    武蔵野美術大学、関東学院大学建築学科非常勤講師、
    文化学園大学造形学部建築・インテリア学科教授を歴任。
   『両親と祖母の家をつくる』で芦原義信賞受賞。

榎本弘之

略歴
1955年 東京都生まれ
1973年 麻布高等学校 卒業
1977年 東京大学工学部建築学科 卒業
1980年 東京大学大学院建築学専攻修士課程 修了
1983年 東京大学大学院建築学専攻博士課程 単位取得
1979年 設計組織アモルフ 共同設立
1981年 東京電機大学 非常勤講師(~1984年)
1983年 株式会社設計組織アモルフに法人化
1994年 日本大学理工学部海洋建築学科 非常勤講師(~2000年)
1995年 株式会社榎本弘之建築研究所 設立 
2002年 日本大学理工学部建築学科 非常勤講師(~2008年)
2012年 日本大学理工学部海洋建築学科 非常勤講師

岡田 知子

大阪府生まれ。
略歴
1979年 - 大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業[1]
1984年 - 大阪市立大学大学院生活科学研究科生活科学専攻前期博士課程修了
1984年 - 岡田知子建築設計室設立
1993年 - 西日本工業大学工学部建築学科助教授

小川 晋一

山口県生まれ。
経歴
1978年 日本大学芸術学部卒業
1977年 ワシントン州立大学建築学科交換留学
1984年 文化庁派遣芸術家在外研修員/在ニューヨーク
1984年 ポール・ルドルフ事務所(ニューヨーク)勤務
1985年 アルキテクトニカ(ニューヨーク)勤務
1986年 小川晋一都市建築設計事務所設立
現在:近畿大学工学部建築学科教授、日本大学芸術学部非常勤講師、英国エジンバラ芸術大学建築学科客員教授

亀井 忠夫

兵庫県西宮市出身。
来歴
兵庫県立神戸高等学校を経て、
1977年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
    早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻に在学中、ペンシルバニア大学大学院に留学し、
1978年 同校の建築学科修了。
1981年 早稲田大学大学院を修了し、同年に日建設計入社。
    同社執行役員設計部門代表、常務執行役員設計担当等を歴任し、
2013年 取締役常務執行役員設計部門統括に就任。
2015年 現職[1]。

寒竹 伸一

経歴
福岡県出身。
1978年 東京大学工学部建築学科卒業。
1980年 東京大学大学院工学系研究科建築専門課程修士課程修了。
1980年 丹下健三都市建築設計研究所勤務。
    海外業務を多数担当。
1985年 国土庁大都市圏整備局計画課出向。
    第四次全国総合開発計画、首都圏基本計画、
    首都圏整備計画を担当。
1987年 丹下健三都市建築設計研究所取締役就任。
1989年 株式会社ブラハマアソシエイツ都市建築研究所設立。
1989年 SDレビュー入選。
1992年 新潟県荒川橋指名コンペティション最優秀賞。
1996年 上越市都市建築総合アドバイザー。
2002年 浜松東第一地区市街地開発調査委員会委員長。


小林 克弘

略歴
1977年 東京大学工学部建築学科卒業
1979年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了
1982年 コロンビア大学客員研究員
1985年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士
1986年 東京都立大学 (1949-2011)工学部建築学科講師
1988年 東京都立大学工学部建築学科助教授
1998年 東京都立大学大学院工学研究科建築学専攻教授
現在  首都大学東京大学院都市環境科学研究科建築学専攻教授

佐藤 尚巳

東京都生まれ。
概略
1979年、東京大学工学部建築学科卒業。
1979年、菊竹清訓建築設計事務所に勤務。
    その後渡米し、ハーバード大学に進学。
1987年、ケンブリッジ・セブン・アソシエイツに勤務。
1988年、ハーバード大学デザイン大学院建築学専攻修士課程修了。
1988年、I.M.Pei&Partnersに勤務、
1990年、Rafael Vinoly Architects PCに移籍。
1990年、株式会社ラファエル・ヴィニオリ建築士事務所東京事務所長
    として、東京国際フォーラムの監理担当。
1996年、株式会社佐藤尚巳建築研究所を設立。
2001年、国士舘大学工学部建築学科非常勤講師。
2002年、武蔵野美術大学建築学科非常勤講師。
2004年、東京工業大学工学部建築学科非常勤講師も兼務。
2002年、武蔵野市吉祥寺シアター(仮称)設計プロポーザル最優秀賞。
2003年、港区景観アドバイザーを務める。

菅 順二

略歴
1955年 京都府京都市生まれ。
1974年 埼玉県立浦和高等学校卒業。
1979年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1981年 早稲田大学大学院修了(池原義郎研究室)。
1981年 竹中工務店入社。
2012年 竹中工務店東京本店設計部長。
2015年 同 執行役員設計本部長。
2017年 同 常務執行役員[2]。
2017年-2018年 日本建築学会副会長[3]。
2021年 竹中工務店取締役専務執行役員
2023年 竹中工務店取締役執行役員副社長[4]

鈴木 基紀

北海道旭川市生まれ、苫小牧市勇払原野育ち。
函館ラ・サール高等学校
1979年、早稲田大学理工学部建築学科卒業(大塚聡、高橋真、葭内博史らと同期)。
在学中、ラーメン屋台を描きデザインコンペに入賞。
卒業後、ヨーロッパ・北アフリカを放浪後、建築家・鈴木恂(吉阪隆正の系譜を引く建築家)に6年間師事する。
鈴木恂のアトリエでGA[要曖昧さ回避]ギャラリー、桂離宮作図、二川幸夫邸などを担当。
独立後の代表作としてIZVI(静岡県伊豆市姫の湯)、UMI(鹿児島県喜界島)など。

髙橋 敏彦

略歴
岩手県北上市和賀町(旧・和賀郡和賀町)出身[1]。
1974年3月、岩手県立黒沢尻北高等学校卒業[2]。
1978年3月、日本大学理工学部建築学科卒業 。
1980年、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻博士前期課程修了 。
    高橋建築事務所に入り、設計に従事する。
    後高橋設計に社名変更し、代表に就任。
    岩手県総合計画審議会委員のほか、
    特定非営利活動法人いわてNPO-NETサポートの代表理事をつとめる
1990年、日本建築士事務所協会連合会会長賞、
1991年、日本建築士会連合会私の推薦する作品優秀賞受賞。
1996年、湯田文化創造館銀河ホールで第16回東北建築賞作品賞。
    その他の代表作に、サトウ・ハチロー記念館(岩手県北上市)
    北上総合体育館、おにやなぎ保育園、
    北良メディカルセンターがある。
2011年、北上市長選挙に公明党推薦の無所属で出馬することを表明した[3]。
    4月24日に行われた選挙で勝利し、初当選を果たす。
    北上市に存在する16の地域コミュニティをあじさいの花に例えた
    「あじさい都市」きたかみの創造に向け、活動を開始する。
    市長就任[4]。
2015年、無投票により再選[5]。
    自身の掲げるあじさい都市きたかみ第2ステージの幕切れを宣言
2019年、無投票により3選
2022年、定例記者会見にて、次の市長選挙には立候補せず、
2023年、任期満了をもって勇退することを発表した

中山 眞琴

北海道出身。
1978年 多摩美術大学美術学部建築科(現:環境デザイン学科)卒業。
1980年 多摩美術大学大学院建築デザインコース修士課程を修了。
1980年 高村デザイン事務所
1988年 から株式会社ナカヤマ・アーキテクツ代表
2013年 株式会社nAナカヤマアーキテクツ設立
2021年 株式会社中山眞琴アーキテクツに商号変更

長堀 嘉一

経歴
宮城県仙台市生まれ。
1973年 宮城県仙台第三高等学校卒業。
1981年 北海道大学大学院工学研究科修士課程を修了、日本設計入社。

西濱 浩次

略歴
1955年 大阪市生まれ
1978年 京都工芸繊維大学 住環境学科卒業
1978年 日本建設株式会社設計部
1985年 北村陸夫+ZOOM計画工房
1987年 西濱建築事務所 設立
1993年 コンパス建築工房に改組
1996年 株式会社コンパス建築工房に改組
1986年 なんばデザイナー学院 非常勤講師(~1999)
2001年 京都工芸繊維大学 非常勤講師(~2018)
2007年(公社)日本建築家協会 住宅部会代表(~2009)
2016年(公社)日本建築家協会 大阪地域会会長(~2019)
2017年 修成建築専門学校 教育顧問
2017年 株式会社NINI 取締役
2018年 不動産取引業を開始(全日)

平山 文則

福岡県出身。
経歴
福岡県立修猷館高等学校を経て、
1979年、九州大学工学部建築学科卒業。
1981年、九州大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
1981年、日本電信電話公社建築局、同近畿電気通信局第二建築部。
1987年、日本電信電話NTT建築部。
1994年、NTTファシリティーズ。
2003年、豊橋技術科学大学にて非常勤講師を務める。
2012年、岡山理科大学工学部建築学科教授に就任。

古谷 誠章

略歴
1955年 東京都生まれ。
1973年 東京都立青山高等学校卒業。
1978年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1980年 早稲田大学大学院修了(穂積信夫研究室)。
1983年 早稲田大学理工学部助手。
1986年 近畿大学工学部講師。
1986年 文化庁芸術家在外研修員としてマリオ・ボッタ事務所に在籍。
1990年 近畿大学工学部助教授。
1994年 八木佐千子とスタジオナスカ(現NASCA)共同設立。
1994年 早稲田大学理工学部助教授。
1997年 早稲田大学教授。
2010年 東北大学非常勤講師。
2017年 日本建築学会会長(第55代)。

堀口 浩司


来歴
和歌山県に生まれる。
1978年 京都大学工学部建築学科を卒業して
    同大学院工学研究科建築学専攻に進む
1981年 修士課程を修了した。
1982年 地域計画建築研究所に入所した。
1996年 取締役計画部長
2007年 企画政策推進室長兼取締役計画部長兼東京事務所長
2010年 取締役計画部長兼東京事務所長兼名古屋事務所長を歴任する。
2012年 取締役副社長兼東京事務所長兼名古屋事務所長に就任した

光井 純

略歴
山口県岩国市生まれ
1978年 - 東京大学工学部建築学科卒業
1978年 - 岡田新一設計事務所勤務
1982年 - イェール大学建築学科大学院修士号取得
1984年 - ペリ クラーク ペリ アーキテクツのシニアアソシエーツとして勤務
1992年 - ペリ クラーク ペリ アーキテクツ ジャパン代表取締役
1995年 - 光井純アンドアソシエーツ建築設計事務所代表取締役

矢板久明

1955年 鹿児島県生まれ。
明治大学工学部建築学科卒。
東京大学大学院建築学専攻修士課程修了。
谷口建築設計研究所を経て、
1994年 矢板久明建築設計研究所を設立。
その後、株式会社矢板建築設計研究所に改組、改称。

横村 隆子

東京都生まれ。
1977年 日本大学理工学部建築学科卒業後、
    黒澤隆研究室、
    板垣元彬建築設計、
    水沢工務店設計部、
    UG都市開発を経て、
1996年 横村隆子YHT環境設計設立。

◼︎1956年

青木 淳

略歴
1956年 神奈川県横浜市生まれ[2]
1975年 神奈川県立小田原高等学校卒業[3]
1980年 東京大学工学部建築学科卒業[2]
1982年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了[2]
1982年 (株)磯崎新アトリエ勤務[2]
1991年 (株)青木淳建築計画事務所設立[2]
2019年 東京芸術大学美術学部建築科教授、 
    多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授[4]
2020年 自身の設計事務所チーフを務めていた品川雅俊をパートナーに
    迎え「青木淳建築計画事務所」を「AS」に改名することを発表[5]。

有馬裕之

鹿児島県出身。
略歴
1956年 鹿児島県生まれ
1980年 京都工芸繊維大学工芸学部建築工芸学科卒業
1980年 竹中工務店入社
1990年 Hiroyuki Arima+Urban Fourth設立

生山 雅英

略歴
大阪府出身。
1981年、大阪工業大学工学部建築学科卒業後、
    南海建設株式会社設計部を経て、
1990年、arte(アルテ)空間研究所設立。
2005年、大阪樟蔭女子大学非常勤講師。
2008年、大阪工業大学非常勤講師。

伊藤 寛

略歴
1956年、長野県上伊那郡生まれ[1]。
1975年、長野県伊那北高等学校卒業。
1979年、神奈川大学工学部建築学科卒業。
1984年、建築設計事務所に勤務後、ミラノ工科大学に留学。
    帰国後早稲田大学大学院に進学、
1988年、大学院修士課程修了。
    同年、伊藤寛アトリエを開設。

榎本 雅夫

千葉県生まれ。
1979年、日本大学理工学部建築学科を卒業後、榎本建築設計事務所入所。
1998年、日本大学理工学部非常勤講師。
    千葉県立幕張総合高等学校で千葉市優秀建築賞、
    千葉県建築文化賞を、杏保育園で第6回市原市都市景観賞を受賞。
    その他代表作にとみうら元気倶楽部などがある。

川口 とし子

新潟県生まれ。
略歴
1980年 日本大学#学部建築学科卒業
1982年 日本大学#研究科理工学研究科博士前期課程修了
1983年 東畑建築事務所勤務
1987年 ウイーン・アトリエホラインに勤務
1988年 アーキスタジオオゾン一級建築士事務所設立
1993年 アーキスタジオ川口一級建築士事務所設立
1997年 日本大学理工学部建築学科非常勤講師 
1998年 長岡造形大学#学部・学科非常勤講師
2002年 東京理科大学#学部建築学科,
    国士舘大学理工学部建築学科非常勤講師
2003年 日本大学理工学部海洋建築工学科非常勤講師
2009年 長岡造形大学#学部・学科教授

木下庸子

1956年 東京都に生まれる.
1977年 スタンフォード大学卒業
1980年 ハーバード大学デザイン学部大学院修了
1981年 内井昭蔵建築設計事務所勤務
1987年 設計組織ADHを設立
2005年 UR都市機構 都市デザインチーム チームリーダー

齋藤 玄

福岡県生まれ
1980年 九州大学工学部建築学科卒業
1980年 日本電信電話公社建築局入社
1999年 NTTファシリティーズ西日本事務所長。
2004年 NTTファシリティーズ第一設計総括部長を経て
    浅井謙建築研究所入所

玄・ベルトー・進来

パリ生まれ。
父は建築家の進来廉。
1980年、ベルギー サンリュック大学建築学科卒業。
1980年、ビロー7フェルニエ建築設計事務所勤務。
1984年、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。
1984年、磯崎新アトリエ勤務。
1990年、株式会社 玄・ベルトー・進来設立。
1991年、日本大学理工学部建築学科講師。

住友 雄治

徳島県徳島市出身。
経歴
徳島県立徳島東工業高等学校インテリア科(現徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業。
1985年 有限会社「マス・アソシエイティ」設立。
1996年 「B社」本社・工場徳島県建築デザイン賞、
     ナショップライティングコンテスト奨励賞、
1998年 「IDE LIGHT HOUSE」INAXデザインコンテスト銅賞などを受賞。

妹島 和世

茨城県出身
略歴
1956年 - 茨城県日立市[3]に生まれ育つ。
    父は日立製作所の技術者で、幼少期をその社宅で過ごした[4]。
1972年 - 日立市立助川中学校卒業[5]。
1975年 - 茨城県立水戸第一高等学校卒業[6]。
1979年 - 日本女子大学家政学部住居学科卒業[2]。
1981年 - 日本女子大学大学院家政学研究科住居学専攻修士課程修了[2]。
    同年、伊東豊雄建築設計事務所に入所する。
    在籍時には東京遊牧少女の包、神田Mビルなどを担当する。
1987年 - 妹島和世建築設計事務所を設立し、独立する[7]。
1988年 - 鹿島賞(SD Review 1988)受賞[8]。
1988年 - 東京建築士会住宅建築賞特別賞受賞[9]。
1989年 - 第6回吉岡賞受賞[10]。
1992年 - JIA(日本建築家協会)新人賞受賞[7]。
1995年 - SANAAを西沢立衛と共に設立する[7]。
1995年 - ケネス・ブラウン環太平洋建築賞受賞。
1998年 - 日本建築学会賞受賞[11]。
2002年 - アーノルド・W・ブルンナー記念建築賞受賞。
2002年 - ザルツブルク建築賞ヴィンセンツオ・スカモッチ賞受賞。
2004年 - ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞受賞[12]。
2005年 - ショック賞(視覚芸術部門)受賞。
2005年 - 第46回毎日芸術賞建築部門受賞[12]。
2006年 - 日本建築学会賞2度目受賞[12]。
    芸術選奨文部科学大臣賞受賞[13]。日本建築大賞受賞。
2007年 - 王立英国建築家協会国際研究奨励賞(IFRIBA)授受。
2010年 - 女性として2人目、日本人女性としては1人目にして唯一の
    プリツカー賞受賞。フランス芸術文化勲章オフィシエに叙される。
2010年 - 第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展ディレクターを務める[7]。
    建築部門の最高責任者に日本人および女性の起用は初。
2012年 - 英国王立芸術大学(Royal College of Art)名誉博士(建築学)。
2013年 - 銀の定規賞受賞[15]。シュツットガルト大学名誉博士(建築学)。
2015年 - 村野藤吾賞受賞[16]。
    American Academy of Arts and Letters 外国人名誉会員。
2015年 - 政府が海外主要都市に創設する日本の対外発信拠点
    「ジャパン・ハウス(仮称)」の有識者諮問会議メンバー
    (建築分野)に選出された[17][18]。
2016年 - オックスフォード大学名誉学位授受[19]。紫綬褒章受章[20]。
2022年 - 第33回高松宮殿下記念世界文化賞建築部門受賞[21][22]。

高砂 正弘

大阪府生まれ
経歴
1979年 大阪工業大学工学部建築学科卒業。
1986年 早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了、
    工学修士(早稲田大学)。
    瀧光夫建築・都市設計事務所にて建築設計に従事。
1990年 高砂建築事務所設立[4]。
    その後、大阪工業大学・関西大学非常勤講師、
    梅花女子大学現代人間学部教授などを経て、
2008年 大阪工業大学大学院工学研究科建築学専攻にて博士(工学)。
2011年 和歌山大学システム工学部教授。
2022年 同大学名誉教授。

團 紀彦

経歴
1956年 作曲家・團伊玖磨の次男として神奈川県三浦郡葉山町に生まれた。
    神奈川県立湘南高等学校を経て、東京大学工学部卒業、
    さらに同大学院で学び、建築家・槇文彦に師事した。
    その後はイエール大学大学院に留学し、
    帰国後に建築設計事務所を設立した。

三澤 文子

略歴
1956年 - 静岡県生。
1979年 - 奈良女子大学理学部物理学科卒。
1980年 - 大阪工業技術専門学校建築学科卒。
1980年 - 高木滋生建築設計事務所勤務。
1982年 - 現代計画研究所勤務。
1985年 - Ms建築設計事務所を三澤康彦と共同設立。
1985年 - 大阪芸術大学非常勤講師( - 1999)。
1985年 - 木構造住宅研究所を三澤康彦と共同設立。
1985年 - MOKスクール大阪を開講。
2001年 - 岐阜県立森林文化アカデミー教授( - 2009)、
    客員教授(2010 - )。
2004年 - 環境ビジネスウィメンの第2期メンバーに選ばれる。
2009年 - MSD[要説明]を開設。
2011年 - 京都造形芸術大学通信制大学院教授。
現在 - Ms建築設計事務所 主宰

連 健夫

経歴
京都府立洛北高等学校、
多摩美術大学美術学部建築科(現:環境デザイン学科)卒業。
東京都立大学大学院修了後、
建設会社に勤務、
1991年 渡英、ロンドンにあるAAスクールに入学、
    大学院優等学位取得の後、同校助手、
    東ロンドン大学非常勤講師、
    在英国日本国大使館嘱託を経て
1996年 帰国、有限会社連健夫建築研究室・一級建築士事務所を設立する。
    「心と対話する建築」を目指しコラージュを用いた参加の設計等、
    施主とのコミュニケーションを大切にした設計活動を行なう。
    また、港区登録まちづくりコンサルタントとして赤坂通り
    まちづくりの会や六本木三丁目東地区のまちづくりに関わる。
    復興支援としては、いわき市豊間敷地区に関わっている。
1994年 AAスクール助手。
1996年 日本建築専門学校非常勤講師。
1996年 多摩美術大学非常勤講師。
1996年 東京都立大学非常勤講師。
1997年 東京電機大学非常勤講師。
2001年 明治大学兼任講師。
2001年 ルーテル学院大学非常勤講師。
2013年 首都大学東京非常勤講師。
2008年 首都大学東京オープンユニバーシティー講師。
2013年 早稲田大学非常勤講師。
2015年 芝浦工業大学非常勤講師。

渡部和生

経歴
1979年、東北大学工学部建築学科卒業。
1979年、蔵王建築設計事務所。
1987年、惟建築計画設立。

徳川 宜子

経歴
東京都出身。
紀州徳川家第18代当主・徳川剛と宝子の長女として生まれたが、両親は1965年8月に離婚した[2]。
1977年、東洋英和女学院短期大学を卒業した後、文化学院で建築を学び、
1981年、卒業する。
    同年、大成建設株式会社に入社する。
1985年、大成建設における同僚の石橋利彦と共に
    株式会社石橋徳川建築設計所を設立する。
1988年、東京建築士会評議員。
1992年、東京YMCAデザイン研究所講師。建築関係で多数の表彰歴がある。
2009年、朝日新聞のインタビューでは、
    紀州徳川家の後継について自然の流れに任せると語った。

◼︎1957年

川島 克也

京都府生まれ。
1975年洛星高等学校卒業。
1979年京都大学工学部卒業。
1981年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
1981年、日建設計入社。

窪田 勝文

年表
1957年 - 山口県岩国市に生まれる
1981年 - 日本大学工学部建築学科卒業
1981年 - (株)K構造研究所[3]に勤務。
1988年 - 窪田建築アトリエ設立
1996年 - 国際連合人間居住計画ハビタットII 日本代表に選ばれる。
1998年 - 2003年 - 広島工業大学非常勤講師
2000年 - 2020年 山口大学非常勤講師
2002年 - World Architecture Awards 2002 東アジア代表
2014年 - 第10回 モダンリビング大賞 グランドチャンピオン
2015年 - 第26回 福岡市年景観賞 建築賞 「Kitchenhouse Showroom」
2018年 - A’Design Award & Competition[4] 2017/2018 Golden「FU-HOUSE」
2022年 - 広島女学院大学 特任教授
2023年 - S.ARCH Architecture awards 2022/2023 住宅部門 最優秀賞「K-VILLA」

後藤春彦

富山県生まれ。
略歴
1980年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1982年、早稲田大学大学院修士課程修了、一級建築士取得。
1987年、早稲田大学大学院博士課程修了・工学博士。早稲田大学助手、宮城県中新田町都市デザイン企画専門官、三重大学助教授、早稲田大学助教授を経て、
1998年、同大学教授(現在に至る)。
2010年、同大学創造理工学部長・同大学大学院創造理工学研究科長。
2018年、早稲田大学・理事。
2021年、早稲田大学・常任理事。
2022年、早稲田大学・副総長(現在に至る)。

杉浦 英一

経歴
1957年、東京都中央区生まれ。
1976年、東京教育大学附属高等学校卒業。東京藝術大学美術学部建築科在学中、建築研究のため1年間休学し渡欧した。
1983年、同大学院修士課程を修了後、内井昭蔵建築設計事務所に入所。主任建築家として、皇居吹上新御所、参議院副議長公邸等の設計を行った。
1993年、杉浦英一建築設計事務所設立。
2011年、世界初の3次元免震構造集合住宅である知粋館[2]の意匠設計を行い、グッドデザイン賞を受賞した[3][4]。
2013年、死去[1]。55歳没。

髙瀨 伸利

人物・経歴
東京都出身。
1980年、千葉大学工学部建築工学科卒業、西松建設入社[1]。
    建築畑を歩み、
2010年、執行役員建築施工本部長兼建築部長に就任。
2011年、取締役常務執行役員関東建築支社長に昇格。
2017年、取締役専務執行役員。
2018年、代表取締役社長を務め

田坂 好生

静岡市出身。
略歴
1957年 静岡県清水市(現在の静岡市)に生まれる。
1981年 明治大学工学部建築学科卒業。株式会社野村設計入社(教育施設を中心に設計)。
1984年 教会建築視察のため渡欧。
1985年 帰国。ネヘミヤ建築研究所入所(教育施設を中心に設計)。
1995年 田坂好生建築設計事務所設立。
2004年 マラナタ・デザイン設立。

長井 義紀

福島県生まれ。
略歴
1981年 日本大学理工学部建築学科卒業
1981年 渡辺明設計事務所勤務
1992年 現代建築研究所勤務
2002年 長井義紀アーキスタジオ設立
2004年 有限会社長井義紀建築設計事務所設立

坂 茂

来歴
東京都出身。会社員の父と服飾デザイナーの母の下に生まれる。
1976年 - 成蹊高等学校卒業
1977年 - 南カリフォルニア建築大学在学
1980年 - クーパー・ユニオン建築学部在学
1982年 - 磯崎新アトリエに在籍
1984年 - クーパー・ユニオンの建築学部を卒業(建築学士号[* 1])
1985年 - 東京に株式会社坂茂建築設計を設立
1995年 - NGO VAN (ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク) 設立。同年、横浜国立大学建築科非常勤講師
1996年 - 日本大学理工学部建築科非常勤講師
1995年 - 国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) コンサルタント[30]
1999年 - ニューヨークに事務所を開設[1]。
2000年 - コロンビア大学客員教授
2001年 - 慶應義塾大学環境情報学部教授
2003年 - ポンピドゥー・センター・メスのコンペを勝ち取る。
2004年 - パリに事務所を開設[1]。
2008年 - パリとロンドンで日本車のデザイン展を企画開催(キュレータ:原研哉、会場構成:坂茂)[31]
2010年 - ハーバード大学GSD客員教授
2010年 - コーネル大学客員教授
2011年 - 京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科教授
2013年 - ボランタリー・アーキテクツ・ネットワークを特定非営利活動法人化[22]
2018年 - 台南市(台湾)の名誉市民受章[32]。
2019年 - 読売国際協力賞受賞[33]
2019年〜 -慶応義塾大学環境情報学部教授
2023年~-芝浦工業大学特別招聘教授

古田 秀行

東京生まれ。
1979年 日本大学生産工学部建築工学科卒業。
株式会社間組建築設計部を経て、
2003年 株式会社エノア総合計画事務所入社、現在に至る。

邑上 守正

来歴
市内で生まれ育った。
武蔵野市立大野田小学校、
武蔵野市立第四中学校、
東京都立立川高等学校、
早稲田大学理工学部建築学科卒業[2]。
大学卒業後は株式会社アーバンデザインコンサルタントで都市計画(特に景観の計画)に携わった。
また都市環境デザイン会議(JUDI)の広報・出版委員長を務める。

◼︎1958年

北田たくみ

略歴
岩手県盛岡市生まれ。
通商産業省を退省後、90年に株式会社のるすく設立。
広葉樹の無垢材を使用した家具のデザインに従事し、店舗や住宅の空間デザインを経て一級建築士事務所設立。
現在は神奈川県川崎市の溝の口駅,フィオーレの森に『のるすく建築設計室』と東京都目黒区の都立大学駅に『のるすくショールーム』がある。

小嶋 一浩

略歴
1958年 大阪府枚方市生まれ[2]
1977年 大阪府立四條畷高等学校卒業[2]
1982年 京都大学工学部建築学科卒業(24歳)
1984年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了(26歳)
1986年 同大学院博士課程在学中にシーラカンスを共同設立。
1988年 同大学院(原広司研究室)博士課程単位取得満期退学(30歳)
1989年 東京大学槇文彦研究室助手、大野秀敏研究室助手。
1993年 早稲田大学非常勤講師
1994年 東京理科大学理工学部建築学科助教授
1997年 東京藝術大学非常勤講師
1998年 C+A(シーラカンスアンドアソシエイツ)に改組。
1999年 広島工業大学非常勤講師
2000年 東京工業大学非常勤講師
2001年 日本女子大学非常勤講師
2002年 東京大学非常勤講師
2004年 京都工芸繊維大学特任教授
2005年 東京理科大学教授
2005年 CAt(シーラカンスアンドアソシエイツトウキョウ)に改組。
2005年 東北大学非常勤講師
2006年 京都工芸繊維大学客員教授
2011年 横浜国立大学大学院Y-GSA教授

高橋 晶子

略歴
1958年 静岡県生まれ
1980年 京都大学工学部建築学科卒業
1986年 東京工業大学大学院工学研究科博士課程修了
    篠原一男アトリエ(~88)
1988年 共同主催者高橋寛とワークステーション (建築設計)設立
2004年 武蔵野美術大学教授

武田 有左

東京都生まれ。
略歴
1985年、東京芸術大学美術学部大学院修了。
同年から三菱地所株式会社一級建築士事務所。
2001年、株式会社三菱地所設計。
2005年、 +ANET lab.(プラス エーネット ラボ)主宰。

田辺 芳生

青森県出身。
1982年 東京理科大学理工学部建築学科卒業。
1984年 東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。
1984年 日本総合建築事務所(現 日総建)勤務。
1989年 PRIME設立。
1994年 青山環境デザイン研究所講師。
1994年 東京理科大学非常勤講師。その他、日本サッカー協会カレッジ講師をつとめる。

篠原 聡子

千葉県東金市生まれ
夫は隈研吾[1]。
人物・来歴
1977年、千葉県立東金高等学校卒業。
1981年、日本女子大学家政学部住居学科卒業[1][2]。
1983年、同大学大学院修士課程修了[1]。
1983年、香山アトリエに勤務。
1986年、空間研究所を設立[1]。
1996年、「大阪府営泉大津なぎさ住宅(仮称)設計競技」で優秀作1席に入選。
1997年、日本女子大学住居学科専任講師[1]。
2001年、日本女子大学住居学科助教授。
2010年、日本女子大学住居学科教授[1]。
2020年、日本女子大学学長[1][3]。

丹下 憲孝

東京都生まれ[1]。
父は建築家の丹下健三[2]。
略歴
1973年、スイスヴォー州のロール近郊にある寄宿学校ル・ロゼに学ぶ。
1981年、ハーバード大学視聴環境学、工業エンジニアリング卒業[3]。
1985年、ハーバード大学デザイン大学院建築学専門課程修了[1][2]。
1985年、丹下健三・都市・建築設計研究所入所。
    その後同研究所取締役、取締役副社長、代表取締役社長を経て、
2002年、丹下都市建築設計に改組し代表に就任。
2016年、会長となる[1][2]。

韓亜由美

1958年生まれ
東京藝術大学デザイン学科を卒業
イタリア、ミラノの大学で建築を学ぶ
帰国後にクラマタデザイン事務所に入所
故倉俣史朗氏の最後の教え子

前田 敦

山口県生まれ。
1983年、日本大学大学院建築工学専攻博士前期課程修了。
    株式会社圓建築設計事務所を経て、
    株式会社ユーピーエム八束はじめ建築計画室でチーフデザイナー
    熊本アートポリスでプロジェクト・コーディネーターのあと独立。
1991年、有限会社建築倶楽部を創業し、住宅、診療施設、店舗、
    公共施設を中心に設計活動を展開し、
1996年、クリエイティブTOWN岡山の指名建築家として「健康の森・テニス施設」の計画を行う。
1996年、株式会社建築倶楽部に組織変更を行い、
2001年、東京事務所を開設
2011年、前田敦計画工房と改め、愛犬家住宅の設計で、雑誌・TVで広く紹介されている。

松永 務

広島県広島市生まれ。
略歴
1981年、日本大学理工学部建築学科卒業後、一色建築設計事務所。
1990年、同事務所取締役。
1998年、「アトリエM」を設立し、一色建築設計事務所のパートナーオフィスという形式をとる。
1999年、同社退社。
2000年、一級建築士事務所アトリエMアーキテクツ設立。
2000年、静岡産業技術専門学校非常勤講師、トヨタ自動車スチールハウスアドバイザー。
2001年、米国大使館/国土交通省後援のAF&PA 全米林産物製紙協会他主催の第5回日米住宅シンポジウムで講演。
2007年、アーキテクツデスク会長。

宮田 多津夫

略歴
1958年、東京都生まれ。
1981年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、松田平田設計入社、同取締役を経て、同グループ会社のNEXT/m代表取締役。

矢板直子

1958年 鹿児島県生まれ。
日本女子大学家政学部住居学科卒。
株式会社アーキブレーン建築研究所を経て、株式会社内田直子建築研究所設立。
2005年より株式会社矢板建築設計研究所共同主宰。

安田 幸一

略歴
1958年神奈川県生まれ。
1981年に東京工業大学建築学科(篠原一男研究室)を卒業した後、同大学院修士課程、イェール大学大学院修士課程を修了した。
1983年から2002年まで日建設計、
1988年から1991年までバーナード・チュミ・アーキテクツに勤務していた。
2002年に東京工業大学助教授となり、
2007年に教授となった。

吉松 秀樹

東京芸術大学、
東京大学大学院、
磯崎新アトリエを経て、
現在アーキプロ主宰、
東海大学教授。◼︎1959年

伊礼 智

沖縄県嘉手納町生まれ
経歴
1982年、琉球大学理工学部建設工学科卒業後、
    東京芸術大学大学院美術研究科に進学し建築(奥村昭雄研究室)を専攻し修了。
    丸谷博男+エーアンドエーを経て、
1996年、伊礼智設計室開設。
2012年、住宅デザイン学校のメイン講師をつとめる。
2005年、日本大学生産工学部建築工学科居住空間デザインコース非常勤講師。
2006年、「9坪の家」、
2007年、「町角の家」でエコビルド賞受賞。
2013年、i-works project でグッドデザイン賞。
2016年、東京藝術大学美術学部建築科非常勤講師。

遠藤 謙一良

経歴
1985年 武蔵野美術大学大学院建築学科修士課程修了後、
1985年 竹山実建築綜合研究所に勤務。
2003年 北海学園大学非常勤講師
2006年 NPO小樽ワークス[1]代表
2016年 公益社団法人日本建築家協会北海道支部[2]支部長

鹿嶌信哉

1959年 愛知県生まれ
1978年 静岡県立浜松北高等学校卒業
1983年 京都工芸繊維大学工芸学部建築学科卒業
     卒業設計賞「松ヶ崎建築会賞」受賞
1983年 芦原建築設計事務所に勤務(芦原義信に師事)
1990年 佐藤文とK+Sアーキテクツを共同設立
     一級建築士 日本建築家協会会員 登録建築家
日本建築学会会員 ・日本医療福祉建築協会会員

梶原 良成

略歴
1959 東京都出身(長野県出生)
1978 桐朋高等学校卒業
1986 東京藝術大学美術学部建築科卒業
1986 土屋巌建築設計事務所
1998 ジオアーキテクチュア一級建築士事務所設立(のち、ジオビオデザイン一級建築士事務所と改称)
2001 宇都宮大学専任講師
2003 宇都宮大学助教授、准教授
2009 宇都宮大学教授(現在、共同教育学部芸術・生活・健康系美術分野、大学院地域創生科学研究科社会デザイン科学専攻コミュニティデザイン学プログラム)
2019 宇都宮大学共同教育学部附属特別支援学校長を兼任者。宇都宮大学教授。

川島 義信

愛知県名古屋市出身
経歴
1983年 大学卒業とともにテイジンメンズショップに入社した
1960年 創業の同社は日本のメンズトラッドファッションの
    草分け的な存在で、「テイメン」の愛称で人気を博していた
1998年 独立。
    GAZERY JAPONES(ガゼレイジャポネス)を名古屋市に設立。
2001年 クロウズネスト原宿店のリニューアルをプロデュースするも、
    同年にサンヨーベイカーは解散し、
    親会社の三陽商会によってクロウズネストも消滅した。
2005年 ショップ閉鎖となり、店舗運営事業から撤退し、
    クリエイティブ活動に専念する。
2007年 セイコーウオッチのメンズウォッチ「WIRED」の
    商品開発アドバイザーに就任し、DELTAブランドの腕時計を発表
2014年 国内の調味料メーカーから依頼された
    ステーキソース「JAPONE」のボトル、
    パッケージデザインをドバイ世界貿易センターで開催されたガルフードで発表する
2008年 会社の主業務が建築プロデュースとなったため、
2009年 「川島義信デザイン事務所」に変更した
2010年 プロデュースする集合住宅兼施主邸「VILLA GAZERY、大型賃貸集合住宅 「FLATS GAZERY、展示会場「Gallery GAZERYが完工。FLATS GAZERY1階に川島義信デザイン事務所を開設する。
2013年 株式会社S-point(ヘヤギメ、現在 部屋セレブ)八事店を建築プロデュース。
2015年 大和ハウス工業株式会社 名古屋市西区 D−room WEST COURT[32]を監修。
2020年 FLATS GAZERYが NHK総合ドラマ10『ハムラアキラ』第4話「濃紺の悪魔」のロケ地となる。

小平 惠一

東京都文京区生まれ。
1983年、日本大学理工学部建築学科卒業後、富永譲+フォルムシステム設計研究所入所。
1988年、退所
1990年、小平惠一建築研究所を開設。
1994年、C.H.Cマーベルデザインコンペティション`94で銅賞受賞。
2000年、旧都市基盤整備公団茨城支社の住まいづくりセミナー講師。
2004年、第11回空間デザインコンペティション作品例部門選外佳作。
2005年、日本大学理工学部建築学科非常勤講師。
2006年、アイカジョリパット施工例コンテスト優秀賞受賞。

坂牛 卓

略歴
1959年 - 東京都に出生
1978年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
1983年 - 東京工業大学卒業
1985年 - UCLA(University of California, Los Angeles)修了
1986年 - 東京工業大学大学院修了
1986年 - 日建設計入社
1998年 - 坂牛卓一級建築士事務所設立、同時に伊藤博之と建築家ユニットO.F.D.A.開設

佐藤文

1961年 群馬県生まれ。
1980年 群馬県立前橋女子高等学校卒業
1984年 日本大学理工学部建築学科卒業
1984年 早川邦彦建築研究室に勤務
1985年 芦原建築設計研究所に勤務(芦原義信に師事)
1990年 鹿嶌信哉とK+Sアーキテクツを共同設立
2000年 千葉大学工学部 都市環境システム学科 非常勤講師
2004年 日本大学理工学部建築学科非常勤講師
2006年 関東学院大学建築・環境学部建築・環境学科 非常勤講師

中村 勇大

京都市生まれ。
略歴
1982年 - 近畿大学工学部建築学科卒業
1988年 - 北村陸夫+ズーム計画工房
1990年 - 中村勇大アトリエ設立
1993年 - 京都芸術短期大学専任講師
2000年 - 京都造形芸術大学助教授
2004年 - 京都造形芸術大学教授
2009年 - 京都市立芸術大学非常勤講師兼務
2011年 - 建築新人戦実行委員長

平野 暁臣

略歴
1981年、横浜国立大学工学部建築学科卒業。
1984年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了、工学修士。
    建設会社を経て、岡本太郎が創設した現代芸術研究所へ。
    イベントやミュージアムなど“空間メディア”の領域で多彩なプロデュース活動を行う。
1989年、横浜国立大学大学院講師。

米田 明

兵庫県出身。
経歴
1978年 甲陽学院高等学校卒業
1982年 東京大学工学部建築学科卒業
1984年 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
1984年 竹中工務店設計部
1991年 ハーバード大学デザイン大学院(Harvard University Graduate School of Design)修士課程(MArch II)修了
1991年 建築設計事務所アーキテクトン設立
2004年 京都工芸繊維大学准教授
2014年 京都工芸繊維大学教授
2021年  関西学院大学建築学部教授、京都工芸繊維大学名誉教授

李暎一

略歴
1982年 弘益大学校建築学科卒業
1985年 神戸大学大学院 工学研究科 修士課程修了
1992年 神戸大学大学院 博士課程 修了。学術博士(Ph.D)
1995年 アトリエ ビコーズ・リー設立
1997年 フォートワース現代美術館国際コンペ(安藤忠雄建築研究所)に参加
1998年 安藤忠雄建築展(韓国国立現代美術館)プロデューサー
1998年 宝塚造形芸術大学 環境トータルデザインコース 助教授
2001年 宝塚造形芸術大学 環境トータルデザインコース 教授(2013年)
2005年 神戸大学工学部建築学科 非常勤講師
2008年 LLC 都市ブランドデザイン研究所設立
2011年 ベトナム ホーチミン市建築大学客員教授
2011年 竹山聖、遠藤秀平、長坂大、米田明、宮本佳明と一緒に<KANSAI6>を組織
2014年 日本建築設計学会 副会長(-2018)
2018年 一般社団法人 アジア建築集合体 代表

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