1931年生まれ 建築家 6名
1.出江寛(1931年 - )京都府
京都市立伏見工業高等学校建築科
1957年 立命館大学理工学部土木工学科卒業
京都大学施設部技術課建築係勤務
1959年 竹中工務店大阪本店設計部入社
1976年 竹中工務店大阪本店を設計副部長にて退職
出江寛建築事務所設立
1994年 大阪芸術大学講師
2.磯崎新(1931年 - )大分県大分市
父は実業家で俳人の磯崎操次
妻は彫刻家の宮脇愛子
1931年 磯崎藻二の長男として生まれる
1945年 母親が交通事故で死去
1950年 大分県立大分第一高等学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)卒業
同級生に赤瀬川隼
1951年 父親死去
1954年 東京大学工学部建築学科卒業
1960年 丹下健三研究室で黒川紀章らとともに東京計画1960に関わる
1961年 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻博士課程を修了
伊藤ていじ、川上秀光らと八田利也(はったりや)のペンネームを用い「現代建築愚作論」を執筆
1963年 丹下健三研究室退職
磯崎新アトリエ設立
1967年 大分県立大分図書館竣工
株式会社環境計画代表取締役
1970年 大阪万博のお祭り広場を丹下と共同で手がけた
1972年 宮脇愛子と結婚
1975年 著書『建築の解体』
群馬県立近代美術館、北九州市立美術館など多産な年
1980年 - 1992年 写真家篠山紀信とコンビで「建築行脚」シリーズを刊行
1983年 つくばセンタービル竣工
1988年 熊本県知事の細川護熙に招かれる形でくまもとアートポリス事業の初代コミッショナーに就任
1991年 - 2000年 世界各地で開催されたAnyコンファレンスを企画
1991年 - 2002年 『批評空間』誌編集顧問
1996年 織部賞選考委員長に就任
1996年, 2000年, 2004年 - ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展・日本館コミッショナー
2017年 日本芸術院会員
2020年 同済大学建築都市計画学院名誉教授
2022年12月28日 老衰のため那覇市の自宅で死去。91歳没
3.佐々木宏(1931年 - 2019年)北海道小樽市
北海道大学 立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿
東京大学大学院 池辺陽の研究室
1964年 シベリア経由で渡欧
欧米の近代建築を繰り返し視察、執筆や講演を通してヨーロッパの近代建築とくに北欧の近代建築を精力的に紹介
のちに若き安藤忠雄がその講演を聞いて奮起しヨーロッパへ旅立ったと語っている
中真己のペンネームで書かれた『現代建築家の思想—丹下健三序論』は戦中の建築家たちの戦争協力の実態を検証した問題の書
『新建築』に連載しのちに単行本になった『近代建築の目撃者』は今井兼次、村野藤吾、堀口捨己、土浦亀城、山口文象など、巨匠たちの戦前の欧州体験を聞き出して記録した貴重な記録である
4.野々村宗逸(1931年 - 1994年)千葉県船橋市
戦時中宮城県に疎開
1948年 旧制山形高等学校在籍新制の東京大学に進学
1954年 東京大学工学部建築学科卒業
同級に磯崎新、川上秀光、奥平耕造ら
同期に富安秀雄らがいる
卒業後建設省関東地方建設局営繕部配属
1955年8月 建設省から日本住宅公団本所建築部に移籍
1956年 産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加
1957年 東京支所建築部設計課団地係へ異動
1963年 大井町計画(神奈川県足柄上郡大井町、日笠端らと)に協力
1964年 松本市新市街地開発基本計画調査委員
5.船越徹(1931年 - 2017年)東京都
工学博士船越義房の長男
鳥取県多額納税者で日本クローム工業社長船越作一郎の孫
1953年 東京大学工学部建築学科卒業
1958年 同大学大学院博士課程修了後 吉武研究室助手
東京電機大学
1970年 建築設計事務所アルコム設立
2010年 株式会社長大により吸収合併
株式会社長大アルコム建築部
6.武藤章(1931年 - 1985年) 東京都
1931年 東京に生まれる
1954年 東京大学工学部建築学科卒業
1954年 (株)新建創入社
1956年 工学院大学建築学科天野太郎研究室助手
1959年 工学院大学建築学科専任講師
1959年 有限会社天野太郎研究室取締役
新花屋敷ゴルフ場クラブハウスなどの設計に協力
フィンランドのアトリエ・アルヴァ・アアルトで建築設計の研究
イタリアのジノ・ヴァッレ設計事務所入所
1963年 武藤章研究室一級建築士事務所設立
1964年 工学院大学助教授
1974年 工学院大学教授
1985年 逝去
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