収束と発散
棲みついていたクモを逃すところから始まった今日。久しぶりに大学時代の友人が出張でこちらに来るというので、会う予定になっていた。いつもはすっぴんと楽ちんな服でリモートワークに挑んでいるが、普段あまり着ない服を選んで顔もバッチリ出来上がった状態だった。
さて、朝ごはんでも、と思っていたら、「ごめん、体調不良でキャンセルしたい」と連絡が入った。
第一声は「あら〜大丈夫?」を選んだ。何も考えていなかったら、まじか、とか、えー!と返していたと思う。自分がショックということよりも相手を気遣うことにした。あえてショックさを伝えた方がよかったかもしれない。
考え方を変えるだけで随分気持ちが楽になることを経験している。ちょっとしたタスクが積み重なるとストレスだ!と思っていたことも、遠ーくから見れば本当に小さい塊に思える。自分を俯瞰的に捉える。ドタキャンはよくあることだし、ほんのかすり傷だ、と思うことにした。
逆にいいことはものすごく近くで見ているように捉えると、簡単に感動できるし前を向くきっかけになる。通っていたヨガ教室では、「今日ヨガができた心と体に感謝しましょう」という先生の言葉でレッスンが締めくくられていた。レッスンにきてよかったと感じられるし、頑張った自分を褒めることができる。いい声かけだと当時から思っていた。その日ヨガができたことは当たり前ではない。
朝からクモと遭遇したことも、ドタキャンされたことも、なんてことない日常の出来事である。嫌なことは0に収束させていくのがいい。そんなことよりもよかったこと嬉しかったことはもっと大きく発散させることにしよう。(数学で収束の反対はなんだったか調べたら発散だった。)
今日良かったことは、クモを逃すことができたことと、友人が私に声をかけてくれたのだった、ということだ。その前後は無視したいところだが、いいことばかりに注目していてもやっぱりよくない気もする。0ではなく0.5くらいで自分の中にしまっておいて、量が増えてきたらまた収束させることにしようか。一定量貯まったら0になるゲームがあった気がするがいい例えが思い浮かばない。
ちょっとだけモヤモヤするが、私は寝ることでリセットできる便利な体質なので、今日も目を閉じることにする。
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