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天使の群像

鵺的「天使の群像」観劇。20231229

臨時的任用教諭と不登校の生徒がいる学級、その教育現場を様々な角度から描いた物語。

組織の在り方、教員、生徒、保護者、、生々しくて気持ち悪かった。いや、現場は、もっと色々なことが絡み合い複雑。私がこの作品の感想を文字にしてもいいのかと悩む。社会的に大丈夫じゃないかもしれない。この葛藤も、この作品には描かれてる。

臨時的任用教諭の道長さとみは、学校が嫌いだけど教師になった。(前職が倒産したから仕方なく)
教育現場は、良かれと思い話したことが逆手に取られることがあり、自分自身の言葉を言えないこともある。不登校の生徒を話題の中心として臨時的任用教諭からの目線、学校組織のそれぞれの立場、生徒、保護者からの目線が描かれていた。

観劇しながら自分の経験を思い出すことで、私自身をカウンセリングしてもらうような感覚があった。

劇中で「色々都合がある」「誰にどう見られてるかわからない」と言われてたけど、正しさではなく、不都合が起きないようにということが最優先される現実。

「三十人の生徒がいたら三十通りの教育論があるはずなんです。それができなくてごめんなさい。」本当にそう思う。
一人一人に合ったものがあるのに、それができない。させてもらえない。ごめんなさい。と何度思ったかわからない。けど、この「ごめんなさい」も言えないの。不適切であると認めてしまうから。

「保護者は、常に教師に不信感がある」というようなセリフがあったけど、それも本当で、信頼関係を築くことは容易ではない。
生徒一人一人に寄り添いたいのに、問題視されないように、面倒なことにならないように、そんなことばかりが重視され、適当な対応ができているのか。自分の正義に反し、自分の心を潰しながら教壇に立つ教師は多いと思う。生徒の心にも寄り添えず、教師の心にも誰も寄り添えてないのが現状。
私は、この現状が受け入れ難く、現場でも自分で声を上げてしまうタイプなので、自分の経験と重なるシーンがあるたびに当時のモヤモヤした気持ちを思い出し心痛んだ。

学校長の「間違えていないのなら抗いたいですね。」このセリフに救われて、羨ましかった。こんな風に言ってくれる上司がいたらいいな。
山像かおりさん演じる学校長は、静かに見守り生徒だけではなく教師の立場や思いも汲んでいるようで素敵だった。
「感情にまかせて自分が悪いと思わないでください」というセリフのように、感情的になるほど事実からズレていくし、他者にも影響するから常に凛としていてほしい。守ってくれる存在でいてほしい。これは、自戒も込めて。

職員間のハラスメントゲーム🍪
ハラスメントを意識するきっかけにはなるんだろうけど、実際にハラスメントを感じる人から見たら、軽視されてるようで不快。もはやあのゲームに参加させることもハラスメントじゃないかとも思う。
非常事態においてハラスメントは関係ないみたいなやりとりがあったけど、「ほらね。」と思ってしまった。上辺だけで、ハラスメントを理解してる風なんだよね。感情的になって自分のことばかり考えて発言する人いる。佐藤弘幸さんがこういう役を演じられると本当に何だか嫌〜な気分になる。(褒めてます)

生徒たち(クラス)の嫌な雰囲気も生々しくて気分悪かった。教師を煽るような言葉も、強制的に同意させてやりたくないことやらせる感じも、嘘でかためたり、自分の主観でワーワー言ったりして、改めてカオスだなって思う。
個々より集団になると何でこんなに複雑なんだろう。偶然同じクラスに入れられただけの関係なのに、狭い狭い世界の中で生きてるんだと今も思う。

「教師の表情で生徒は傷つく」本当にそれで、ふとした表情、言葉、思想で生涯残ってしまう傷をつけてしまわないか、それが一番怖い。友だちとの関係、家族との関係もだけど、他人の反応にとても敏感。教師は、信じたい。けど、とても繊細で脆い関係なのだと思う。

野花紅葉さん演じる中島朱羽に共感があり、彼女の「一生懸命」「信じる強さ」が胸を打った。
クラスが真鍋が可哀想だと言う中で、自分の信じたいものを貫くって勇気がいることだと思う。
彼女の挑発的な態度も言葉もきっと世の中に対する違和感とか、自分の正義や美徳とズレるものに対しての反抗心からかな。強がっているだけで、きっともっと自分の発信しているものに気づいてほしいって思ってると思う。
中島の存在は、村田を支えていたと思うし、中島は、道長の存在が救いであり希望だったと思う。上辺、嘘だらけだと思ってる世の中にまっすぐに向き合って自分を見せてくれる存在に。

真鍋の行動、周りの人との関わり方を見てると私と真逆なタイプでモヤモヤした。自分が傷つかないように、自分を守るために嘘でかためて、他人を傷つけて。けど、そんな自分を守ろうとしてくれる人がいると苦しいだろうな。うん、苦しい気持ちはあってほしい。他人の思いや愛に触れてきちんと傷ついて向き合ってほしい。そんな風に思った。

今野は、自分の見える世界を信じてる子。だから、真鍋さん可哀想!って思ったら、それを疑わない。この純粋さは、人を支えるけど、時に傷つけてしまうよな、と色々思い出してしまった。スマホのカメラを鏡代わりにしたり、きゅるきゅる女子高生📱🎀(かわいい)

寺十さん演じる村田の父。家庭環境を想像してしまったし、自分の思い通りにいかないことを学校のせいにするというか、我が子の不登校は学校に責任があると思っている。
「教師にとっては、30人のうちの一人かも知れないけど、親にとってはかけがえのない一人。」このセリフに込められた思いもすごく現実的。そして、保護者は、やはり教師に対して不信感があるなと思った。ラスト村田の父に怒鳴られるけど、物語の中の話ではない。父の怒りは、やるせなさ、悲しみ、色々な思いが隠れている。道長は、この父親にも寄り添えるのか、とその後を想像した。

始まり方、終わり方がよかった。ひとつひとつの出来事がきれいに完結、解決することはない。全ての出来事は繋がり続いていく。
保護者に怒鳴られ、流れるように演者が退出。最後に道長がポツリと残される。教師は、生徒、保護者に寄り添おうとすればするほど孤独も味わう。とても痛くて現実味を感じる表現だった。

舞台美術も素晴らしかった。鏡を使って多方面から舞台が映し出される。
多面性、色々な見方ができる、色々な見方をされてしまう、ということが表現されてるのかな、と思った。自分の見えてる部分が全てではないことを感じる。

カウンセリングを受けてるような気持ちに、と書いたけど、心に残るセリフ。(ニュアンスです)

「そっと消えた人は、そっと戻りたいはず」
「いなくなりたいのならいなくならせてあげたい」
相手を思い、寄り添うのであれば、思うままに、行動も肯定してあげたい。けど、自分の中の正しさで導きたいというお節介な気持ちもあって、考えさせる言葉だった。

「自分への誠実さは、他人に無関係」
とても共感したし、自戒させる言葉。私の正しさは、他人には関係なく、むしろ誰かを傷つけたり悲しませたりすることもある。あくまで「自分のもの」であることを忘れないようにしたい。

「妄想と二人暮らししてるから彼氏もいない」
ハッ!私もたくさんの妄想と暮らしている……。

この作品からは、自分の在り方について考えた。世の中に通じない、伝わらないとしても、誰かが自分を見てくれているということは、救い。
人は、独りではないという希望を持ち、独りだと感じさせないように存在していたし、自分と共に生きてくれる人に気づきたい。

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