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愛についてのお話


鏡に写った自分が不甲斐なさ過ぎて、鏡を叩き割りたくなってしまった朝。
「自己を卑下している暇があるのなら、好きな人に伝える愛の言葉を考えている方のが圧倒的に有意義」というのが、昨日までの私の意見だがあまりに能天気すぎて、殺意を飛び越えて恥ずかしいの域まできた。
自己肯定が出来るようになったことに関しては花丸満点を贈ってあげたいが自己肯定が「言い訳」や「逃避」となっては話は別で、今の私は良いように解釈をして人に甘えきっている。故に愛の言葉も押し付けと化していて、誰かの重荷でしかないのだ。

幸せに出来ないのなら、愛を伝える資格もなく、返事を頂ける権利もない。度の過ぎた自己肯定などではなく、きちんとした確証と自信があって、初めて隣にいることが許される。覚悟や愛ばかりが先走って、言動の不一致が目立つ今の私に権利や資格はない。それこそ薄っぺらい愛を安売りしている薄っぺらい存在なのだ。
これはただの自己否定ではない。根拠のある自己否定であって戒めと自己啓発の糧として必要なものだ。

「この人がいないと生きていかれない」というのも素敵な愛の形ではあると思うが、全く私の好みではなく執着にしか見えない。私は執着ではなく愛の話をしている。消去法ではない。唯一ではなく、唯一になってくれていることに感謝を示す。数多くいる人間の中で「この人がいなくても生きてはいけるけれど」愛したいと思ったのだ。この「この人がいなくても生きてはいけるけれど」という感情が相手を尊重する事においてとても大切で、この気持ちが執着に変わると結果的に自身の幸せしか願えずに身勝手な行動ばかりとるようになる。その結果の今の醜い私だ。

物理的に張れる胸があろうがなかろうが、私が胸を張って愛を伝えるには「経験」と「信用」が足らない。信頼ではなく、信用。今のままの私では信じて頼って貰えると思うのも烏滸がましい。

つらつらと感情を綴ったが、私がここで誓いをたてるのは「スルースキルを磨く」「飲酒と正しい付き合い方をする」「酒癖と口の悪さを治す」「過去の私の清算」の4つだ。その他にも問題は多く存在するが、とりあえず6キロの減量をしながら、この4つの問題を見直し、反省を活かし、新しい自分を愛する。そして合間にいつか目を見て伝える愛の言葉でも考えていたい。
私なら出来る、当たり前にできる。今の私には全てを諦めてもらったが、未来の私が出来ないわけがない。私の愛は素敵なのだ、大丈夫。他人の意見は東京湾に沈めましょう。大切にしたい人と、私自身がわかっていれば良い。

支離滅裂で、最後までまとまらなかったが、今日のところはこの自己否定も終わりだ。殴り書き呪詛呪詛……!残り87回の愛は保留で。誠実で真っ直ぐで、言葉と愛を尽してくれるあなたに敬意を表して。

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