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これからについてのお話


一週間後に仕事を辞める、円満退社だ。
デスクの前で「二年半長かったな~」と背を伸ばした私を「すいさんは2017年の春に入社したから四年ですよ」と笑ったのは、いつも怖い顔して私を叱ってくれた主任だった。
一昨年の冬、辞めますと言葉にしてから一年という時間が経っていて「引き止めてごめんね」「最後まで頑張ってくれてありがとう」なんて勿体無いお言葉まで沢山頂いた。

この街を出ていく、23歳にしてようやくだ。部屋に積み重なった白いダンボールは、今も尚溜り続けているメールやSNSの通知に似ている。知り合い一人いない土地に行く、忘れられない元恋人と偶然を装った再会すらも叶わなくなった。会えない距離ではないけれど、会うのに理由が必要な距離だ。深く深く息を吸う、物がほとんどないこの部屋で寂しさを紛らわせることは難しかった。好きで武装している私は、身の回りから好きをなくしたら空っぽな身体しか残らない。あゝ悲しい。私はきっといつも悲しい、理由があろうがなかろうが悲しい。

誰かに縋りたい、でも独りが楽。嫌われたくないけれど、信用してしまうほどの愛は怖い。勝手に好きでいさせてほしい、嘘。どうかそれなりに好きになってほしい。出来ればでいいから余裕があれば愛してほしい。
矛盾まみれ、汚い感情まみれ、綺麗で真っ直ぐな人間に生まれたかった。みんなが羨ましい、妬ましい。みんなになりたかった、人の苦労も知らないで無神経にもそんなことを考える。

鏡を見る、いつもの可愛くない私が映っている。

救われないし救いようがない、それでも確かに私が救ってあげたい私がそこにいる。

仕事を辞めた、新しい道を選んだ。それは少し馬鹿な選択だ。親友を泣かせてしまった。忘れられない、忘れたくない元恋人との約束を破ることにした。遂げようとしている変化はお世辞にも良しとはされないもので、指をさされても、否定されても、嘲笑われても「仕方がない」なんて言葉を反芻させ唾と涙を飲み込んで、床に
就くことしか出来ない。

それでも、私は私を救ってあげたい。

「間違えた選択だ」と諭されたところで「誰も理不尽に傷付けることなく、法を犯していないのなら間違いなんかじゃない」と声を大にして言ってやるんだ。だって私を救うなんて、今の私にはこんな馬鹿げた方法しか浮かばないのだから。
性格が悪いと自分勝手だと罵詈雑言を吐かれようが、私は強い人間になりたい。誰にも自分を委ねることなく一人で真っ直ぐ歩けたらと、寂しさも劣等感も独り占めして笑ってやれたらと思う。
みんなを羨んで膝を抱えては情けなく涙を流す日々を越えること。そういう人間になることが私を救うことなのだろう、きっと。

ほら、私ってば着飾った投稿ばっかりじゃない?
元恋人との記憶に縋りながらも他の人を好きになれちゃうくらい薄情で、嘘偽りは吐かないけれど、強がってばかり。全然かっこよくないな。弱いよ、寂しいよ、戒めの言葉も励ましも全て誰かを通して自分に言い聞かせてるの。
「ブス」なんて笑われても言い返せない、鏡に映る私は確かに可愛くないから。

それでも、それでもね、救いたいの。
だからこそ、救ってあげたいの。
救われたいなんて、他人任せは嫌なの。

きっと、これからも強がりの投稿ばかりかもね。
余裕は擦り減って、大事な何かを失って、頼れる人を突き放した私はここで嘆くだけになるでしょうね。みっともない姿を晒すこともあるかもしれないね。
それでも、この街を出ていくことを間違いにしないから。きっと私を救ってみせるから、どうかその目で見守っていてね。

私自身の中を支配している葛藤を、醜い感情を誰も知らなくていい。綺麗なものや人々だけを見て彼女たち、または彼らのように振る舞って、それこそ綺麗なところだけを切り取って、実際がそうでなくとも、あなたの目にそう映るように、耳から入ってきた私という女性像が強かで圧倒的でいられるように。

そう、強かで圧倒的になれるように、私が私を愛せずとも肯定できるように。

おやすみ、つまらない話を聞いてくれてありがとう。優しい夢を見てね。


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