12月


ほんの少しでも誰かの特別になれたら、
変わらない場所があったら、
ここが私の居場所だと思える場所があったら。
いつまでも寂しいとも言えずに黙って蹲ってしまうのは「あなたが必要だ。」と私が私に言ってあげられないからだ。

自分のことを話すのが苦手だ。
自分が褒められるより、自分が作ったものや誰かのための行動が褒められる方が嬉しい。
自分の好きな曲を好きと言ってもらえる方が嬉しいし、着飾る服を褒められる方が嬉しい。
自分の悲しい話で誰かが悲しくなるくらいなら話さないし、誰かの前で泣くのも好きじゃない。

強いと思われたいし、強く在りたいと思う。
でも、誰かに自分の〝本当〟を話そうとすると泣きたくもないのに涙が出てしまう。
とくに理由があるわけでもなく、ただ〝そのままの私〟の話をを聞かれているということが怖くなってしまう。心のいちばん低いところで、どこか理解されるのは難しいと思って生きている。

12/5
FOLLOW名古屋noteで書いた、履歴書を出したところに面接に行った。上手にできなくてもまあいいか、と思いながらも心臓はバクバクだった。
子供の頃から、緊張する場所や、誰かの前で話すことが何よりも苦手だ。形にはなるけど、ずっと嘘をついている気持ちになってしまう。
会社や企業というより完全に個人店なので、面接をしてくれたのは店長さんで、面接というよりは面談の方が近かった。
最後に、「あなたがここで働くよりもっと先の、将来の最終的な夢は何かな?」と聞かれて、誰にも話したことがない夢の話をした。本当にあり得ないけど、この時も完全に泣いていた。泣きながらも頭の片隅にはホシくんの「夢!포기하지 마세요!」が聞こえていた。全然上手にできなかったけど、夢の話をしている自分は嫌いじゃなかった。

言葉は難しい。私は特に会話が苦手だ。
頭の中の考えに、自分の感じた感情に、自分の話す言葉が追いつかない。急いで出した自分の言葉でいつも誰かを傷つけている。
周りが〝分かってくれない〟のではなく、私自身の言葉が足りないから〝伝わっていない〟というのが正しい。
それでも、私は言葉で誰かと繋がることを諦められない。

12/11
この日は就職のために上京した友達が地元に帰ってきてくれて、久しぶりにご飯を食べに行った。部活もクラスも高校生活をずっと一緒に過ごしてくれた友達。
4月からの話をいろいろ聞いていく中で、その子が、私が高校の部活引退時に渡した手紙を、1人暮らしの家に持って行っていて落ち込んだ時に読んでいると少し恥ずかしそうに教えてくれた。本当に嬉しくて、この日も帰りながら泣いた。もう渡してから5年くらい経っているのに、その時の私の言葉でその子の今が救われていることがとてつもなく嬉しかった。あの時の未熟な私も間違っていなかったんだな。今まで貰ったどんな言葉よりも嬉しいかもしれない。これから生きていく中で、〝大切な誰かの力になれた〟と私の自慢になる出来事で、私が下を向いたとき、前を向ける材料になる言葉だ。


励ますことは得意じゃないから、「私はあなたのことを見ているよ。」と丁寧に伝えることしかできないんだけど、大切な人の気付かれることのない優しさや気遣いに、いつでも気付いてあげられる人でいたい。
良いところはたくさん伝えたいし、私はあなたのことが好きですと届けば良いなと思う。
名古屋は間に合わなかったけれど、福岡で挨拶をしてくれた子に、私が意地でもお手紙を渡したかったのは、この日に友達が私の言葉に力を貰っていると教えてくれたからで、きっと面と向かっては恥ずかしくていつまでも伝えることができないからです。
話したいこと、伝えたいこといっぱいあるよ。
みんなのことを文字の上でしか知らないけれど、みんなの話が聞きたいし、いつもみんなのことを応援しています。いつも分かりにくくてごめんね。会ってくれてありがとうね。


好きなものの話をするのが好きだ。
突かれたらすぐ折れてしまいそうな私が、私として立っていられるのは、自分の中にある〝好きという気持ち〟が世界でいちばん信じられるからだ。
この世界を信じさせてくれるのは、紛れもなく私の好きな人たちが作り出すものである。
自分自身を大好きだと声に出して言えたことはないけれど、私は〝好きなもの〟を通して私を肯定して生きている。

12/12
大好きなお笑いコンビが解散してしまうことを知った。ここでお笑いの話をしたことがないけど、社会人1年目のときに、ひどい時は月に2、3回大阪に漫才を見に行っていた。何にも上手くいかない日々の中で、ただ、笑わせてくれた人たち。意味もなく、何も考えずに笑える、大好きな時間を守ってくれた人たちだった。好きなものが観れなくなる瞬間はいつもあまりにも突然で、来年に決まっていたツアーも劇場も全て白紙になってしまって、今もずっと寂しい。

2日後、ジョンハンさんのお知らせが来て、好きな人へ送る言葉を今一度考える。
福岡のために作ったボードも団扇もなんだか持っていくに相応しくない気がしてしまって、結局持って行かなかった。
好きな人たちの目に入る言葉は、誰が観ても心が温かくなるものじゃないと渡したくない。
少しでも負担になる可能性があるのなら渡すべきではないし、その気持ちは私の中だけで片付ければ良い。
考えているからこそ、話せないこともいっぱいある。
本当は、わがままで矛盾していて全然綺麗なんかじゃない。でも、これを話したところで誰のためにもならなくて、悲しいことは、私の中だけで終わらせればいい。君たちに渡す言葉はいつだって優しいものであるといい。これも私のわがままだけどね。

その場所にいると強くなれる。
その場所にいると弱い自分でいられる。
どちらも大切で必要だと思う。
でも、〝自分が好きな自分で居られる場所〟がいちばん好きだ。

「あなたが必要だ。」と言われなくても、ただそこに居て、光になって、好きな人たちに届く音になって力になれたら。「来てくれてありがとう。」の一言がお互いに渡せたら、私はその場所で私として胸を張れる。

変わらない場所はないし、特別なんかにこだわって〝好き〟に対して知らないふりをしたくないし、自分の居場所はどれだけ小さくても自分の中に作らなきゃ。
好きなもので傷つくことになるとしても、嫌いなもので泣くよりずっと良い。
もう大人だからさ、人生好きなものでぎゅうぎゅうにして、やりたい放題やるし、たまに自分とボコボコに喧嘩しながら少しずつ私は私を認めてあげたい。

もしかしたら、来年、私はSEVENTEENに会えないかもしれない。
でも、私には私の夢があって、ホシくんにはホシくんの夢があるから、またお互いの時間が交わるときに胸を張って会えたら嬉しい。私はもっと好きな自分で君たちに会いに行くから、ホシくんは私のこと救わなくていいよ、でもお互いのゴールまで応援し合おうね。

FOLLOW名古屋から福岡までの話をしようとして、今年の締め括りみたいなnoteになってしまった。年が明けて落ち着いたら、福岡の話をゆっくりと思い出そう。
仕事納めが31日で、仕事始めが1月1日なので、今日が何日かも良く分かっていませんが、姉妹がぞろぞろと帰って来て、うるさいほど家が賑やかで「わ〜年末だな〜」となっています。
今年はSEVENTEENのおかげで色んな人と出会えて幸せだったな、23歳の私にSEVENTEENが居てくれて良かったな。
来年もきっと楽しいよね、毎日、明日が楽しみでありがたい。みなさまどうか良いお年を、風邪引かないようにあったかくして過ごしてね。





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