アンパンマンマーチ

『何のために生まれて、何をして喜ぶ?分からないまま終わる、そんなのは嫌だ』

最近、改めて「何かに向かって全力で突っ走るやつは強い」そう思っている。
"理由"がないと走れないから。

自分にはその"理由"は何もない。だから走らない。というより走れない。

じゃあその"理由"を探せよと言われるかもしれないが、そんなもの簡単には見つからない。そもそも見つけるものではなく、偶然遭遇するものではないのか。

そんな事はさておき、
さらに踏み込むと、突っ走る"理由"を自分の内部に持っている人こそが最強だと思っている。
"理由"を自分の外部に持つ方が明らかに取っ付きやすいけど、その外部がなくなった瞬間にそいつの歩みは止まる。自分の外部なんてコントロールのしようがないから。要は不安定ということ。
一方、自分の内部に持っている人は、"理由"をコントロールしやすいからブレにくい。安定感がある。でもそもそも、その"理由"を持ち始めることも持ち続けることも、それ相応の意志が必要であるため、かなりハードルが高い。
結局どっちも脆さはあるので、どっちにも足を置いておくことが理想なのだろう。

個人的には外部に依存したくないから、少なくとも自分自身に"理由"を持ちたい。

朝井リョウさんの「正欲」も同じようなことを言っていると感じた。
『自分の全身が誰かの全身と触れているうちは、この身体に染み付いている悲しみや寂しさの歴史が毛穴から溶け出てくれるような気がした。』

『自分は今こんな風に大袈裟な感慨に耽っているが、この生活はたった一つの綻びによって簡単に崩れてしまうだろうこと。結局はお互いを利用しているだけの自分たちは、例えばどちらかが働けなくなったとして、どれだけ支え合えるのだろうか。あくまで自立している者同士が都合よく寄り添い合っているだけの自分たちは、いつまでこうしていられるのだろうか。』

生きるって難しい。

幼少期に出会ったアンパンマンマーチに対する回答探しの第二章の幕開けとしよう。

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